呟けない、思いを書くことはできる
・ツイッターは開設しているが、中々呟けない。
理由はなんだろうかと考えてみる。
単純なところ、自分の気持ちを表に出すことがないからじゃないか。
何か思ったり、考えたりしたことは大体頭の中でグルグルするばかり。
思い返すと、一応メモをすることもある。
ぼくの中では、声に出すことが呟くと連動しているのかもしれない。
だから、
呟くことはできないけど、思いを書くことはできる。
そんなぼくも、最近は思いを表に出す練習をしようとしている。
やってることは簡単で、思ったことをできるだけ、
溜め込まないうちに、言葉に出す。
だけど、最近その役割がnoteになってきている実感がある。
というか、ただのメモがわりなのかもしれない。
思考をする上で、メモをとることは好きだし、
結局それは、頭の思いを言葉として吐き出しているのだから、
それを外に出せば、思いを表に表示していることと同じ。
基本的にこのnoteだって、構成を考えて書いたは一度もないし、
いつも行き当たりばったりで、思いついた言葉から、
文章として広げていっただけである。
つまり、頭の思考プロセスだったり、考えていることを、
生のまま、出してる。
この、生のまま出せる。
これが文章として、一番の強みかなと。
当然、整理して出す方法も文章にあるけれど、
生のまま出せるのがいい。
ぼくは、企画だったり、絵だったり、お話だったり、
色々表現が好きでやっているわけだけど、
大体のものは、生では出せない。
映像で全ての物事を考えてる人は、絵で生を表現できるかもしれない。
そう考えると、ぼくは結局言葉。
日本語で考えているんだろう。
これまで、自然体を毎日表現できるものはないだろうかと探ってきたが、
この考えに気づけたのは最近。
というか、いまだ。
今、俺って日常頭の中では、言葉で考えてるじゃん、って。
もう少し、ふかぼってみると、
言葉というのは、文字ではなかったりする。
自分で独り言をしてる。
話し言葉で考えておるよう。
じゃあ、一番最適なのは、ラジオみたいなやつなのかもしれない。
これも試してみてもいいかもなぁ。
一瞬で起こりえる問題が、めちゃくちゃ浮かんだけれど。
覗いていただき、ありがとうございます。
今のところ、文字ベースがうまくいきそうな予感。
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