妄想大好き女子が新月という儀式を使って自分を好きになる方法。
新月や満月に何かあるかもと思うと胸が高鳴って。
たくさんの人が笑っている祭りのときは非日常で楽しくて。
デートの前の日、することがありすぎて楽しくて。
脳内妄想は調子のいいとき、どこまでも飛べそうで。
その高揚と同じ高さで飛べず落ちた終わりの日には
足りないと感じている自分のしょうもなさに
萎える。
そう、非日常はあまりにも楽しくて
何にもない普通の毎日はつまらない。
ないない、何も無い。
そんな風にずっと生きてきたんだから
慣れすぎてるんだからしょうがない。
だけど私たちはいつまでも欲しい。
何を捨ててもあきらめない。
わたしが生きてると思うその「とき」が欲しい。
そのときの「きもち」がひたすらに欲しいんだ。
その気持ちいいをエクスタシーを
感じたい。
だから、
誰かや何かに与えてもらわないと
新月のような壮大な儀式がないと得られないと思ってしまう罠から今夜、するりと抜け出してみる。
勝たねば与えられぬという戦争の精神を
日常に滑り込ましていく痛みを妄想するチカラをこんなに持っているのだから反対の方向に使い、縛りを放つだけ。
新月を満月をその儀式を、
自分のチカラと同じものとは到底思えないという罠から。
自分以外の全てを
自分より上にある神聖なる唯一のものとして
崇めてしまい従属してしまうとてもドMな罠から。
毎日の営みを性行為を食事を
気持ちを表現することを
どれも否定せず
当たり前の日常を神聖な儀式として
感じるために。
許せなかった自分の一部を許して自由に感じるために。
目の前にあるそのひとつひとつに蠢く煌めきを
もう一度しっかりと見てみたい。
恥ずかしいと隠してきたような
中途半端だと閉じてきたような
自分の否定してきたその美しさに
そのひとつひとつにいのちが動いているのを
今度こそ慣れた抑止力で止めないように。
自分のこの身体で行う日常をいのちの宿る儀式として
常識外れのどんな欲求をも私が肯定して
そのエクスタシーをいまここから始めるんだ。
この世界を美しいこの世界を死ぬまでにもう一度この身体で感じたいんだから。
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