幸せは経験を積むことで体現できる
幸せは、その反対の体験をすることで幸せとは何かを明確にすることができる。
このため、辛いと感じるようなことさえも貴重な体験となる。
もちろん、辛い体験はしたくないもの。
しかし、そういった辛いという体験が、どうすれば幸せになれるのかといった探求の本腰を入れるきっかけとなる。
自分にとっての幸せを知るためには、そういった辛い経験さえ貴重なものであり、人を進化させる原因となることだろう。
経験値が大きいほど、人は強くなる。
幸せは、経験から得た強さが裏付けとなるのだ。
強さとは、経験から学び、それをよい方向に導きだしていく力である。
「何故?」「どうして?」という思いを、心地よい方向に解決していくことで、人は強さを身につけられる。
「何故?」「どうして?」という疑問が、幸せの強度を高める原因となるだろう。
辛い体験が、幸せになるために何をすればいいかを思考させ、その思考を行動に移し実感していくことで、答えを導き出せるようになる。
思考したことを行動に移し感じ取ったデータを蓄積させていくことで、幸せの強度を生み出すことができる。
自分で考えて行動し、たくさんの情報収集をすれば幸せな状態に近づけるといってもいいだろう。
幸せは経験を積むことで体現できる。
思考だけでは幸せの強度は生まれないし、強度のある体験をするためには「試行」が欠かせないといっていい。
前回、「洗練」という言葉を使って幸せの在り方についての記事を書いた。
「洗練」された物事には、シンプルさの中に潜む強さという裏付けが存在している。
そういった強さを、「美しさ」という言葉に言い換えることができるし、美しさのある強さにたどり着くには、裏付けとなるような経験が必要になってくる。
転がる石が丸くなるのは、転がるという経験を繰り返したためであり、円というシンプルな形は、「美しさ」と「しなやかな強さ」を示しているといってもいいだろう。
「円」は「縁」を生む。
「円」によって生まれた「縁」は、互いに交わりあうことで円滑さを生み出す。
そして、たくさんの縁を幾重にも組み合わせていけば、一つの社会を創造していけるようになるだろう。
我々が目指す社会は、強度という裏付けのある美しさのある社会だ。
経験値の高い社会が、幸福度の高い社会を生みだすこととなる。
幸か不幸か、我々はこれまで幸せになりづらい仕組みを強いられてきた。
目には見えない形でたくさんの搾取をされ、幸せを実感しづらい社会の中での暮らしを強いられてきた。
辛い経験から人は強度を得ることができる。
そういった経験を、逆手にとって強さに変えていかなければ、我々の進化は閉ざされてしまう。
進化とは、試行錯誤の先にある洗練された美しさと強さのある姿である。
だからこそ、これまでの我々がしてきた経験を強さに変えて、輝きを加えていかなければならない。
進化することと、幸せになることは同意である。
個人が進化して幸せを体現し、円という洗練されたシンプルさの中から新たな縁を生み出していくと、我々は幸せな社会を生み出していけるようになる。
そうなるためにも、我々のこれまでの数多の経験を活かしていかなければならない。
人は経験から学ぶ生き物である。
我々が得てきた経験に、一つも無駄はない。
学んだことを如何に活かしていくか。
幸せな社会を創造するために、これまでの経験をバネにして飛躍していかなければならない。
現在は、そういったフェーズに入ったといっていいだろう。
強いられた経験を、飛躍するために強さに変える。
幸せは経験から得た思いを、よい方向に転換させることで得られる意識だ。
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