残業代をつけようとしない新入社員のお話〜労働者の都合で残業代はつけなくても問題ないのか?〜
はじめまして。しぃちゃんです。
私は数万人規模のメーカーで品質保証部署の一員として働く傍ら、労働組合の執行委員としての肩書も持っています。
労働組合については、聞いたことがある人は多いかと思いますが、実際どんな組織なのかについては知らない人が多いことでしょう。今回は、タイトルに書いたように残業代について話そうと思っているので、これ以上私のことや、労働組合については触れません。また折を見て話せたらと思います。
先日、いつものようにTwitterを眺めているとこんなツイートが流れてきました。
「いくら上司から残業代つけろと言われようと絶対に残業はつけない。上司が残業代満額もらってないのに、最低賃金の価値もない新入社員の分際で残業代をもらうなんておこがましい。
残業代と代休はつければつけるほど信頼を失う。いつの日か、堂々と残業代を貰えるように頑張る」
皆さんはこれを見てどのように思いましたか?
私のTLの中では概ね「残業代はつけるべきである」という反応が多くを占めていたように思えます。もう少し細かく見ると、「残業代はつけて当たり前。他人が残業代を付けづらくなって迷惑」「上司を困らせるのでは」「上司が付けろと言っているので従うべき」というような意見が見られました。どれも正しい指摘のように思えますが、まずは元のツイートについて確認していきましょう。
「いくら上司から残業代つけろと言われようと絶対に残業はつけない」
そもそも、残業とは何でしょうか。
これを規定している法律を労働基準法と言います。同法第三十二条ではまず労働時間について次のように規定されています。
第三十二条 使用者は、労働者に、休憩時間を除き一週間について四十時間を超えて、労働させてはならない。
② 使用者は、一週間の各日については、労働者に、休憩時間を除き一日について八時間を超えて、労働させてはならない。
使用者という単語は聞き慣れないと思いますが、同法第十条にこう規定されています。
第十条 この法律で使用者とは、事業主又は事業の経営担当者その他その事業の労働者に関する事項について、事業主のために行為をするすべての者をいう。
つまり、経営者や管理職のことを使用者と言っています。
同法第三十二条では、使用者は、労働者に8時間を超えて労働させてはならないと規定しています。労働基準法では、残業(同法では時間外労働と言います)を原則禁止しているのです。
「そんなことを言ったら、残業代未払い以前に、法律違反をしているのか?」
これに関しては、そうとも言えるかもしれないし、そうでないかもしれません。なぜなら、同法第三十六条で次のように言っているからです。
第三十六条 使用者は、当該事業場に、労働者の過半数で組織する労働組合がある場合においてはその労働組合、労働者の過半数で組織する労働組合がない場合においては労働者の過半数を代表する者との書面による協定をし、厚生労働省令で定めるところによりこれを行政官庁に届け出た場合においては、第三十二条から第三十二条の五まで若しくは第四十条の労働時間(以下この条において「労働時間」という。)又は前条の休日(以下この条において「休日」という。)に関する規定にかかわらず、その協定で定めるところによつて労働時間を延長し、又は休日に労働させることができる。
労働者の過半数で組織する労働組合(以下、過半数労働組合といいます)か、労働者の過半数を代表する者(以下、過半数代表者といいます)と書面による協定を届出なければならないと書いてあります。いわゆる36(サブロク)協定と言われるものです。使用者側と過半数労働組合または過半数代表者との協定がないと、使用者は労働者に残業をさせることはできません。
あなたの職場はどうでしょうか。その答えこそが、先程の残業自体が違法かどうかの答えになります。36協定は非常に重要ですので、ぜひこれを機にご自身の職場の協定内容を確認することをおすすめします。
少し話が脱線してしまいました。労働基準法では、上記のようにそもそも残業を原則禁止としているのです。その上で正しく残業命令が出されていたとしても、今度は労働者に対して残業代を支払わなければいけません。いよいよ本題ですね。
第三十七条 使用者が、第三十三条又は前条第一項の規定により労働時間を延長し、又は休日に労働させた場合においては、その時間又はその日の労働については、通常の労働時間又は労働日の賃金の計算額の二割五分以上五割以下の範囲内でそれぞれ政令で定める率以上の率で計算した割増賃金を支払わなければならない。ただし、当該延長して労働させた時間が一箇月について六十時間を超えた場合においては、その超えた時間の労働については、通常の労働時間の賃金の計算額の五割以上の率で計算した割増賃金を支払わなければならない。
同法第三十七条では残業代は賃金計算額の25%以上50%以下の割増賃金を支払わなければならないとしています。これが残業代です。
「使用者が時間外に労働者を働かせた場合は割増賃金を支払わなければならないという風に書いてあるけど、労働者が自らの意思で時間外労働をした場合は割増賃金の対象にならないのではないか?」
そう思ったあなたはもはやそんじょそこらの労務管理者より賢いです。ここが労働基準法のミソです。労働基準法というのは、そもそも使用者と比べて立場が弱くなりがちな労働者の立場を保護するためのものです。その制定の根拠は憲法25条の生存権にあります。
さて、指示命令のない自発的な残業に残業代は支払わなければならないのかといえば、答えはYES、支払わなければなりません。
たとえば、上司は部下が逆らえないことをいいことに、「この仕事は今日中に終わらせなきゃいけないんだよなあ。でも残業は0時間でコミットしちゃってるからなあ。(なあ、わかるよな?)」と言い放ったとします。こうすることで、形式的に自発的な残業を作り上げることが容易に出来てしまいます。このように使用者と労働者には実態として権力の上下関係が生じているため、労働者は基本的には上司(使用者)の指揮命令により行動していると見做されるのです。
したがって、残業代は上司が付けろと命じるものでもなく、もちろん部下の判断で付けないとするわけにもいかないのです。時間外労働が発生した時点で、支払いの義務が生じます。これが、この記事のタイトルに対する答えとなります。
ただ、ことの発端となるツイートのまだ解説していない部分と、他のツイートにこういうことも書かれています。
「最低賃金の価値もない新入社員の分際で残業代をもらうなんておこがましい。残業代と代休はつければつけるほど信頼を失う。いつの日か、堂々と残業代を貰えるように頑張る」
「確かに残業代をつけないのは新入社員の自己満足なのかもしれない…。ならいっそのこと正規雇用を解消して契約社員として契約し直せば基本給を下げられるから、残業つけても人件費抑えられるか…?少なくとも最低賃金の価値すらない奴の人件費は抑えないといけない。真剣に考えないと。」
ここで最低賃金という言葉が出てきます。果たして、何も技能も習得できていない新入社員は、最低賃金の価値がないのでしょうか。答えはもちろんNOです。最低賃金については、最低賃金法という法律があります。同法では、その目的が第一条に明確に記されています。
第一条 この法律は、賃金の低廉な労働者について、賃金の最低額を保障することにより、労働条件の改善を図り、もつて、労働者の生活の安定、労働力の質的向上及び事業の公正な競争の確保に資するとともに、国民経済の健全な発展に寄与することを目的とする。
どんな労働者(船員など例外はあります)であっても、賃金の最低額を保障されているのです。したがって、技能が0である新入社員は、最低でも最低賃金額以上の労働価値はあるということになります。最低賃金がないと、労働者の生活はもちろんままならないですが、労働力の質にも影響してきます。これは、労働のモチベーションと考えてもいいでしょう。その次に、事業の公正な競争という言葉が出てきます。労働者の生活安定やモチベーションの向上は理解できます。では、なぜ最低賃金を保障することが公正な競争になるのでしょうか。
最低賃金法は1959年に制定されました。この背景について大橋(2009)は、「当時, 輸出の急増によってアメリカを中心に諸外国からソーシャル・ダンピングとの批判が日本に向けられ, ガット加入への障害になっていたこと, 及び国内的には本格的な高度成長期の到来を前に繊維や金属・機械などの低賃金業種で若年者の初任給が上昇し, それをカルテルにより阻止しようとする意図があったとされる。」1) と述べています。ポイントは2つです。
1つめは、諸外国からダンピングだと批判があったことです。ダンピングとは不当廉売のことで、不当に安くものを売っているということです。つまり、日本は不当に安価な人件費で生産することにより、諸外国よりも安く物を作ることができるため、諸外国にとっては輸出の障害となっていたのです。
2つめは、国内製造業において、上昇する賃金をカルテル(複数の会社が合意によって価格などを取り決めること)によって安く抑え込もうとしていることを防止する狙いです。これは、言わずもがな公正な競争を阻害する行為です。
話を戻すと、労働者の最低賃金とはあなた自身にのみ関わる話ではなく、社会全体の利益を考えたときにも影響してくる概念なのです。ですので、ツイート主が述べているように最低賃金以下の価値ということはありえません。
まとめに入ります。残業代とは、残業をした時点で支払の義務が生じるものであり、使用者または労働者にその決定権はありません。また、最低賃金以下の価値というのは存在せず、最低賃金の考え方を無視するのは国内・国外双方の観点からも利益をもたらさないと言えるでしょう。
ツイート主は新入社員のためまだまだ労働に関する法律については知らないとは思いますが、これを機にぜひその法律の意味を考えるきっかけとしてほしいと切に願っています。
参考文献
1)大橋勇雄(2009)「日本の最低賃金制度についー欧米の実態と議論を踏まえて」『日本労働研究雑誌 』No.593