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加賀乙彦『ドストエフスキイ』

加賀乙彦『ドストエフスキイ』(中公新書、1973)を読んだ。

加賀は「ドストエフスキイの文学を解く鍵の一つは癲癇てんかんである」と言う。

 作品の背後に顔を見せる作者ドストエフスキイは癲癇という病気をもっている。そのことについて、精神科医である私は興味をいだかざるをえない。癲癇の精神病理と創造という課題に筆がすべっていった。そしてドストエフスキイ文学の核心に癲癇の影が濃密に落ちているのを発見した。     

加賀乙彦『ドストエフスキイ』中公新書 p.194(あとがき)

「あとがき」でも強調されるこのような立場から、ある疑いを抱いてしまいそうになる。
著者は「ドストエフスキー文学の核心」に先立って「まずてんかんありき」という固定観念にとらわれていなかっただろうか?

たしかに、ドストエフスキーには「てんかん」という固有の疾病があった。また、彼はしばしば登場人物に「てんかん」の持病を与えた。最も有名なのは『白痴』のムイシュキンであるが、ほかにも『悪霊』のキリーロフはてんかんの徴候を示すし、『カラマーゾフの兄弟』のスメルジャコフは激しいてんかんの発作を起こす。

だが、ドストエフスキーが、小説の登場人物の造形に際して部分的に自分自身を投影しがちなタイプの作家であったとすれば、しばしば「てんかん」を持病とする人物を描いたとしてもとくだん不思議なことではない、とわたしは思う。

加賀は、精神医学の知見に基づき、てんかん患者に特有な気質、性格とされる「粘着性格」なるものについて説明する。加賀によれば「粘着性格」とは「感情の動きかたが集中的で濃密で粘りつくような特徴をそなえている人」である。その濃密な感情が密着する対象は、生まれた土地や職業や家族などであるようだ。

 感情の動きが対象や秩序に密着の度を加えると、ついにはそれらに粘着して、精神活動も緩慢になる。まるで静止したような人物は実のところ内面に異常な緊張をかくしていて、何かのおりに突然激しい昂奮におちいる。爆発がおこるのである。

同上 p.117.

この感情の「爆発」がしばしばてんかんの発作にかかわる。
加賀によれば、このような粘着と爆発の二極性、すなわち「社会にべったりと貼りつく傾向」と「衝動にまかせて行動する爆発性」はてんかん患者に見られる特有な性格である。これは「学会の通説」なのだそうだ。

そして加賀は、同時代人の証言等に基づき「ドストエフスキイについて人々が言っている特徴のなかで癲癇性格に合致しないものを探すのがむつかしいくらい、彼は典型的な癲癇性格者なのである」と主張する。

ちなみにわたし自身も一個のてんかん患者である。

そもそも「粘着性格」の者がてんかんを発症しやすい傾向にあるのか、てんかんの症状が「粘着性格」の形成を促すのか、よく分からないのだが、ともあれ自分が「粘着性格」に該当するかどうかと言えば、なるほど、粘着と爆発の二極のうちの前者については、あながち「該当せず」とも言えないように思う。

わたしの場合、粘着の対象は、例えば「文章」であるかもしれない。
読むにしろ書くにしろ、「濃密で粘りつくような」緩慢な作業になりがちであり、しばしば静止してしまう。おそろしく「遅読」かつ「遅筆」であるのも、そのせいだろう。
一方で「爆発」については、あまり心当たりがない。もっともこれについては、日常的な抗てんかん薬の服用によって発作を抑えているせいかもしれない。
おかげで、もう十年ほど自覚的な発作を経験していないが、定期的に脳波検査をすると未だに所見が現れるので完治したわけではない。

ドストエフスキーはたびたび大きな発作を繰り返したようだが、おそらく当時は効果的な抗てんかん薬がまだ普及していなかったのだろう。そう思うと、医学の進歩は有難いものだと実感する。

てんかん者としてのドストエフスキーを詳述する本書の中でわたしが共感したのは、この大作家が発作に伴う記憶障害にひどく悩まされていたという指摘である。
作家にとってたびたびの記憶の消失は実際に厄介な災難であったことだろう。
加賀は「ドストエフスキイが常に熱心に創作ノートをとったのは、癲癇発作との闘いのさなかで彼が考えだしたぎりぎりの作戦であったと思う」と書いている。

わたし自身、十年前の大きな発作に伴い、部分的ではあるが、かなり長期間にわたる記憶の欠落が生じてしまった。
その大発作を経て「側頭葉てんかん」の確定診断を受け、治療を開始することになったのだが、それ以前にも短期記憶の消失という症状はしばしば起こっていて、それが仕事上のトラブルを招いたことも一度ならずあった(当時は疲労やストレスのせいかと思っていた)。

てんかん専門の診療所への通院と服薬を始めてからも、記憶が定着しにくかったり、言葉が出にくかったりする傾向は、依然として続いているように感じる(もっとも、年のせいもあるだろうけれど)。
記憶障害や言語障害は側頭葉てんかんの代表的な症状とされているので、ドストエフスキーもおそらく側頭葉てんかんであったのではないだろうか。

話を戻そう。

加賀は、精神科医としてドストエフスキーのてんかんに着目し、その病歴、病態を本人の書簡や家族らの記録に基づき緻密に調査・分析したうえで、てんかんがドストエフスキーの気質や性格と、さらにその登場人物の造形や描写と、いかに深く関わっているかについて力説する。

それはそれで非常に興味深い論点であるのだが、しかし、残念ながら、その先の発展性が感じられないのだ。
つまり作者本人のてんかんという疾病が、またしばしばその疾病を持つ登場人物が現れることが、作品においてどのような意味を持つのか、作者が小説で描こうとした生の本質や、作品をとおして主張しようとした中心的思想とどのようにかかわるのか、それがよく見えてこないのだ。

加賀の方法論は、ドストエフスキーの諸作品を、主人公や登場人物の心理分析、性格分析によって読み解こうとするものである。しかし、その方法論がなんらかの結論にうまく着地しているようには、わたしには思えなかった。

たとえば、加賀は『カラマーゾフの兄弟』のドミートリーの性格の解明こそが「ドストエフスキイ文学の総決算」であると述べ、彼が被告となった法廷における検事論告の場面に注目する。
その論告の中でイッポリート検事は、ドミートリーの性格に見られる真の高潔さと最低の下劣さの共存に、ロシア的性格の広範さ、すなわち極端な矛盾を両立させ二つの深淵を同時に見ることができるロシア人の心性を見出すのだが、加賀は、このドミートリーの「ロシア的二重性」の解釈に際して「癲癇者ドストエフスキイ自身の二重性についての自己洞察」を読みとればよいのだ、と主張する。

しかし、仮に、ドストエフスキーの視野が「ロシア的性格の解明」や「てんかん者の自己洞察」に局限されているとしたら、あるいは控えめに言って、そこに中心的な眼目があるとしたら、果たしてドストエフスキーの文学は時代や国を超えて綿々と読み継がれるものとなり得ただろうか?

ドストエフスキーという作家の本質は、「ロシア的性格」や、ましてや「てんかん者」に限定されない、より普遍的な「人間」という存在の根源にかかわるものではないだろうか?

なんだか批判じみた文章になってしまったが、正直に言ってわたしは本書に込められた著者の想いを十分に深く咀嚼できたとは思っていない。
なので、この場で自信をもって反論できるわけでもない。

むしろ、本書の中で(わたしにとって)非常に重要であると思われた著者の指摘を二点挙げることで、この文章を締めくくりたい。

ひとつは、『カラマーゾフの兄弟の』のイワンが容貌や容姿の特徴を欠いている、すなわち「顔形、目の色、背の高さ、いっさいが不明」という指摘である。加賀はイワンについて「観念だけで肉体を欠く、まるで幽霊のような人物」と評する。

ドストエフスキーの小説作品の中でも最重要人物の一人であるイワンに「身体的特徴がない」とすれば、これは確かに驚くべきことである。
一般的にドストエフスキーの作品では、自然描写が乏しく、都市生活の情景にしても必要以上にこまごまと描かれることがない一方で、主要な登場人物の容貌や身体つき、服装等についてはむしろ饒舌に語られる、という印象があるからだ。

ドストエフスキーが「うっかり忘れた」とは考えにくく、イワンが「肉体をもたない」ということには、必ず何らかの意味があるはずである。加賀の指摘が正しいとすれば、きわめて貴重な問題提起と言えるだろう。
(だれかこの問題提起に答えた研究者、評論家等はいるのだろうか? わたしには分からない。)

もうひとつは、『悪霊』のスタヴローギンの犯罪についての指摘である。
スタヴローギンは、十二歳の少女を凌辱し、愛情を示し始めた少女を突き放したうえ、絶望のあまり首を吊った少女の様子を盗み見て、その死を見届ける。背筋の凍るような冷酷な犯罪者である。
加賀は、スタヴローギンが、その犯罪の一部始終を、自ら綴った手記によって高名なチホン僧正に告白する場面を取り上げる。

この「スタヴローギンの告白」と題される一章は、その内容のあまりの醜悪さのために『悪霊』を連載していた雑誌から掲載を拒否され、結果お蔵入りとなり、作者の死後数十年も経ってから公表されるに至ったいわくつきの場面である。
手元の『悪霊』新潮文庫版(江川卓訳)では、同章は、全編の巻末に詳細な訳注とともに収録されている。

加賀は、同章で描かれるスタヴローギンとチホンとの対話に注目し、「冷たい人スタヴローギンが、熱い人チーホンと理解しえるということ、犯罪者中の犯罪者が聖職者中の聖職者に近いこと、ここにこそ透徹した洞察がある」と指摘する。

 両極端が相接する地点がある、ということは言葉の遊びではない。チーホンは「完全な無神論者は完全な信仰に達する」というが、これを「真に犯罪とは何かを知る者は、犯罪のない理想的な人間を知る」と、やさしい次元の言葉に置きかえてもよいだろう。

同上 p.181.

加賀はまた次のようにも書いている。

……この(殺人や強姦のような)肉体の深みから湧きあがる犯罪こそが、神を導きだす糸なのである。スタヴローギンとチーホンの対話はまさしくその微妙な場所において取り交わされている。少なくとも私にはそうとしか思えないのである。

同上 p.186.

「真に犯罪を知る者は人間の理想を知る」「肉体の深みから湧きあがる犯罪こそが神へとつながる糸である」とは、なんという逆説だろうか。
だが、これこそがドストエフスキーが「透徹した洞察」によって見抜いた「犯罪の本質」である、と加賀は言いたかったのだろう。
そして加賀はそのようなドストエフスキーの洞察に深く共感している。

あるいは、そのような洞察の原点にあったものは、シベリアの監獄で四年間の徒刑を強いられたドストエフスキーの異様な体験であって、それが東京拘置所で医官として約一年半勤務した加賀の体験とみごとに響き合った、ということなのかもしれない。

いずれにせよ、加賀が『悪霊』から巧みに拾いあげた「無神論から信仰へと至る回路」あるいは「犯罪から神へと至る回路」という概念、これもまたドストエフスキーを読むうえで非常に重要な主題の一つであると思う。

ついでに言えば、この主題はとりもなおさず、加賀の代表作となる長編小説『宣告』にもかかわっている。
加賀が『宣告』の雑誌連載を開始したのは、本書刊行の二年後である。










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