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命のコスパ-2053年の尊厳死- 第9話

賽の河原

 限界が先にくるのが、年上だとは限らない。
 西川さんとはNPO法人「トーチ」で知り合った。「トーチ」の活動を取材をしているのか手伝っているのかわからなくなっているところに、相談にきたのが西川さんだった。たまたま他に応対できる人がいなかったので、筆者が少し待ってもらうように案内したのがきっかけだ。
 当時、相談者がもつ悲壮感にあてられて、どうしても黙って同じ空間で待つということが難しかった。今思えばどうかと思うが、雑談のひとつとして、尊厳死について記事を書こうとしている、といったのだ
 そこで、意外にも西川さんは、話を聞いてほしい、書いてほしいと言ってくれた。
「トーチ」に、尊厳死の相談に来た西川さんは、誰あろう本人のためだった。
 介護をされている父親ではなく、している側の、西川さん本人が希望していたのだ。
 尊厳死法がなければ、いつ自殺していてもおかしくなかった、と零した。
「もう少し我慢すれば死ねる。もうすぐ終わりにできる。そう思えるから頑張れてるんです」

 西川さんの父親は、尊厳死を利用するつもりはないという。というより、認知症の治療が思うようにできないために、まともに話したり意思確認ができない。自分ひとりでは生きられないから介護が必要なのは当然だが、話にならないのがとにかく辛いと語ってくれた。
 後のことはわからない、考えたくない、と西川さんは続けた。
「もう親族だってあまり残っていませんが、それでも親を見捨てるのかっていう気持ちは、言われなくてもありましたよ。
 でもね、本当にもう限界なんです」
 深々とついた溜息は本当に重たく、気だるげだった。どうにもならない、という今を続けていくことが、もう無理なのだと痛切に滲んでくる。初めて出会ったときからしばらく時間が経っているが、やつれたように顔が落ちくぼんでいる。目の隈も濃い。
 大丈夫ですか――
 と聞くのを、すんでで思いとどまった。大丈夫な訳がない。
 今日は「トーチ」の応接間で、話を聞いている。実際に手続きをするかの意思確認のためという名目だったが、西川さんは書類には早々に署名捺印した。デジタルと紙の両方が必要なのが手間だが、そんなものは西川さんの障害にはならなかったようだ。
 どちらかというと、今は西川さんに一息ついてもらいたかった。
 終わりというか、ゴールが目に見えたからだろうか。西川さんは目に見えてイライラすることが増え、父親に対する言葉もきつくなっていった。最初はまだ、お茶を飲んで話す余裕があったのに、今ではもう、手続きが進まないと会話もあまりしようとしてくれない。
 結局、申請をしてから2週間。手続きが進み、最終意思確認に今日、西川さんは来た。
 署名捺印を終えてようやく、西川さんは話をしてくれたのだ。
 これから後、「トーチ」では火葬場の手配の他、実際に亡くなったあとの手配を請け負っている。必要に応じて、特殊清掃業者の手配、遺品の配送や処分、財産があるなら相続や放棄の手続きを仲介する。
 今際の際には、基本的に立ち会うことはない。手順だけは知っているが、基本的には自宅で最期を迎える人が多いという。
 代表の高須さん曰く、臨終に立ち会うのを嫌がる人が圧倒的に多いのだそうだ。付き添いを求める人は逆に、途中で止めることが多いという。振り回されると言ってしまえばそうなのだが、事実拘束されるために、高須さんは「トーチ」では最期の付き添いは断ることにした。
 西川さんにも、高須さんが作った「トーチ」で使っている説明資料を見せて、今後のことを説明した。そのまま資料を渡して、後はなにか――と話していたところに、最初の言葉を聞いたのだ。「死ねると思えるから自殺せずに済んでいた」と。
 明らかに矛盾しているが、それを口に出すのは、とても難しかった。つらいと言うか、憚られるような、そこに触れてはいけない気がした。同時に、それでも聞かなくてはいけない気もした。
 同じ見捨てるにしても、父親と別れて一人で暮らすという選択もある、何か他に手段ややることはないのか、何も死ななくてもいいのではないか――
 考えても、そんなことは百も承知だろうことしか出てこない。そんなことは、西川さん本人がずっと思い悩んだことだろう。
 審議は既に終わり、もう答えは出ているのだ。
 自分自身の命であり、人生だ。それを終わりにするという決断までに、考えないはずがない。であれば、それ以上に何か言うことは礼を失することだろう。
 それがつまり、尊厳を保つということなのだろう。
 しばらく置いて、わかりました、手続きはお任せ下さい、お疲れ様です、と絞り出した。
「……はい。ありがとうございます」
 今までに言ったどの言葉よりも、それだけの返答に、西川さんは大きく頷き、少しだけ柔らかくなった顔で答えてくれた。

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