第三十六話 「衝撃」
私が二年生に上がる頃だったと思う。
もはや存在すら忘れかけていたが、大阪での二年間の研修を終え、遂に兄が帰って来るそうだ。
帰って来るとはいっても、またすぐに、今度は東京へ一年間研修に行くそうだ。
早くも喪失感が私を襲う。
それでも、久しぶりに兄に会えることはやはり嬉しく、母も妹も同じ気持ちだったことだろう。兄の存在自体がこの家の「支え」なのだと、改めて感じた。
しかし、どういうことだろう、嬉しい反面、なぜか妙な緊張感を感じた。それもそうか。二年ぶりということもあるが、そもそも、歳が離れ過ぎている。かたや、コンプレックスだらけの思春期真っ盛りの中学生。かたや、県外で社会経験を積んだイケイケの好青年。まるでつけ入る隙がない。何を話せばいいのだろう。
歳の差と、二年間の溝は大きいようだ。
気付けば、会える喜びより緊張の方が勝っていた。
凱旋日当日、兄は黒い中型の車でやってきた。当たり前と言えば当たり前なのに、いつの間にか車を運転出来る年齢になっていることに、ますます歳の差を感じ、なぜか落ち込んだ。どんどん存在が遠くなる。そんな思いをよそに、兄は相変わらず笑顔でパワフルに登場した。この人はいつでも元気だ。ニキビ顔を気にして毎日鏡と見つめ合っている私とは、住んでいる世界が全く違うと思った。久しぶりに見る兄は、なんというか、「大人」になっていた。社会に出て、より一層、男に磨きがかかったように見えた。
なんだろう。会えて嬉しいのは間違いない。ただ、手放しで喜べない、少しひねくれてしまっている自分がいた。
感動の再会もそこそこに、用事があるから付き合えと、兄は私を車に乗せてくれた。少し緊張しつつも、テンションが上がる。車に乗り込むと、車内はタバコの匂いがして、CDがたくさんあった。本当に大人になっていると思った。兄はハンドルを握り運転を開始する。いっぱしに運転をする兄を見て、ついこの前まで高校生だったのに。と、さらに緊張感が増してきた。もはやこの感覚は、滅多に会わない親戚にでも会っているような感覚だった。
車中では、何やら兄が話しかけてくれはしたものの、何を話したのかは全く覚えていない。これには理由があって、私はこの時、話の内容が頭に入らない程の、強烈な経験をしていたのだ。
道中、兄はおもむろにCDを取り出し、カーステレオに入れ始めた。カーステレオは、キラキラとイルミネーションを施しCDを飲み込んでいく。車で音楽を聴けるなんて、車っていいなと思った。
と、次の瞬間、聞いたこともない音楽が流れ始めた。アーティスト名は「E-ROTIC」。どう表現すればいいものか、いわゆるダンスミュージックで、コミカルなメロディと、男性の軽快なラップと、女性のセクシーな歌とボイスが入り混じり、圧倒的なグルーブ感を生み出している…。
私は鳥肌が立った。この世にこんな曲があるなんて。これまで邦楽しか聴いてこなかった私にとって、「E-ROTIC」は、まさに衝撃だった。
兄はその後も、CDを次々に変え、いろんな曲を聴かせてくれた。どれも新鮮で、洋楽って凄いと思った。
よく、
「歌詞の意味もわからないのに、洋楽の何が良いの?」
という人がいるが、音楽なんて、理屈じゃない。
良いと感じたら聴けばいい。それでいいのだ。
もはや兄は、DJのように次々CDを変えていく。邦楽では、当時全盛期だった小室哲哉プロデュースの「trf」や「globe」。洋楽では、これも当時大流行の「スキャットマン・ジョン」や「ダイアナ・キング」などだ。どの曲も、私にとっては衝撃だった。
心なしか、車のスピードが速くなっているようだ。しかも兄は、これらの曲を爆音で聴いている。助手席の私が人目を気にしてしまう程のレベルだ。
本当に兄は、スケールがでかい。
こうして、どこに行ったかも思い出せない程のドライブが終わり、イケイケのアゲアゲな車は家に着いた。
ここからだった。私は洋楽、特にダンスミュージックにどっぷりハマることになる。そしてこのことが、高校生活、さらには社会に出てからも影響を及ぼし続けるのである。
人生どこにきっかけが転がっているか本当にわからない。
未知の音楽に触れた私の興奮は収まらず、兄にCDを貸してもらい、聴き漁るようになるのだった。