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誕生日について思うこと

いきなりだが、こう見えてわたくし、10月生まれである。今年(2024年)、42歳になった。

世間一般的には、

「誕生日はおめでたいもの」

という価値観が浸透していると思うが、どうもわたしには、いまいち、
「おめでたい」という感覚が無い。

というのも、わたしの生まれた家では、

「誕生日を祝う文化」

が伝来しなかったようで、無理やり記憶を掘り起こしてみるものの、そういった記憶にはたどり着けず、唯一嬉しかった事と言えば、クリスマスにスーパーファミコンを買ってもらったことぐらいだ…いや、クリスマスを祝う文化も無かったから、あれが誕生日プレゼントだったのかな…。
とまぁ、こんな感じで、記憶に残らない程、祝い事をされてこなかった。七五三という文化の存在を知ったのも、七歳をとうに過ぎてからである。

なんでこうなるか。理由はシンプル。

「貧乏だったから」

これに尽きる。常に電気が止まりかけているような家庭では、誕生日プレゼントによる出費など、一家心中レベルの愚策である。

といった生い立ちの為、いまだに、誕生日に対して特別な感情が湧かない。祝われるのも苦手だし、誕生日に喜んでいる人を見ても、いまいちピンと来ない。
ねたみとかの感情ではなく、何がそんなにおめでたいのかよくわからないのだ。

でもまぁ、世間一般的には、誕生日はおめでたいとされているので、おめでたいのだろうから、「おめでとう!」と喜んであげるものの、内心、「ただ歳取っただけじゃん」と思う自分がいるのも否めない。

そんなひねくれ野郎だが、最近になって思う。

「自分がこの日に生まれたという事実を確認する作業は必要なのかもしれない」

と。

普段なんとなく生きていると、なんとなく生きて、なんとなく死んでしまう。
これではちょっと味気ないので、誕生日を祝うことで、

「存在している」

ということを再確認しているのではないか。

と考えると、誕生日を祝うという行為は【儀式】みたいなものなのかもしれない。いや、みたいなものっていうか儀式なんだろう。

あなたはここにいますよ~
いていいんですよ~

っていう儀式。

そういうのも、大事かもしれない。
なので、祝ってくれてもいいんですよ。遠慮しないで。
せっかくここにいるので。

ちなみにですね、この「じゃあなりんぐ」は、毎週金曜日の夜に投稿しているのですが、たまたまよ、たまたま、なんと、

「今日が誕生日なわけ!」

狙ってないですからね!
たまたま、金曜がドンピシャで誕生日だったんです。

こんなことあるんだなー
note始めて良かったなー
だれか祝ってくれないかなー
ケーキなんてしばらく食べてないなー

あーすみません!心の声が!

それでは今回はこの辺で!じゃあな!

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