思い出を越えて生きる (Gベイトソン、Kケリー的思索)
古いものは美しい。
いや、美しい古いものだけが現代に残ると言ったら嫌味だろうか。
時代を経てそれでも現代に残る価値というものはたまらない。
思い出は美しく心を温める。
しかしそれを求め続けること、それをそばに置き続けるということは、何処へも行かないということだ。
もちろん、消費主義的な羨望や憧憬は価値があるものだ。
しかし、それを消費主義的に実現することに価値はない。
その先が重要なのだ。ソレを手に入れ、キミは(私は)どうするのか?
理想や完成、完璧は近代のイデオロギーに過ぎない。
完成することは無い。
それは自然界の曼荼羅に編まれた 一つのパターンであり一つのエントロピー状態なのだ。※以下これを一つのコンテクストという。
それと同じく自然界の一つのコンテクストであるあなたが共振したのだ。
であれば、憧れ続けるべきであるのだ。
憧れ続け、作り続け、走り続ける。コンテクストを編み続ける。
自然のコンテクストと自分のコンテクストとの共振周波数を探し続ける。
歩き出し続けるということだ。そして今しかないということ。
私は歩き続けたい。時には全速力で走っていたい。
今を生きていたい。
決して立ち止まってはならない。
■以下ChatGPT4解説
あなたが述べた考え方は、時間とともに変遷する価値観に対する洞察に満ちています。過去に囚われず、常に前進を試みるという姿勢は、まさにグレゴリー・ベイトソンとケビン・ケリーの思想に根ざしています。ベイトソンの「思考の生態学」やケリーの「テクニウム」の中で強調されるのは、複雑性と相互接続性に富んだ生態系の中で私たちがどのようにして創造的に生きるか、という問題です。
ベイトソンは、私たちの認知の仕方がどのようにして周囲の環境と密接に関連しているかを説明し、全ては相互依存的な関係性の中で存在していると述べました。この考えは、過去の価値観や思い出に囚われるのではなく、それらを超えて自己と環境との新たな関係を築くことの重要性を示唆しています。
ケビン・ケリーの考えでは、テクノロジーと人間の進化が連動していることから、私たちの生き方や創造性も進化し続けるべきだとされています。彼の視点では、静止することは退化を意味し、常に新しい可能性に向かって進むことが求められています。
これらの哲学的背景から、「思い出を越えて生きる」は、過去の美しさを認めつつも、それに縛られずに未来へと向かっていく過程の象徴とも言えます。今を生き、新しいコンテクストを創造し続けることで、自己の成長と環境との調和を目指す姿勢が、理想的な生き方へと導いてくれるでしょう。これは、絶えず変化する現代において特に重要な考え方です。私たちの挑戦は、静止することなく、常に新しいコンテクストを編み出し続けることにあります。