多面的
「まさかあんなことをする人だとは思わなかった」
このようなセリフ、日常生活において一度は聞いたことがあるだろう。もしくは言ったことがあるだろう。
もち、私もだ。
人は、多面的である。
機嫌が良い時悪い時、調子が良い時悪い時、無駄にテンションが上がっている時、なぜか憂鬱な気分の時、甘えたい時、そっとしておいて欲しい時、嬉しい時悲しい時、感情が溢れ出す時、感情を押し殺し笑顔で振る舞っている時、なんにでもツボって笑ってしまう時、何にでもイライラする時、ものすごく好きだった人のある一面を見て一気に冷める時、なんとも思ってなかった人と二人きりになった瞬間、妙に意識してしまって恋に落ちた時、世界が自分を中心に回っていると思えるくらいに何をやっても上手くいく時、怖いくらい赤信号に捕まってしまい、何をやってもダメだと思う時、よく眠れた時、眠れなかった時、良い夢を見た時、悪い夢を見た時、成功した時、失敗した時、親が死んだ時、子供が生まれた時、自己肯定感に包まれている時、自己嫌悪に陥っている時、生きたいと思う時、死にたいと思う時…etc
からの、
会社での顔、上司の前での顔、部下の前での顔、同僚の前での顔、配偶者の前での顔、子供の前での顔、恋人の前での顔、友人と接する時の顔、一人の時の顔、親の前での顔、祖父母の前での顔、先祖に手を合わせている時の顔、嫌いな奴の前での顔、好意を寄せている人の前での顔、どうでもいい人の前での顔、近所での顔、ネット上の顔、自分で作り出したキャラに縛られて、今さらキャラを変えるに変えれなくなりそのままキャラを演じている顔…etc
ご承知のとおり、もっと、もっとあることだろう。
これを、
「あの人って○○だよね」
「そうだよね」
で片付けてしまうのは、いささか早計のように思う。
「グラデーション」というタイトルの記事でも書いたが、人は、何層にもなっているグラデーションの中で生きていると思っている。結果や結論を求められる時代に生きているから、なんとかシロクロつけて社会生活を送っているものの、本来、そんな簡単に分けられる程、単純なものではない。今日優しい人が、明日も優しいとは限らないし、今日愛してると言われても、明日はわからないのだ。
心も体も、絶えず変化しているのである。
これを、ある一部分を切り取って、ああでもないこうでもないとはやし立てることに、どれほどの意味があるのだろうか。
「人をわかった気になる」
これが一番危ない。
これを読んでいる方の中には、
「ししどさんって、とても思慮深い方のようだ。さぞかし聡明な方なのだろう」
と思った方がいたとして、
…ノンノンノン。
一時は掃除が出来ず、というかせず、一人暮らしをしていたアパートをゴミ屋敷にしていたような男である。
人は、本当にわからない。
人を判断するという行為自体、おこがましい行為なのかもしれない…。
だが、ひとつだけ言えることがあるとすれば、
俺はどっちかっていうとイイ奴だぜ!
え?自分で言うなって?
そこをあえて言うのよ!その方が親しみやすいでしょ?
それでは、嫌われないうちに今回はこの辺で!じゃあな!