決意で、自由と幸せを手に入れる
生きていると、どうしても「なぜ?」「どうして?」といった思いが生まれるものである。
そういった「なぜ?」「どうして?」を、放置せずに丹念に解決していくと、迷いがなくなっていくため、生きることが楽になっていくことだろう。
迷いを別な言葉に言い換えるなら「葛藤」ということができる。
葛藤とは「心の中に相反する感情」という意味であり、いわば前に進みたい思いを持っていながら、それを踏み留まらせようという思いであるため、「なぜ?」「どうして?」という疑問を解消することができれば、前に行くか、それとも留まるかの結論を下せるようになる。
そうやって相反する感情のどちらかを手放すことができれば、モヤモヤする思いがなくなっていき、心地よく生きていけるようになるだろう。
モヤモヤする感情をが生まれるということは、自分にとっての課題が出現したということであり、それを解消することができれば、自分自身を成長させるようになる。
課題は、大小を問わずに解決していけば迷いがなくなっていくから、その都度、自分を成長させることができるようになる。
ここでいう成長とは、幸せに近づいていくという意味である。
このことは自我よりも魂の方が理解しているといっていいだろう。
自我は、モヤモヤするような課題から逃れたいと思う一方で、魂はそういった課題に挑み克服したいという思いを持っている。
このため、自我が課題から目を逸らそうとしようとすればするほど、魂はその課題に向き合わせようとするため、課題から逃げようとすれば困難と感じるような出来事が増えていくようになっていく。
だから、もし今現在、心の中でモヤモヤするような葛藤を抱えているなら、そこから逃げようとするのではなく、腰を据えて向かい合った方がいい結果を得られるようになるだろう。
もちろん、課題に向き合うことは苦しさを伴うものでもある。
しかし、その苦しさを受け入れて課題と向き合っていけば、いつか必ずその答えが導き出されるようになっていく。
課題は、自分の身の丈にあったものがやってくるから、必ず克服できるもの。
また課題を克服できた状態は、頭で考えたこととは異なることも多いため、課題に向き合っていれば「いつの間に課題を克服していた」ということも起こったりする。
このため、課題と感じることに向きあって「なぜ?」「どうして?」という疑問にその都度対処していると、課題の規模が大きくなる前に解決でいるようになる。
この宇宙の法則には、逃げれば追われ、真摯に向かい合えば消滅すると法則が存在しているから、腰を据えて対峙するという姿勢を持つことができれば、課題は必ず解消できるようになるだろう。
もちろん、対峙することに怖さを感じることもあるけれど、一旦、腰を据えて向かい合うと決めれば、「逃げるという流れ」から「克服するという流れ」に変えることができる。
決めることが大事だといわれる理由は、決意することによって自分の望みに応じた流れを生み出せるようになるから。
このため、決意すれば解決の方向に向かっていくのは当然のことといっていい。
課題を克服するための情報は、自分の思いに応じたものがやってくる。
情報は自分が決めた未来からやってくるものであり、課題を克服すると決めれば、その決意に応じた内容のものがやってくる。
そして、そこで得た情報に応じながら、「なぜ?」「どうして?」を丹念に答えを見つけ出していけば、徐々に課題を克服していけるようになっていくだろう。
課題が克服された先にあるのは、自由である。
課題とは、いわば制限であり、そういった制限を克服していけばいくほど、人は自由を感じられるようになる。
自由を感じるということは幸せを感じることでもあるため、課題を克服していくごとに、人は幸せを感じられるようになるだろう。
課題は、幸せになるために存在している。
課題という制限から逃げている限り、幸せになることはできない。
だからこそ、たとえそれが小さいことであっても、目の前に現れた「なぜ?」「どうして?」という思いは解消させていった方がいい。
人は迷いを消すことで前に進めるようになるものであり、迷いを消すには強い気持ちで決意することが必要になる。
決意とは、どんな未来を迎えるかを決めることであり、どんな未来を迎えたいかをより具体的に決めることが強さとなる。
決意したからといって肩に力を入れる必要はない。
決意することによって、流れを生み出すことができる。
流れとは高いところから低いところへと向かうものであり、決意という湧水を導き出せば、あとは流れに従っていけばいい。
流れに歯向かうことなく自然な力を利用して流れていけば、大海という自由を得ることができるだろう。
大海を自由気ままにさまよう幸せが、決意した先に存在する。
人は決意することで、自由と幸せを手に入れられるようになる。