個性を活かして幸せになる
前々回の「幸せは小さな積み重ねで築く」という記事の中で、「曲っているものほど、人生を全うできる」という老子の言葉を引用した。
この言葉は、「真っ直ぐな木は、その真っ直ぐさゆえに切られてしまうが、曲った木は曲っているからこそ切られることがなく、木としての生命を全うできる」ということを意味している。
人は得てして、真っ直ぐになるように育てらるし、真っ直ぐに育って貰いたいと思って人を育てたりする。
もちろん、真っ直ぐに育ったり、育てられたりすることは悪いことではない。
しかし、真っ直ぐさの定義によって、その意味合いが異なってくるといっていいだろう。
人間には一人ひとり個性がある。
その個性を矯正して真っ直ぐにさせるのか、あるいは個性を活かしながら真っ直ぐに育てるのか、これらの真っ直ぐさのどちらを採用するかで育ち方が変わってくるだろう。
個性を矯正しながら育っていけば見た目は真っ直ぐになるかもしれないが、矯正されることで心理的負荷が掛かる。
その一方で、個性を活かしながら育てれば、見た目は曲っているように見えても、ストレスを感じることがないため精神的には真っ直ぐ育つことになるだろう。
個性を曲ったものと考えるなら、老子の「曲ったものほど人生を全うできる」というのは、後者のことを指すのではないかと思う。
生まれ持った個性を活かしながら、自分に満足して生きれば人生を全うできる。
しかし、個性を活かすことができずに自分に満足できないまま生きれば、人生を全することはできない。
矯正するということは、矯正する側の思惑が存在しているものだし、その思惑にはコントロールしたいという思いが含まれていたりする。
もちろん、そういった思いは相手の為を思ってのことでもあるが、それを受ける側が快く感じるとは限らない。
相手の為に何かをしても、そこに合意がなければ相手のためにはならない。
矯正すれば、必ずそこにはストレスがかかるものだし、そのストレスが吉と出る場合の方が少ないように思う。
むしろ、時間が掛かっても一人ひとりが持った個性を育んでいった方が、当人はストレスを抱えることなく育っていく。
自分の思惑を押し通せば、他者に対してストレスを掛けることになる。
自分で決めて行動すれば、たとえ失敗しても満足できる。
他者の思惑に納得できないまま行動して、上手くいかなければ不満はずっと残ることだろう。
むしろ他者を矯正するのではなく、他者の個性を活かしていけるような援助をしていった方が、互いを尊重して生きていけるようになる。
そうやって互いが同じ方向を向くことができるようになったとき、人は自分の功を成すことができる。
人は他者の人生を生きることはできない。
この世界で成功している人は、自分の個性を活かしている人だ。
彼らは、持って生まれた素材を十二分に活用して生きている。
一般的に知られている人に限らず、身近なところで成功している人でも、彼らは彼らの個性を活かしているからこそ成功すことができているといっていいだろう。
成功は、人と異なることをすることで手に入れることができる。
成功の陰には、新しいとか、面白いとか、斬新だとか、微笑ましいとか、優しさを持っているとか、好きなことを極めているとか、行動力があるとか、たくさんのアイデアを持っているとか、いわゆる人よりも秀でた部分が存在している。
人よりも秀でたところが個性となるし、それを活かすことで自分を生きることができ功を成すことができる。
ひとつの型にはまることなく独自の個性を活かし、そのオリジナリティーを活かすことで自分を表現できる。
多くの人と同じように生きていたら型を破ることはできない。
しかし、自分の個性を活かしていけば、自然と他者と異なる人生を歩むようになっていくものであり、その結果、自分に満足できるようになる。
そして、そういったたくさんの個性が切磋琢磨し、一人ひとりが自分自身に満足して生きていけるようになれば、多様性のある豊かな社会を生み出していけるようになるだろう。
豊な森には、たくさんの異なる樹木があり、異なる樹々があることで多様性が生まれ、その多様性が豊かさを生み出している。
豊さとは、一つが欠けても他で補えられるという多重的な構造を意味している。
同じ種類の樹木では根の張り方が一応なため、土壌は強くならなず土砂災害が起こりやすいし、一つの疫病が蔓延すれば総倒れになる。
反対に、異なる樹々が存在する森では、地中に違った形で木の根が張り巡らされるため土壌は強くなるし、一つの疫病で森が総倒れすることはない。
豊さは、単一性ではなく多様性にあり、多様性とは異なる個性が重なり合い、他を補い合いうことで生まれるものだ。
豊な森のように、我々、ひとり一人が自分の個性を活かしていけば、多重的な豊かさのある社会を生み出すことができ、それぞれの人生を全うしながら生きていけるようになるだろう。
多くの人が自分に満足し、互いに自分のよさを提供していけるようになれば、多様性のある世の中を生み出すことができ、成熟した社会を生み出していくことができる。
個性という人とは異なる曲ったものを活かし、それぞれの個性を活かしあっていけば、豊かな社会を生み出していけるようになるだろう。
曲ったものを矯正するのではなく、曲ったものを活かすことで豊さを生み出していく。
そんな社会が、生きやすい社会となる。
自分の個性を理解し、その個性を活かしていけば人は幸せになれる。
個性よって自分が活き、自分を生かすことで幸せになることができる。
日本の自然は樹々の多様さが生み出している。
そんな自然を見習えば、よりよい生き方が見えてくることだろう。
自然の中には直線は存在しない。
自然は曲線によって成り立っている。