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命のコスパ-2053年の尊厳死- 第10話

親殺し

 NPO法人「トーチ」で働いていると、どうしても自分たちの手には余る相談を受けることがある。
 それが「親に尊厳死を勧められないか」というものである。
 自分が尊厳死をしたいと相談にくるのなら、「トーチ」で支援できる。そもそもの意思確認が一番大変だが、まず話が聞ける。その後に本当に意志が変わらないなら、行政手続きの説明をし、書類を渡して記録する。いつ辞めてもいいと念押しもする。
 だが、割合にするとそれは相談の半分くらいだ。残りの半分は、どうにかして自分の親の始末を付けられないかという相談である。
 そういう相談者は主に40代から50代、男性が多い。ちょうど彼らの親が、75歳を越えた辺りから途端に増えだす印象だ。
 尊厳死法は、本人以外申請できない。当然といえば当然だが、自殺教唆をするためのものではない。これは建前でもなんでもなくそうである。実際に相談窓口になる「トーチ」でも、そういう相談者にできることは少ない。
 話を聞くと、ほとんどというか全員介護の問題に直面している。大抵は両親のどちらかが亡くなるか、両方介護が必要になってしまったが、生活がままならないのでどうにかならないか、という相談だ。
 介護の需給バランス崩壊は、10年前に特に問題になったが、それ以前からくすぶり続けている。
 10年前の2040年代は、団塊の世代が後期高齢者になり、比例して介護の需要が激増し続けた。反対に介護職の人手不足は慢性化しており、求人はずっと出っ放しだし、定着率も低い。今以て、3年後の離職率は6割を超える。
 とどのつまりは、老人の押し付け合いである。
 介護が必要になる老人は、当然ながら生活に何らかの問題を抱えている。そうした人が必要とする入浴介助や清拭、食事介助、排泄物の処理や摘便などは、肉体的にかなりの重労働である。
 だがとにかく嫌がられるのは、介護が感情労働であるという動かしがたい事実だ。
 肉体的な負担よりも、介護しているのに怒鳴られる、暴れる、言うことを聞かない、話が通じない、下手をすれば排泄物を投げつけてくるという老人の相手が、とにかく忌避される。付き合っていられないということだ。
 正直に言えば筆者もやりたくない。務まる気もしない。
 何にせよ、「トーチ」の範疇ではないので、できることは少ない。地域包括支援センターに連絡を取って、福祉につなげることがせいぜいである。

「トーチ」は蒲田にあるので、連絡をとる地域包括支援センターは自然、大田区のものになる。相談の半分がそんな調子なので、かなり頻繁に連絡を取ることになる。結果として、窓口の担当者とも面識ができた。
 地域包括支援センターでケアマネージャーをしている岸田真里さん(仮名)は、75歳の後期高齢者であり、同時に同じかそれ以上に老いた要介護状態、要支援状態にある人達を支援する立場にいる人だ。
 一度、電話口で話していても埒が明かないことがあり、そういうときは相談者を直接引き合わせることになった。
 結局その時は、相談者の方が折れる形になり、尊厳死の行政窓口にはいかず、介護サービスを申し込んで終わった。はっきり言えば「トーチ」の支援内容とは無関係なことに半日以上時間を取られたこともあり、ぐったりしてしまった。そんなときに岸田さんは「若いのに大変ですね」と声をかけてくれたのだ。
 つい、少し話せますか、と聞いてしまった。岸田さんは驚いた素振りもなく、時間を確認して「少しなら」と応じてくれた。
 地域包括支援センターの窓口がある、社会福祉センターで相談者が退席した後、そのまま残って話を聞いた。
「いつも電話でお話してましたけど、こんなに若い方だとは思いませんでした。珍しいですよ」
 穏やかというか鷹揚というか、岸田さんはとても頼れそうな雰囲気がある人だ。年齢に比してとても若々しい。細腕ながら肝っ玉母さんの様相である。つい筆者も愚痴っぽくなってしまった。
「トーチ」は尊厳死の支援なのに、要するに介護が嫌で親に死んでもらおうとするひとが多くて困る、と言った。
 岸田さんは、ぎゅっと唇を噛んで、そうですね、と零した。しまったと思った。だが、そのまま岸田さんは諭すように言ってくれた。
「どんどん私に回して下さい。そういう仕事ですから」
 きっぱりとそう言ってくれた岸田さんは、小柄なのにとても大きく見えた。
 岸田さんのように精力的な人がいる、というより、そういう人でないと残らないのだろう。介護を生計にしている人は、例外なくタフである。
 回して下さいと言われたが、頼りたい気持ち半分、心配半分であった。人手不足は末端もいいところの自分ですら感じているのだ。本丸の介護職となればどうなのだろうか。
「老老介護が基本ですよ。今の人は90歳100歳まで、かなりの人が生きますからね。若い人はやりたがらない仕事だし、70を過ぎるともう仕事がありません。私も看護師からの転職組ですよ」
 道理で肝が据わっている。長年患者に寄り添ってきた人なのだ。それにしても、老老介護が基本と言われてしまうと、先細りしか見えない。ちょっと考えればわかることだ。100歳の人を70歳の人が介護するのが現状で、共倒れにならないのだろうか。
「ずっとそうですよ。10年前にこの業界に来ましたけど、その前から。だあれもやりたがらないから仕方ないんですよ。外国人の受け入れもありましたけど、無理無理。日本人がやりたがらない仕事は外国人だって嫌でしょ」
 ぐうの音も出ない。
 そもそもが、感情労働であることが嫌がられているのに、言葉の壁がそこにあると、もう立ち行かないだろう。そもそも日本の賃金相場は諸外国に比べて良いわけでもない。途上国からの労働力輸入は加速しているが、農業や工業、加工業などが大半だ。介護職は社会保障費の削減が続いた影響で、給料も安い。それでは誰もやりたがるわけがない。
 となると現場でなんとかするしかないが、それで済むものなのだろうか。
「なんともならないですよ。相談に来てくれる人はまだよくてね、孤独死が普通なんです。もうニュースにもならないから、みんな忘れてるんでしょうけど。異臭がするって苦情が役所にきて、行ってみたらお亡くなりになっていた、っていうアレですよ」
 淡々と語ってくれたが、予想以上になんともなっていない。放置である。
「昔は親を見捨てるのかって話も聞いたんですけどね。今は……だいたいが「死んだら連絡下さい」とか、「もう一切連絡しないでくれ」って言われるばっかりで。そうなると成年後見人をたてなくちゃいけないし、そこでまた揉めたり……。
 私としては、精一杯生きてきたのに、って思うんです」
 他人事ではないのだろう。岸田さんはまっすぐに辛さを顔に出していた。
 岸田さんから、尊厳死を希望しているという人をつないでもらったことも何度かある。その度に、きっと忸怩たる思いがあったのだろう。
 そこで思い当たる。岸田さんも75歳を超えている。今は年齢が信じられないくらいに元気だが、いつ自分が介護される側にまわるかわからないだろう。そういう場面は何度も見てきたはずだ。
 どうする気なのだろうか。
「旦那は亡くなっちゃったし、息子は忙しいから……。体が効かなくなったら、「トーチ」のお世話になろうかと思ってます」
 精一杯生きてきたのに。
 他人にはそう言える人が、自分は筆者を見つめて、尊厳死を考えている。
 それが今の現実だった。

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