幸せは、小さな積み重ねで築く
小さな幸せを積み重ねて過ごしてく。
それが幸せへの近道といっていいだろう。
若い頃は、強く結果を求めてしまい、空回りしてしまうことが多かった。
望む結果を得ることができれば幸せになれる。
だから早く結果を得たい。
そんな思いが強すぎると常に肩に力が入ってしまうし、望んだ結果を得ることができないと落胆してしまう。
早く結果を出そうとするれば急いた気持ちが生まれ、それが苛立ちにも繋がっていく。
そういった心持で日常生活を送っていると感情が波立ってしまい、心身ともに疲弊していく。
しかし、年齢を重ねるごとに「結果を強く求めれば求めるほど上手くいくことはない」ということを理解できるようになった。
強く求めるという行為は、幸せとは真逆の状態を生み出してしまう。
幸せを強く求めるがゆえに、幸せを遠ざけてしまうというパラドクス。
むしろ幸せになるには、小さな積み重ねが必要なのだと考えを変えるようになった。
このことに気づいて腹に落とすまでにだいぶ時間も掛ったが、今は小さな積み重ねが幸せ近づくための最適な方法だと納得できるようになっている。
幸せの状態のひとつに、「リラックスして過ごせる」という姿がある。
心と身体は繋がっているから、ネガティブな思いを常に持って生きていると心身ともに疲弊していく。
しかし、どんなときでもリラックスした状態で生きることができれば、心も身体も元気になっていく。
そういった活力のある状態が、幸せの状態といってもいいだろう。
幸せを積み重ねていくと、時として飛躍が起こる。
ある一定の臨界点を超え、幸せの歯車がスムーズに回転するようになると、自分では意図することのできない飛躍が起こる。
どういうわけか幸運と呼べるようなことが続いたり、それまで難しいと思えていたことが簡単にできるようになったりする。
そういった飛躍が起こるのも、日々の小さな幸せの積み重ねで起こる現象だといってもいいだろう。
幸せの総体を少しづつ大きくしていけば、その重みで自然と幸せが回転する。
もちろん飛躍を望んで行動すると、余分な力や感情の波を生み出すことになってしまうため、それを望んで行動することはいいことではない。
前回の「幸せは、相応しい自分で生きること」の記事にも書いたが、70%くらいの力感で、リラックスして心地よく過ごしていけるようになると、幸せが身近になっていくことだろう。
幸せは求めるものではなく、幸せの状態で過ごしながら少しづつその規模を膨らませていけばいい。
日常の生活の中から小さな幸せを見出し、それを膨らませていくことで幸せを自分のものにしていく。
小さな幸せを発見する力と、それを吸収していく力で幸せを規模を大きくし、たまに飛躍を感じながら生きていくのが丁度いい。
70%くらいの力加減で柔らかく、かつ丁寧に。
休息を加えつつ長い目でやっていくのが、幸せになる最短コースとなる。
「急がば回れ」は、人生をよりよくさせるパラドクス的な格言であり、真理の言葉といってもいいだろう。
急ぎ過ぎて疲弊してしまうと、遠回りすることになる。
しかし、着実に歩んでいけば、確実に目的地にたどり着く。
老子は「曲っているものほど、人生を全うできる」という。
真っ直ぐな木は、その真っ直ぐさゆえに切られてしまうが、曲った木は曲っているからこそ切られることがなく、木としての生命を全うできる。
時間が掛かっても丁寧にしたことは自分の血肉になる。
慌てて何かをし、一時的に上手くいったとしても、それが自分のものとして習得できたわけではない。
丁寧に積み上げれば、しっかりとした土台を造ることができ、しっかりとした土台があれば、多少のことでぶれることはないだろう。
結果重視ではなく過程重視で生きていけば、結果は必然的についてくる。
いい過程があってはじめて、いい結果が生まれるものだ。
強く求めれば遠ざける。
人生はパラドクスに満ちている。
人は逆説的に生きることで、幸せに近づいていくことができる。
頂点を目指すより、平原を悠々と生きた方が幸せになれる。
重力に逆らわず、重力を上手に使っていけば、幸せになることができるだろう。
小さな幸せの積み重ねで、幸せを広げていく。
今この瞬間の着実な一歩が、幸せの正体なのだ。
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