人は行間を読むことをやめた
・物事には行間と呼ばれるものがある。
行間っていうと、言葉としては行と行の間のこと。
つまり、物事と物事の間を理解するという話。
どんな状況でも行間を読むという状況は起こり得る。
それは、本を読むときだけではなく、
現実世界の会話でも起こるし、全てのことで起こる。
今は、要約が求められている時代だと思う。
映画だって、漫画だって、全ての情報、
リアルの会話だって、要約を求められる。
それも、すごい頻度で。
また、人は要約をすごい勢いで求める。
時代は情報過多、とんでもない量の情報が溢れている。
そんな時に人は1ページ目から情報を紐解くなんて面倒なことはしない。
要約を求める。
情報がキュッとまとまった物を求める。
そこに、要約者の意図があろうがなかろうが関係ない。
インスタントラーメンのように、たくさんの情報を消費したい。
そういう欲求がある。
もうこんな時代では、行間を読むという言葉は消えるのかもしれない。
ぼくはそこにこそ、全てが詰まっているようにも思うし、
その解釈をするために、自分で思考をして意見をまとめる。
行間を読むまでの過程すら愛しい。
こんなことを言いつつ、現実的にそれを実行はできない。
人は仕事に追われるし、不安に追われる。
行間は安心した時にこと、深く理解できる。
覗いていただき、ありがとうございます。
今日はどれくらいの行間を読めましたか。
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