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100)「情熱」が「意図」を生み、「観察力」を高める

人が何かをしようとするとき、「〇〇しよう」という思うのが「意思」であり、この「意思」に具体性を加えたことが「意図」といってもいいでしょう。

「思ったこと」を「どう行うか」、行為に具体性を加えることが「意図」になる。

ただ、生活の大半のことは「○○をしよう」と思うだけでできてしまうことが多かったりします。

ご飯を食べようと思ったときに「たくさん咀嚼をしようとか」、顔を洗うときに「綺麗に洗顔しよう」とか、そういった意図を持たずに行うことの方が圧倒的に多かったりします。

なぜかというと、一人で行うことは自分さえ満足できれば、それでよかったりすることが多いからです。

しかし、他者の存在があると「意図」を持てるようになったりします。

たとえば、noteで記事を書くときには、他者に読んで貰うことが前提になるため「分かりやすく書こう」とか、「誤字脱字がないようにしよう」といった意図を持つようになるものです。

しかし、単なる個人的な日記であれば、自分が読めて理解できればよかったりするので、具体的な意図を持たなくても済んでしまいます。

また、毎日筆で字を書いて、それをnoteに上げようとすると、少しでも上手に書けたものを上げようと思うものです。

料理を作るときでも自分だけの食事を作る場合は、味をさほど気にせず料理をするものの、他者のために食事を作るとなると、何度も味見をしたりするものです。

つまり、他者の存在が意図を持たせてくれるようになるため、結果的に自分の能力を引き上げてくれたりします。

しかも、自分が夢中になれること、楽しいと感じられることは、他者との交流を図りたいと思うものであり、他者との交流があれば、自然と意図が生まれてくるものです。

そこで意図通りに何かを完成させ、他者の理解を得られるようになると、そこに「喜び」が生まれてくるものであり、その「喜び」が新たな活力になっていったりします。

「好きなこと」「楽しいこと」「夢中になれること」は、「情熱」を傾けられることです。

「情熱を傾けられること」は、他者との関りがあった方が、意図を持って行動することになるため、成長速度が速まっていきます。

もちろん、他者とは関係なく、どんなことでも「意図」を持ってすることができれば成長速度は上がっていくので、大切なことは「意図」を持った行為ができるかどうかです。

ただ他者との関りが「意図」を持ちやすくしてくれることから、他者との関りがあればあるほど、成長速度を上げていくことができるようになります。

「意図」が行為の質を上げてくれます。

「意図」を持つということは、「最終的な仕上がりを思い描くこと」だけでなく、「そこにたどり着くまでの過程」を考えることでもあり、「そこにたどり着くまでの過程」は、「観察」によって導き出すことができます。

しかも、明確な意図を持てるようになると、どのように「観察」すればいいかが分かるようになっていくため、観察する力が上がっていくものです。

観察する力は経験値によって生み出されます。

プロの料理人が食材や調理の工程にこだわるのは、様々な観察の結果がそうさせるからです。

色々な組み合わせを試してみるという「観察」があって初めて他者に提供できる料理が生み出されます。

描写には「あるがままの姿をうかび上がらせるように、描き出すこと」という意味があるため、画家や小説家など描写を行うクリエイターには「観察」が欠かせません。

「観察」には、眺めるということだけでなく、試行錯誤の中から最適な組み合わせを見つけ出すという意味もあるため、何度も観察を繰り返すことによって「意図」する結果に近づけていけるようになるものであり、この「観察」に力を注げるかどうかが、大きな鍵となっていきます。

「観察」には想像以上の労力が必要であるため、「観察」に力を入れらるかどうかが、結果の善し悪しを決めてしまいます。

そこで問われることが、多大な労力を必要とする観察を継続して出来るかどうかということです。

この「継続して観察できる能力」を別な言葉に言い換えると、「夢中」ということができるでしょう。

なぜかといえば、夢中になることができなければ「継続して観察」ができないからです。

逆の言い方をすると、興味のないことを観察し続けることは難しいということです。

したがって、興味のないことを無理に挑戦しても、いい結果を生み出すことは難しいといってもいいかもしれません。

あるいは、何かを達成しようとするならば、その対象に対して深く興味を持たないと、観察という試行錯誤を乗り越えられないということもできます。

それくらい「観察」という行為はハードルが高いと考えることができます。

しかし、この観察という行為を夢中になってできるようになると、精度の高い結果を導き出すことができます。

観察という行為は、その対象の中の法則性を見出すということでもあるため、ある一定の法則性を導き出すことができれば、あとはその法則を使っていけばよく、それ以降の行為が楽になっていくものです。

また、観察を通じて、ひとつの法則を見つけることができれば、それをもとに応用もできるようになっていき汎用性が高くなっていきます。

つまり、観察するということは労力が必要になるものの、観察を通じてあるひとつの法則性を見出すことができるようになれば、その法則性によって精度の高い結果を導くことができるようになっていくとっていいでしょう。

そういった意味では、やはり情熱を傾けられることをすることが一番なのかもしれません。

どんなに労力がかかっても、それを達成したいという思いが必要になってくるからです。

夢中になれることであれば、「こうしたい」という意図を自然に持てるようになるものであり、「どうすれば」という思いも、観察という試行錯誤を乗り越えられるようになっていきます。

しかも情熱を持って行えることであれば、無理をすることがないため、意図を持つことも、観察することも自然とできるものであり、楽しみながら結果にたどり着くことができるようになっていきます。

「情熱」が「意図」を生み、「観察する力」を向上させ、「最良の結果」を生み出していく。

「情熱」があれば、物事はうまく運んでいくといっていいでしょう。

そして、情熱を傾けられる物事を、他者との関わりのなかで表現していけるようになると、さらに自分自身の成長速度を上げてくことができるようになると思います。

「情熱」が「意図」を生み、「観察力」を高め、「最善の結果」を導き出す。

何かに夢中になっていれば、それだけで結果を導き出すことができる。

「情熱」から、こういった法則を導き出すことができるといってもいいかもしれません。

こういったことから、楽しい人生を歩んでいくためには「情熱」を傾けられる対象に向かい合っていく、ということが最良の方法なのだと思います。





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