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命のコスパ-2053年の尊厳死- 第11話
執行人
自殺請負。そう揶揄されても確かにそれは必要で、求める人がいた。事実、尊厳死法の利用を希望する人への援助を目的としたNPO法人「トーチ」は、尊厳死法成立の翌年から活動を開始している。
代表者は、設立者でもある高須啓太さん(仮名)である。彼も自身の母親が尊厳死制度を利用した人で、実際にそうなったときに手続きをどうしたらいいのかまるでわからず、苦労したことから設立を思い立ったという。
事実制度として存在するのだから、利用する人がいてもなんの不思議もない。
だが、実際に使うとなると、外からではわからないことだらけだったそうだ。
そもそもどこに申請すれば良いのかわからない。管轄省庁は厚生労働省だが、申請窓口は地方自治体である。要するに、区役所や市役所に行くのだ。言われてみればそうだろうと思うが、行政手続きに慣れていなければここで止まってしまう。昔からこうした手続はそうだ。まずどうすればいいのかの取っ掛かりがわからない。そもそも窓口に経っている職員がろくに応対してくれなかったり、知らなかったりもする。人が担うゆえの運も絡んでしまうのが、いつまでも拭えない行政の遅さだ。
高須さんは母親が認知症から回復した後、強く尊厳死を希望した。認知症の後はうつ病で動けなくなってしまった母に代わって、高須さんは手続きに奔走した。
区役所の担当者と、ほぼ二人三脚のような形で進んだそうだ。一揃い書類を揃えたら、不備や不足を指摘されて修正や追加で書類を出す。しまいには再提出が重なって混乱したため、一式まとめて提出し直したという。
そんなことを繰り返すうち、一通りのノウハウが高須さんにはできた。
申請から火葬、遺品整理まで、一気通貫での経験を持っている人は、職員にもいなかった。
「せめて、苦痛を減らしたかったんです」
伏し目がちに、高須さんは「トーチ」を作った動機を語ってくれた。
ただ、同時にこうも言った。
「やらなきゃよかったと後悔もしてますよ。始めて一ヶ月くらいで、もう辞めたかった。今もずっと辞めようかどうか、悩んでます」
黙々と書類を片付けたり、情報を入力しながら、いつもの無表情で淡々と続ける。
もともと高須さんは中堅企業で営業職をしていた。人当たりも悪くない方だったと思うと本人が言っていたが、おそらく嘘ではない。話していれば、相手を気遣ってくれる優しさは今も変わっていないし、煩雑な手続きや相談をこなせることから、きっと優秀な人なのだ。
そんな高須さんも、それまでの職と「トーチ」を掛け持ちすることは無理だと判断して、NPO法人を立ち上げて行政から補助金を受け、ようやく仕事をこなしているのが現在だ。
「死にたい人間とずっと接しているんです。誰と話しても死にたい、死ぬにはどうしたらいい、死んだらどうなる……。手続きの話だけならできますよ。でも、そう簡単なことじゃないじゃないですか。愚痴みたいな自殺願望なんかを聞かされて、結局気が済んだのかその日は帰って、でもまたやってきて話して……。そんなことを繰り返す人がたくさんいる。精神科医につなぐこともしますが、本来うちの業務じゃありません」
冷たいようだが、それも事実だ。筆者も手伝っているのだから痛いほどよく分かる。
一番時間を取られるのは、実は手続きや事務作業ではない。相談に来る人の話を聞いている時間がもっとも長いのだ。
それはそうだろう。今から本当に死ぬというときに、淡々と手続きを進められるほうがどうかしている。こちらとしても何度も念押しをするのだ。いつ止めたっていい、と。
勢い、一度帰って考え直す、ということも増える。というより、西川さんのように最初からブレない人のほうが珍しい。
なし崩しというべきか当然の成り行きと言うべきか、「トーチ」はそういう人の駆け込み寺になっているのだ。
全員75歳を超えた後期高齢者。身寄りのある人は少なく、死を考えるほど生活が行き詰まっている。極論すれば、孤独死か尊厳死か、あるいは自殺か。その間に揺れ動いているひとに、「トーチ」は寄り添わざるを得ない。
離職率が高いのは、実を言えばブラック労働が問題ではないと、実際に働いてみて思う。行政から補助金がそれなりに出ているおかげか給料は良い方だし、事務が主な仕事なので肉体的にも辛くない。
だがやはり、死を願うひとと接し続けることそのものに、ただただ疲れていく。仕事を投げ出したくなるというか、ここから離れて走り出したいような衝動が駆り立ててくる。ここにいてはいけないような、そんな気がしてくるのだ。
「数は少ないですけど、人殺しとか、死刑執行人とか、そういう中傷も来ますしね。
最初はなんだってこんなことを言われなくちゃならないのか、腹が立ったこともありましたよ。
でも――」
深い、深い溜息だった。
人のためにしている仕事だ。それなのに、謂れのない誹謗中傷は多い。
人殺し、と言われるのだ。冗談でもなんでもなく、事実として我々はそう呼ばれることがある。
「でもね。仕方ないじゃないですか。文字通り死ぬほど辛いひとたちなんだから。悪口をいうひとだって、みんな自分がいつああなるのか、きっと怖いんですよ。眼の前に死ぬってことをもってこないでほしい。そりゃそうですよ。
でもだからといって、放っておいていいてことはない。ないんですよ」
午前二時を超えても、高須さんは、「トーチ」は扉を開けている。笑顔も優しい雰囲気もないが、それが何より、高須さんのジレンマを表している気がする。
そうですね、辞められないですね、と答えた。そういうのが精一杯だった。
ようやく少しだけ、高須さんの口角が上がった。疲れ切った皮肉な笑いだった。
それでも、だからこそ、高須さんは今日も「トーチ」の事務所にいる。