第十八話 「記念撮影」
最近、夫婦喧嘩が多い。
喧嘩の内容は、ほとんど、「母に対する嫉妬」である。
母の遅番の仕事が終わり、帰ってくるのが大体、夜の十一時から半ぐらいの間なのだが、それが、五分、十分過ぎようものなら、一気に義父の機嫌は悪くなる。浮気を疑い始めるのだ。義父は母の帰りを酒を飲みながら待っているため、態度も声も大きくなる。私は、毎晩のように、母の帰りが遅くならないことを願うばかりだった。
が、願いもむなしく、その日も怒鳴り声で目が覚めた。しかも今回は規模がでかそうだ。
「おめぇ今何時だと思ってんだこの野郎」
「会社の飲み会あるって言ったじゃない」
私は状況を把握しようと耳を澄ます。
どうやら、母の職場で遅番終わりに飲み会があったようで、義父は聞いていなかったのか忘れていたのか、浮気を疑い頭に血が上っているという状況のようだ。当時は携帯電話が普及する前だったため、連絡手段が固定電話か公衆電話しかなかった。義父は職場に電話するものの、飲み会は別のお店で行われていたため連絡がつかず、いよいよ怒り心頭というわけだ。
そういったことのいきさつを、私は隣の部屋から、話の内容をもとに理解していく。まったく、小学三年生が夜にやることじゃない。
ケンカの声ははますます大きくなり、緊張感が高まる。
と、次の瞬間、義父が母を殴ったようで、母が叫び声をあげた。
「なんでまたそういうことするの!やめて!」
私は、前回の時のように近所に助けを求めようと起き上がったが、どうやら玄関で揉めているようで外に出ることが出来ない。しかも、また包丁を持っているようだ。これはまずい。どうしていいかわからない。パニックだ。とにかく二人の会話に集中する。
すると、母は外に逃げたらしく、ドアの勢いよく閉まる音が聞こえ、急に静寂が訪れた。どうやら義父は母を追いかけず家にいる。
私は、すぐさま布団に入り、寝たふりをする。
すると、義父は私の部屋を開け、こう言い放つ。
「寝てるふりしやがって」
私は、恐怖でいっぱいだった。その時の義父の手には包丁が握られていたことを思うと、腹いせに刺されたとしてもおかしくなかった。
そのうち、私の家はパトカーのランプで照らされた。母が近所に逃げ込み呼んだのだろう。今思えば、何度も私の家にはパトカーが来た。なんなら常駐して欲しいくらいだった。
その次の日だっただろうか、私が学校から帰ると、母に深刻な表情で頼まれごとをされる。母の顔は、殴られたせいで目が腫れ上がっていて、唇は所々切れていた。ケンカの壮絶さが伺えた。
母は、義父の愚痴を言いながら服を着替えだし、真っ赤に染まったシャツを着る。ケンカの時に着ていた服らしい。出血で赤く染まっている。母は私にカメラを渡し、こう言った。
「写真撮って、あの野郎訴える時に使うから」
これは果たして、現実に起こっている事なのだろうか。
小学生が、血まみれのTシャツを着た母親の写真を撮ろうとしている。
カメラを持つ手が震える。
「僕は何をやっているんだろう」
そう思う気持ちを抑え込み、レンズ越しに母を見る。母の姿は、それはもうお岩さんのような状態で、とても凝視出来るものではなかった。
そういえば、今まで写真を撮るという経験をしたことがなかった。経験は無かったものの、写真を撮る時は大抵、楽しかった思い出として記念に撮るのが普通だと思っていた。
ところが今はどうだ。記念からは程遠い所にいる。
母はブツブツと義父の愚痴を吐き続けている。
この人には、子供に相当ショッキングな事をさせているという自覚はあるのだろうか。
いや、やめよう。考えても無駄だ。
私はシャッターを押した。
私が初めて撮影した母の姿は、顔中腫れ上がって血だらけのシャツを着た母だった。
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