自分がここまで「漫画を読む」という「趣味」にハマった訳
自分の趣味で、漫画を読むことが好きなんですが、なぜここまでハマったのかを振り返ってまとめてみました。
自分の中で、趣味ってどういうものかなって思ったんですが、あくまで自分本位で、主体的にしたいと思える何かだと思うんですよね。
それが、一人でやるのか複数でやるのかは別として。
だから、映画を見るのが趣味なのも、自分の意思で映画を見たいという欲求があってこそで、誘われて見に行ってる間は趣味ではないのかなと。
また、フットサルなどの複数人でやるスポーツなども、あくまでサッカーをプレイしたいという意思があってこそで、人と話したいというだけで参加してる分には趣味の内には入らないと思っていて。
そういう観点からいくと、自分ってずっと趣味が無かったんですよね。
ていうのは、他の人と一緒に何かするのが好きな性格だったので、主体的に何かより、複数人で何かできたら、その中身はなんでも良いかなと思っている節があって。
そもそも、兄弟も多く、末っ子だったので周りにいつも誰かがいた環境でした。
一緒に遊ぶことが普通の環境だったので、あまり一人で何か遊ぶという経験がそこまで無かったんですよね。
なので、RPGとかもほとんどクリアしたことがありませんでした。
ただその分、友達と一緒に最初に始めたり、一緒にやってくれる人がいてくれた時は、最初は興味は無かったけれど、自然とその後に自分でハマる時も何度もありました。初めのきっかけはやはり誰かと一緒にやることが多かったです。(その分、その最初のきっかけを作ってくれた友人などには感謝しています)
そんな中で、マンガを読むということだけは、誰かと一緒に始めた訳でもなく、誰かに言われた訳でもなく、自分本位で、主体的に始めて、今でも続いている趣味でした。
なんで、こんなにハマったのかなあと色々要因を考えて見た時に、確かにマンガというコンテンツ自体の面白さはあると思いましたが、大きな要因として、
1. 自分の性格が感情移入しやすい、想像力、妄想力が強かった。
かつ
2. ある程度制限された環境だった。
から、ここまでハマったのかなあと思いました。
小さい頃から、周りに人がいる環境で、結構人を見て何を考えているか気を配る性格になっていたんですよね。
なので、自然とこの人は何を考えているのだろう?とか、想像したり、感情移入したりすることが当たり前として、やっていました。
その性質がマンガのコンテンツとめちゃくちゃマッチしたんだろうなぁと思います。
マンガのキャラクターに感情移入して読むのが、他の人よりも強かったと思いますね。(進研ゼミの送られてくるマンガとか大好きでした笑)
そんな性格でありましたが、小さい頃は、家でゲームできる時間やマンガを読む時間が限られていたんですよね。中学過ぎ頃には普通に読めるようになっていましたが。
それで、他の家では結構マンガを持っている家があって、相対的に触れられるマンガの数が少なかったんですよ。
これでも、まあまあ家にはマンガは置いてあった気がするんですが、自分にとっては全然満足する数じゃなかったんですよね。
だから、友達の家にいって、新しいマンガと出会うたびに、自分の世界が広がっていく感覚になっていました。
そこから、家で読めない分、他の人の家で読み漁っていたんですが、家に帰ったらそのマンガは読めないので、自分の中で欲求が溜まっていたんですよね。
今でこそ、携帯とかで見れますが、そんな手段も昔は無かったので。
それで、一回浴びるほどマンガを読みたいってなって。
高専時代は結構な量のマンガを買って部屋に並べていました。
その時代くらいに、漫画喫茶が出てき始めて、初めて漫画喫茶に来た時、「住みたい!!」って本気で思いました。
やっぱり、漫画喫茶と相対的に比べて、自分の持ってるマンガは全然足りませんでした。また、欲求が募りました。
そして大学に入ったら、漫画喫茶がようやく近くにあるようになったので、めちゃくちゃ入り浸りました。
雑多に、色々なマンガを読み漁りました。凄く楽しかったですね。
気づいたら、読んでる量が凄い数になり、自分でもこれは趣味だなあと思えるようになっていました。
自分にとって、マンガというコンテンツは切っても切れない関係だったし、少しづつ制限を解放していって、大きくハマっていったのかなあと振り返ってみて、思ったのでした。
最後に
ここで思うことは、マンガのコンテンツと自分の性質がマッチしていたのは一つあったのですが、始めっから全て手に入る環境であったら、今に到るまでハマっていたかなあとも思ったりするのです。
恐らくは、その友達の家に行かないとそのマンガは読めないという、一回一回のチャンスで、最大限そのマンガを楽しみ尽くす、集中して読んでいたからこそ、マンガというもの自体にハマり、先々でもハマり続けたのかなと思います。
逆にいうとどんなにその行為をやめさせようと制限させても、それは2倍,3倍になって大きい欲求として返ってくるかもしれませんね。
なるべく、自分にとってその欲求が良い方向性であることを願いたいですね。