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自分を知って、それを活かせば幸せになれる

気分が乗らないこと、やっていて楽しさを感じられないこと、そういったことをずっと続けているとカルマを増やしてしまうことになる。

自分が望んでいないことをするということは、その思いに負の要因があるということであり、負の要因を持ったまま行動すればそれがカルマになっていく。

カルマとは、乗り越えなければならない壁ということができるし、もっと分かりやすい言葉にすると「課題」といってもいいだろう。

自分が望んでいないことを敢えてしていけば、そこに葛藤が生まれるのは当然のことであり、葛藤を抱えたまま生活していると心身が疲弊していく。

心身が疲弊してしまうと、それを改善しなければならなくなるし、改善しなければならないことは課題となる。

つまり、心が望んでいないことを継続的にしていると、新たな課題を生み出してしまうことになる。

しかし、自分が望むことや心地よくできることをしていると、新たな課題を増やすことなく自分がすべき人生の課題をすんなりと超えていけるようになる。

昨日のつぶやきで、次のようなことを書いた。

相応しい自分で生きるには、自分に相応しいことをして生きればいい。自分の特徴や資質を知り長所を活かしていけば、越えなければならない人生の課題を無理をすることなく越えられる。相応しい自分で自然体で生きれば、最大限の力を発揮でき、幸せを感じて生きていける。相応しさとは、自分を知ること。

「相応」

自分の資質や特徴を知り、自分が活きる術を理解して行動すれば、この人生ですべき課題を難なく超えていけることだろう。

我々は、魂の課題を解決するために、この人生を生きているといわれている。

そして、魂の課題を解決できる環境のもとに生まれ、その課題を克服するための能力を備えて生まれてきているともいわれている。

であるならば、自分の特性や資質を十分に理解し、それらの能力を活かして生きていけば、魂の課題というべきカルマを解消できるようになる。

また、好奇心や興味関心を持つこと、やっていて楽しいと感じることは、自分の特性や資質に合致することと考えられるし、何かに惹かれるということは人生の課題を克服していくための一つのサインと考えることができる。

その一方で、気が乗らないことややっていて楽しいと感じないことは、自分の資質や特性と合致するものではないということだし、そういったことを薄々感じながら続けていると、結果的に生まれ持った課題以外に新たな課題を加えてしまうことになる。

自分の人生の課題を減らしていくには、自分を知って心から楽しんで出来ることをしていくことが最適な方法だといっていいだろう。

もちろん、楽しいと感じながらできていることでも、改善すべき課題は生まれるものだ。

しかし、望んでしていることで生じた課題であれば、それを丹念に乗り越えていけば人生の課題を減らしていけるようになる。

楽しんでできることは課題であっても前向きに挑めるものだし、そういった課題に取り組んでいく中で、自分を成長させるような気づきを得られるようになる。

前向きな気持ちで挑み、そこで得た気づきは人を飛躍させることになるし、飛躍が起こればその分、生まれ持った課題を減らすことができるようになる。

課題とは重い荷物であり、重い荷物を持ったままだと高く飛ぶことはできない。

余分な荷物を手放して身軽になれば、飛躍が起こるのは当然のこと。

飛躍を起こすには情熱というエネルギーが必要であり、自分の資質を十分に理解して心から望んで出来ることを情熱を持って行えば飛躍を起こすことができる。

情熱は自然発生的に生まれるものである。

好きと思えることややっていて楽しいと感じることは、自然と力が入って行くものであり、それが情熱へと変換される。

だから、無理をして自分に渇を入れる必要もないし、楽しいと思えることをただ楽しんでいれば情熱は自然と生まれる。

自分に相応しいことをして相応しい自分で生きていれば情熱が生まれ、その情熱が飛躍を起こす火種となる。

継続的に楽しんで出来ることが情熱となる。

情熱とは、常に熱を持って出来ることといってもいいだろう。

常に熱を持って楽しんで生きれば、課題というべき負のカルマを解消でき、人生に飛躍を起こすことができる。

そうなるためにも自分に相応しいと感じることをして、力むことなく等身大の自分で生きていけばいい。

楽しみながら喜びの波動を出すことができれば、周囲に善い影響を与えることができるようになる。

自分が好きと感じること、楽しんでできることしていけば、人生の課題を解消できるようになるだけではなく、善いカルマも積んでいけるようになる。

善いカルマを「徳」といってもいい。

人が喜びで生きるとき、その喜びの波動を周囲の人に伝えることができ、それを受け取った人は明るい気持ちになったり、やる気を持てるようになったりする。

プラスのエネルギーを他者に与えれば、それが「徳」となる。

もちろん、喜びの気持ちで何かを生み出しそれを渡せば、受け取った人も喜びの気持ちを感じるようになる。

いい商品が、他者を喜ばせるのは当然のこと。

喜びのエネルギーを伝播させ徳を積んでいくことで、この人生ですべき課題を解消し、やがて徳を積んでいけるようになるだろう。

喜びのエネルギーを他者に渡していくことで負のカルマを解消し、徳を積んでいくことで正のカルマを加えていく。

幸せは「しなければならない」という課題を減らし、「これをしたい」ということを喜びの気持ちで行うことで実感できる。

我々は誰もが喜びを感じて出来る能力を持って生まれてきているものであり、それを活用していけばいい。

自分の心の声に従って心地いと感じること、自分に相応しいと思えることを継続的にやっていけば幸せを実感できるようになるだろう。

軽くなれば幸せになれる。

自分に相応しい自分で生きれば、軽快に生きていくことができる。

自分を知って自分を活かせば魂の課題を克服できるようになり、徳のある人生を過ごせるようになるだろう。




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