第二十六話 「足るを知る」
久しぶりに家の話に戻ろう。と言っても、家での生活の記憶が薄い。それもそうだ。つまらない暮らしなど覚えていてもしょうがない。それでもなんとか記憶を掘り起こしてみよう。
妹は保育園に通い始め、何度か迎えに行ったりした。小学生を迎えに行かせるとはどういう親なんだとも思ったが、仕事なのだからしょうがない。ママチャリに妹を乗せて走っている姿をクラスのみんなに見られまいと、私は全力でペダルを漕ぐのだった。
母は当時何の仕事をしていたのだろう。全く思い出せない。またパチンコ屋だったか、スーパーの店員だったか、ごっそり記憶が抜け落ちている。家計は相変わらず苦しそうだった。
義父はというと、以前に比べてだいぶマシになったが、それでも酒を飲んでは相変わらず母に暴言を吐いたりしていた。
耐える母も母だ。だめだこいつらは。
唯一救いだった事は、自分の部屋が居間より少し離れていたため、言い合う声があまり聞こえて来なかった事だ。くだらない痴話喧嘩など聞くに堪えない。ただ、暴力にまで発展するとまずいので、結局部屋で耳を澄まして神経をとがらせていなければならなかった。
一方、義父の機嫌が良い時は楽なもので、たまに近所のラーメン屋にみんなで食べに行ったりした。このラーメン屋がとても美味しく、今でもたまに食べに行っている。育ち盛りとなっていた私にとっては、あのこってりとした味と太麵は、食欲を大いに満たしてくれた。ただ、家族の会話は弾まなかった。弾ませる気もなかったし、びっくりする程、話すことがない。学校の話をしたところで到底理解されるはずもなく、理解されたくもない。私はただ黙々と麵をすする。ときたま妹が子供らしく無邪気な行動を取るので、おかげで場が和み、かろうじてアットホームな家庭を演出出来ていたのだった。
なんともつまらないが、もっと記憶を探ってみよう。
そういえば、当時はまだ自分の自転車を持っていなかった。もう五年生だぞ。貧乏にも程がある。唯一自転車に乗る機会と言えば、母の自転車で妹を迎えに行く時だけだった。
恥ずかしい。高学年にもなってママチャリなんて。クラスのみんなには見られたくない。頼む、見ないでくれ。
服も無かった。兄のおさがりが何着かあるだけで、新しい服を買ってもらうことなどまずなかった。そのおさがりも、サイズが合わなかったりで、着れる物はほんの数枚。最終的に私は、朝何を着ていくか考えることが面倒になり、ほぼ毎日同じ格好で登校するようになった。ジャージのズボンに唯一お気に入りだったトレーナー、コーディネートはこれ一本。
よく、イジメられなかったものだ。
もちろん、おこづかいも無かった。欲しいものがある時には、その都度、母にお伺いを立てなければならなかった。が、立てた所で、却下されるのがオチだった。まあ、テレビゲームとラジカセがあれば十分だ。「足るを知る」ってやつだ。
あとはそう、思い出した。缶コーヒーだ。当時なぜか缶コーヒーにハマっていた私は、色々な種類の缶コーヒーを飲んでは、空き缶を集めていた。当然だが種類の数だけ味が違う。よく色々と考えるものだ。四~五十個は集めただろうか。コレクターの人の気持ちがよくわかる。集め出すと止まらない。なぜ集めようと思ったのかはよくわからないが、おそらく、兄がタバコの空き箱を集めている姿を見て、無意識に真似をしていたのだろう。真似をすることで、尊敬する兄に少しでも近づこうとしていたのだと思う。ラジオもそう。兄がいなくなってからというもの、兄がよく聴いていたラジオ番組を聴くことで、なんとか寂しさを紛らわそうとしていた。
そんな、「足るを知る」生活から、さらに足らなくなることが起きようとは。