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お金を超えて生きる
今の世の中には、お金の有無が生活の質を決めるという幻想が存在している。
こういった幻想を多くの人が共有しているからこそ、誰もがお金を得たいと思うようになっているし、お金を軸にして思考することが当たり前になってしまっている。
こういったこともあり、お金を判断基準の上位に置き、いかにアクションを取っていくかというのが、今の我々の生き方になっているといってもいい。
とはいえ、お金が判断基準になってしまうことに歯がゆさを感じるものであり、その歯がゆさが我々の居心地を悪くしているといっていいだろう。
そして、この居心地の悪さを払拭していかなければ、我々は本当の幸せを手に入れることができない。
繰り返しになるが、お金をたくさん持つことが生活の質を決めるというのは幻想でしかない。
では、生活の質は何で決めることができるのか。
それは、今この瞬間をいかに生きるか、ということだ。
この今を充実させることで、生活の質を向上させることができる。
つまり、今この瞬間を夢中になって喜びで生きることとお金の有無は関係ないのだ。
お金をたくさん持っていても、今を生きることができなけば幸せを感じることができない。
しかし、日々の動作の一つひとつに心を込めて行うことができれば、生活の質はすぐにでも向上させられる。
お金と生活の質は、イコールで結ぶことは出来ない。
なぜなら、生命の本質はお金ではないからだ。
我々は、お金稼ぎをしたくて生きているわけではない。
持って生まれた自分の使命を果たしたいという思いが、我々の魂としての願いなのだ。
我々の使命とは、今この瞬間を喜びを感じて生きることであり、日々、楽しんで出来ることをして互いの喜びを交換し合って生きていく、これが我々の生きる目的といってもいいだろう。
お金という概念を超えた先に、魂の目的が存在している。
お金とは、いってみれば生き方に対する結果でしかない。
先日、「幸せがゴールではなく出発点」という記事を書いた。
これは、これまでの古い考え方をひっくり返していきたいという思いで書いている。
「幸せはゴールではなく出発点」とはどういうことかというと、幸せと感じることをしていれば幸せになれる、というとてもシンプルな原理のことだ。
「幸せと感じることをすれば幸せになる」ということは、原因と結果をイコールで結ぶことができる。
しかし、お金を稼いだら幸せになれるということは、原因と結果をイコールで結ぶことができない。
なぜなら、心を切り売りしながら、お金儲けをしても幸せを感じることはできないからだ。
とはいえ、日々、充実感を味わいながら生活の質を高めていけば、お金の流れがよくなっていくのは自然の摂理でもある。
好きなことに夢中になって、それに精通していけば、お金という結果がついてくるのは当然のことといっていいだろう。
しかも、自分の好きを生きれば自分の魂の目的を果たすことができ、その結果、経済面での安定も得られるようになるのは自然の流れとなる。
人は自分の好きなことをしていると、お金に対してズルをしようとは思わなくなる。
本当に好きなことを夢中になってしていると、むしろそれに時間が掛かったとしても、しっかりと仕上げたいと思うようになっていく。
お金に対してズルをしたくなるという思いは、早くお金を得て早く自由になりたいという思いがあるから生まれるもの。
つまり、ズルをしたいという思いが生まれるのは、本当に心からやりたいと思っていることをしていないということなのだ。
今、世の中にたくさんの詐欺が出回っているのは、お金さえあればという考えが蔓延している結果といってもいいだろう。
人は夢中になってできることを見つけることができれば、自分の思いに正直に生きていくようになっていく。
自分の純真さに気づけば気づくほど、人は嘘をつけなくなっていく。
そういった意味でも、自分の心が喜ぶことを心から楽しんで生きていけるようになれば、自分自身も社会そのものよくなっていくものなのだ。
そうなるためにも、「自分の好きを生きる」「自分の喜びで生きる」「夢中になれることをして生きる」という所を出発点として生きていけるようにならないと、我々はいつまでたっても、お金に隷属する社会で生きることになってしまう。
お金に惑わされずに生きる。
「お金があれば自由になれる」という考えを払拭し、「好きなこと、喜びを感じること、夢中になれることをしていれば豊かになって自由になれる」という考えが主流になる社会を生み出していかなければ、我々に進化はない。
そういった意味でも、まずは「本当に好きなこと」「心から喜びを感じられること」「我を忘れて夢中になれること」を見つけ出していくことが大切になってくる。
というのも「本当に」「心から」「我を忘れて」という言葉が付くようなことをしていないと、心にブレが生じてしまうからだ。
しかも、「本当に」「心から」「我を忘れて」できることが、我々の心の奥底に必ず存在しているものであり、それを見つけ出すことができれば人生がスムーズに流れるようになっていく。
「本当に」「心から」「我を忘れて」できることとは、「愛を持ってできること」と言い換えることができる。
「愛を持ってできること」をしていると魂と一つになって生きていけるようになる。
その一方で、「愛を持ってできないこと」を無理をしてすればするほど、人生の歯車が狂い出す。
なぜかといえば、それが道理だからだ。
今と一つになって喜びを感じ「愛を持ってできること」をしていれば、魂が喜びだし自然と道が開いていく。
魂が喜ぶことに、お金の有無は関係ない。
むしろ、金銭的な思考を超えたところに魂としての喜びが存在している。
お金の奴隷となって生きるのではなく、魂の奴隷となって生きる。
お金に隷属して生きるのではなく、魂の目的に隷属して生きる。
これが、我々本来の生き方といっていいだろう。
一人でも多くの人が、自分の魂の目的に気づいて生きていけるようになれば、今の社会のあり方を変えていけるようになる。
一人でも多くの人が、自分の魂の目的に気づいて生きていけるようになれば、この世の中の集合意識を変えることができるようになる。
よく特定の地域に芸能人が多く生れたり、ある地域にプロ野球選手やサッカー選手が多く輩出されたりすることがある。
こういった現象は、そういった地域の集合意識が全体に比べると異なっていることを表している。
身近なところで一人の芸能人やスポーツ選手が生まれると、その周りの人も「自分もできる」と思えるようになるものだ。
身近なところから何かを成し遂げた人が現れると、不思議と「自分もできる」と思えるようになっていく。
こういった「自分もできる」という思いが集合意識を変える力となっていく。
人は周りに影響を与えることができるものであり、一人の人が持つ影響力は、我々が考える以上に大きい。
だからこそ、自分が心から喜びを感じて生きていれば、必ずその影響を周囲に与えていけるようになるだろう。
そうやって周囲にいい影響を与えていきながら生きていけば、我々は我々が望む集合意識を創り出していけるようになる。
我々は、自分の好きと出会えたときに多大なパワーを発揮できるようにできている。
そういった力を使って生きるとき周りによい影響を与えながら、自分の可能性を広げていけるようになる。
自分の魂が喜ぶことをして生きるとき、優にお金を超えて生きられる。
自分の人生は自分の力で創造できる。
誰かに依存しなくても、自分の道は自分で生み出すことができる。
好きなことに夢中になって生きていれば人生がよくなっていくのは自然な流れである。
こういった確信を持って生きる人が増えていけば、この世界は必ずよくなっていくことだろう。
世の中を仕組みは、一人ひとりの意識によって変えることができる。
この世界に存在している「道理」を見つけることができれば、あとはそれに沿って生きていけばいい。
お金という人間ゲームを超えて、喜びという魂ゲームで生きるとき、人は自分の道を歩き出すことができる。
土の時代が終了し、これからは魂ゲームで生きる時代となる。
魂ゲームで生きるとき、風の乗って生きていけるようになるだろう。
お金を超えて生きる。
これができるようになったとき、これまでとは異なる景色を見ることができるようになることだろう。
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