偽善というよりは、恩恵がないことによる不満なのかもしれない
最近、偽善について考えることが増えました。
個人的に偽善は悪い事だとは思ってません。
問題なのは偽善によって恩恵を受けられる範囲が狭すぎることかもしれないと思うことが増えました。
歴史をふりかえると、パブロ・エスコバルという麻薬カルテルの大富豪が英雄と呼ばれることは、最大の偽善だと思います。
日本は島国なので、ドラッグに関する規制が厳しいし、物の品質管理が非常に厳しいと思います。
中国、インドネシア、フィリピン、スウェーデン、ハワイ、アメリカ、カナダに行って思ったことは、日本の品質の高さは他の先進国よりも高いなと感じました。
コカインが世界に蔓延する人をダメにする麻薬だということは使用した人間なら1発で理解出来るはずです。メタンフェタミンに似てて、神経に与える刺激は強い感動と感覚です。
日本ではドラッグ文化は、脱法ドラッグや、葉っぱくらいで、非常に手にしにくいもので、価格も高いと思います。
人をダメにする麻薬を大量に流通させても
それでも、英雄として名が残るということは
それだけ貧しい場所にとって、大きな恩恵を与えたという結果だと思います。
また、他の視点で考えてみましょう。
ノルウェー、スウェーデンにある刑務所も、日本から見ると偽善だと感じるかもしれません。
日本では有り得ないだろうなと思います。
日本人は、感情共有というものに過敏だなと思うので犯罪を犯した人間の更生には、厳しいだろうなと思います。
それは日本人の勤勉さや、常識というものによる集団の規則に重きを置いてるからでもあるのかなと思ったりもします。
ノルウェー、スウェーデンの刑務所へ実際に行ったことがあるわけではないので見てはいません。
情報だけの話にはなりますが、刑務所のイメージが覆されると思います。
刑務所だけど、受刑者の方に対しては社会復帰を根ざしており、教育プログラムが細かくカリキュラムとして組み込まれていて、再犯率が低いです。
教育があるということは、それだけのリソースを犯罪者の方に対して費やしてるのです。
その事について、偽善と思う人は多いかもしれません。
先程も書いたように、日本人はとにかく感情共有という点で過敏だと思っています。
世の中的に駄目なもの、周りと違うもの
そういったものに関しては、ある意味とても心が狭いとも思えます。
刷り込まれた教育だとも思います。
高度経済成長を遂げる上では、その考えは必要だったかもしれません。
しかし、工業主体の時代が終わっていく中で多様化していき様々な価値観が形を変えていきます。
ノルウェー、スウェーデンの刑務所は、再犯率を下げていたり、受刑者が技術を学び活躍するチャンスを与えてくれています。
この国の精神障害者向けの福祉サービスって、そういう観点から比較してみてもどうでしょうか。
自立、社会復帰という、大きな役割を果たすものとして、組織としてどうでしょう。
不満を感じるユーザーが多いってことは、それだけ恩恵を感じられてない。
ユーザーのニーズにマッチングしてないんじゃないか?と思います。
システム構造に問題があったり
教育を行う過程で曖昧さがあったり
結果が伴わないことに対しての受容による
曖昧さがあるんではないか?と思います。
どこを目ざして、何をやるのか?を決める
個別支援計画はどうでしょうか。
正直そこまで恩恵を感じますか?
企業がマーケティングしている、カスタマージャーニーマップの方がしっかりしてるとは思えませんか?
支援者の質が低いとは言いません。
何故なら、この国の国民性を象徴するものも含まれると思うからです。
私はこの国の福祉サービスよりも
ノルウェーの刑務所の方が、人を活かす為の支援に繋がってると思います。
悲しいですが、これがユーザーの正直な感想です。