番外:生と死の間
今朝、久しぶりに持病の狭心症によると思われる発作がきました。
夜中に頭痛が出てきたので嫌な感じがあったのですが、その感覚は当たりました。
いつもどおり5時半に起きたときには頭痛はありませんでした。
洗面を済ませたあとに、朝御飯を食べようと支度しているときでした。
急にミゾオチあたりが誰かに締め付けられるような感覚がきて、首回りにも同様のものがきました。
息苦しく、またミゾオチあたりの鈍痛が続きます。
私はいつもどおり携帯しているニトロペンを含み、横になりました。
あとは痛みが去るのを待つだけです。
一錠含んでも発作は去りません。
しばらくして二錠目を投下。
5分くらいでようやく鈍痛がなくなりましたが、ニトロペンは血管を拡張する薬であるため急激な血管拡張の副作用が毎回でます。
それは頭痛です。
個人差があるようですがこの副作用が出るとほぼ使い物にならなくなります。
今日は週一回の工事の打ち合わせの会議であり、私は司会でもあるので仕事に行くかどうか迷いました。
しかし、片道2時間電車に揺られて現場に行く気力も食欲も朝6時にして奪われていました。
私はすぐにでも横になりたかったので、そのまま体調不良で出勤できない旨のメールを上司、カウンターパートの工事会社の担当者に送りました。
そして返信を待たずしてフトンに潜り込みました。
意識を取り戻したときには時計の針はすでに12時過ぎ。
頭痛はとれていましたが、食欲はなし。
それでも作りかけの朝飯があったことを思いだし、とりあえず食べる。
はじめのころは発作が起きるたびに、死ぬかもしれないという感覚があったものの人間の慣れとはコワイもので
ああ、またか
と感じてしまう自分がいる。
日々のニュースで、さまざまな事故で亡くなられる方々を他人事のように見ている中で、私自身も死と隣合わせで生きていることを他人事のように感じはじめている。
生と死については、軽々しく話ができるものではないと思う。
しかし、両方に共通しているのは
根拠がない
ということ。
なぜ生を受け、なぜ死ぬのか。
答えのない問いを考えることを忘れてしまったときに人間は人間ではなくなってしまうのではないかと思った1日でした。
了