普通っぽいのにね。と言われるのは
精神障害者福祉手帳を交付してもらってから、色んな支援を受けさせてもらいました。
支援者の方から、よく普通っぽいのにね。という第一印象を伝えられることがあります。
その際に、普通って何ですか?と聞き返してますが、納得のいく答えが返ってこないので考えてみようと思いました。
普通というのは、その人の妄想だと思います。
安全性のあるもので、知っているもので、共通言語を共有してて、共通認識されてるもの。
それが、普通を表しているものかと思います。
普通は人によって違い、人によって変わるものでもあると思います。
そう考えると、普通の人間などは存在しない。とも言えるのかと思うようになりました。
普通っぽく見えるのにね。と言われることに対して不快感はありません。
そんなことより、普通と普通でない境界線が何処にあるのかが気になります。
社会的に見た時に普通じゃないのか。
外見的な要素で見た時に普通じゃないのか。
どの部分を見て、普通か普通でないかを判断しているのかが気になるのです。
普通か普通でないかを考えるだけでも大変なのに、普通っぽい。という新しいカテゴリが増えたので大変です。
っぽい。というのは、非常に重要だとも思っています。普通っぽいは、普通ではないことを前提としているからです。
普通ではないっぽいのにね。だと普通であることを前提としていると僕は思います。
日本語って難しいですよね。
普通っぽいは、普通ではない前提で、普通にみえることを普通っぽいということだと思います。
つまり、僕に普通っぽいと言った支援者の方は精神障がい者の人を、普通ではないと思ってるわけです。
考え出すと非常に面白いです。
普通っぽいとご指摘下さった支援者の方の中には、何冊も本を書いてる有名な教授もいました。
しかもその方は、差別は絶対にしてはならないと公言しながら支援をしてるのですが、少し引っかかりますね。
だからといって、その事に怒りを感じたり、自分が普通でないのかと不安になることはないです。
普通の人間は存在しないと思っているので、僕の中では全ての人が一律、普通ではないからです。
そして差別をすることについて、僕は悪い事だと思ったことがありません。
差別と区別は違うと言われてますが、カテゴリ分けして差をつけた方が分かりやすいと思います。
差別よりも遥かに気持ち悪いのが、根拠の無い噂です。差を明確にする差別化は、根拠があるなら、倫理的に問題があっても悪い事だとは思わないです。
普通というのは、人の側面にしか過ぎないと思います。僕は普通ではありません。
人を差別するし、変態的な趣味があるし、自分で殺したことのある動物しか食べることが出来ません。
つまり、この世界の人は普通っぽく生きてるだけなんだと思います。普通ではないのに、普通っぽくしてるだけ。それだけの事なんじゃないかという結論に至りました。
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