数字
今私は、朝の4時にこの記事を書いている。
(2023年の夏に執筆した記事)
なぜなら、地震と暑さと時々救急車のサイレンで目が覚めてしまったからだ。私は、少しの揺れでもすぐ起きるタチなので、もうこうなると、もう一度眠りにつくことなど不可能である。かくなる上は、この時間を有効活用して、
「記事書いちゃえ!」
となった次第である。
地震で目が覚め、スマホで時間を確認すると、奇しくも2:46分。東日本大震災の起きた時間を連想させる時間だった。今回の発生時刻は41分だったが。(宮城県沖震度2)
なんとなくだが、この、「46」という数字、やたら気になる。
阪神淡路大震災の発生時刻も5:46分。他にもあったような気がする。
このように、いったん決まった数字を意識してしまうと、なにかと関連付けたくなるもので、
身近で言うと、「誕生日」がいい例だ。
何気なく時計を見ると、自分の誕生日の時刻になっていることがしょっちゅうあったり、前を走っている車のナンバーが自分の誕生日で無駄にテンションが上がったり、買い物した時のレシートが自分の誕生日だったり、「777」だったりすると、
「俺の時代が来たか?」
などと思ったりするのである。
別に誕生日にそこまで思い入れがあるわけではないが、やはり自分に与えられた数字として、無意識に意識してしまっているようである。
…無意識に意識するというのも変な話だが。
車のナンバーで思い出したが、私はここ数年、ドライバーの仕事をしているので、やたらと車のナンバーが気になるようになった。宅配をやっていた時は、何度も同じ家を訪問していると、嫌でもナンバーを覚えてしまうことが多々あり、逆に向こうにも自分の車のナンバーを覚えられ、後をつけられたこともあった(笑)
あなたはそんな車のナンバーを、名字にしてやしないか!?
310なら○○、3110なら○○といったように。
意識してナンバーを見ていると、結構こういう車が走っていることに気付く。宅配をやっていた時に、見事に車のナンバーどおりの表札だった時は、
「でしょうね」
と、妙な優越感に浸っていた。
そうしたい気持ちはわからないでもないが、知られるリスクがあることも知っておこう。まぁ、知られてもいいからやっているのだろうが。
ちなみに、「4410」は私ではないので探さないように…。
え?オマエには興味ない!?
失礼しました。それでは今回はこの辺で。じゃあな!