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白兎神、大いなる陰謀に巻き込まれ日の本を救いし物語6 タケミカヅチノカミに会い謎が徐々に明らかになりし話

「それは、親玉の気配ですか? それとも、神宮の中の手下の気配ですか?」

トオミノミコトが、不安な面持ちになりました。

「両方です。手下はともかく、首領の気配が消えるなどありえない。そして……見えないんです」

「あの……何が見えないんですか?」

だんだん不吉な予感が強まってきます。

トオミノミコトは、絶望的な声音になりました。

「何も見えません。肉眼に映る周囲の景色だけで、私の遠見が全くきかない……タケミナカタノカミの位置も毘沙門天の動きも……敵がどこにいるのかも……」

ぽかんと口が開いてしまいましたが、すぐさまわたくしは問いただしました。

「あなたの遠見ができなくなるなんて、そんなことが今までにもあったんですか?」

「いいえ! こんなことは初めてです。おかしい、どうして見えないのか……」

うろたえているトオミノミコトは、その場に立ち尽くしてあちこちに目を向けているだけでした。

わたくしは決心して、梨割剣を抜きました。

「タケミカヅチノカミのところへ案内してください」

「し、しかし、まだ他の方々が……」

「敵の気配が消え、あなたの遠見ができないということは、さらに〝軸〟が歪み事態が悪い方へ動いたと考えてよいでしょう。こうなったら一刻も早くタケミカヅチノカミにお会いして、わたくしが持っているという力をお渡しするしかありますまい。ここにいても、すぐに敵に見つかるでしょうし。タケミナカタノカミと鳥さん、毘沙門天は、きっとすぐにわたくしの神気を辿って追いついてこられるはず。行きましょう」

トオミノミコトも何とか落ち着きを取り戻したらしく、腰の短剣を抜きました。

「取り乱してしまって申し訳ございません、シロナガミミノミコト。あなたのおっしゃるとおり、真っ直ぐ我が主の許へ行くのが上策。他の神々も探して追いついてこられると信じましょう。最短で参りましょう」

決心したらしく、トオミノミコトは走り出しました。

わたくしも続きます。

しかし、なぜか見えている本宮から遠ざかって行きます。

「どちらへ行かれるのですか? 本宮はあちらですよね?」

トオミノミコトは、振り返らずに答えました。

「我が主は、今は本宮にはおられません。敵の首領を押さえつけ、膠着状態なのです」

「どういうこと……ああ、そうでした、お会いするまで、教えていただけないのでしたね」

「あいすみません、シロナガミミノミコト。うわ!」

急に声を上げ、トオミノミコトが立ち止まります。

わたくしもすぐに止まり、前方を見て驚きました。

「あ、あの……ここって鹿島神宮の中ですよね?」

問いかけるわたくしの声がうわずっているのが、自分でもわかりました。

そして、トオミノミコトも裏返ったような声で答えました。

「は、はい……そのはず……なのですが……」

「これは……」

わたくし達は絶句して、抜き身の剣を手にしたまま、おつむも身体の動きも停止してしまったのでございます。


 

目の前の光景は、信じられないものでした。

少し薄暗い町が広がり、その中を醜い女や鬼が歩いています。

見覚えがあります。

醜女も醜鬼も、根の国に住む者達。

そして目前に広がる様は、紛れもなく黄泉の国。

おつむの中が混乱しています。

わたくしが見知っている根の国の光景に、一部が被さるように見たことのない風景が現れてきたのです。

それは神々しい光に満ちた世界で、どなたかは存じませんが一目で尊い大神様とわかる方々が行き交っておいでです。

「……まさか……これはあるじが語っておられた高天原?」

掠れた声でトオミノミコトがつぶやきます。

わたくしもそれを聞いて納得しました。

ええ、高天原ならば、このような素晴らしいもったいないほど神聖な所でしょう。

いやいや、おかしいですよ。

この風景が高天原だということは納得できましたが、どうして地上の鹿島神宮に、よりにもよって根の国とだぶって高天原が見えるんですか?

いやいやいやいや、根の国が見えることだって、おかしいですよね。

ここ、生者の国ですから。

棒立ちになっているわたくしの長い耳に、緊迫したトオミノミコトの声が飛び込んできました。

「急ぎましょう、主の所へ」

再び走り出した神の背に続き、わたくしも走りました。

もうおつむの中が破裂しそうでしたが、ともかくこの案内役の神についていくのが得策だと本能的に判断したのだと思います。

自分の事ながらなんとも頼りない物言いだとあきれられるかもしれませんが、このとき自分がどう考えていたのか、今でもはっきりとは思い出せないのでございます。

ええ、もうそのくらいわけがわからなかったのです。

目の前の背中が、また停止しました。

「お逃げください、シロナガミミノミコト!」

悲鳴のような叫びが聞こえるのと、わたくしの体が後ろから鷲づかみにされるのが同時でした。

「ひえ!」

情けない声をあげてしまいましたが、まさにそのときのわたくしの気持ちは「ひえ!」以外には表現できませんでした。

何が起きたのか判断する暇もなく、わたくしは一瞬で連れ去られたのでございます。
 


 
気がつくと、頑丈な石造りの壁と天井に囲まれた部屋の中で、目の前には大きな扉がありました。

「あれ、誰かに連れて来られたのでは?」

何とか記憶をつなぎ合わせてみましたが、他には誰もおりません。

振り向けば、そこも壁。

そう、目の前の扉を開けて進む以外、わたくしはどうすることもできない状況でした。

「この扉を開けるのは、敵の罠に違いありません。何とか壁を破って逃げなくちゃ」

何とかかんとか考えをまとめ、わたくしは腰の梨割剣をすらりと抜き、どこを斬ろうかと見回しました。

「とりあえず、後ろの壁を斬ってみましょう」

そう独り言をつぶやいていたのは、とても不安だったからだと思います。

タケミナカタノカミか毘沙門天、せめて鳥がいてくれたならよかったのですが、さすがにウサギ一匹には心細すぎる場面でした。

決心して剣を振り上げ、背後の壁に近寄りました。

あらんかぎりの力をこめて壁を斬ろうとした瞬間、ふいにうめき声が聞こえます。

「この声は?」

聞き覚えがありました。

「タケミカヅチノカミでいらっしゃいますね? シロナガミミノミコトです。どちらですか?」

「来てくれたのか!」

苦しそうですが、明らかに喜んでいる鹿島神宮の主の声がしました。

「誰か、一緒か?」

「いいえ、わたくしだけです」

大声で答えますと、今度は悲痛な返事がしました。

「トオミノミコトは一緒ではないのか?」

「途中までご一緒しましたが、敵に引き離されてしまい、わたくしだけがここに……」

「やられた!」

太いうめき声が響きました。

「逃げよ、罠だ」

「逃げろと言われましても、目の前に扉が一つ、その他は石の壁です。どこへ逃げればよろしいのですか?」

また、うめくようなお返事がありました。

「……万事休す……もう逃げ場がない……その扉を開けてこの部屋に入れば、おまえさんは奴らの手中に陥る。わしには助けてやることができん」

「あなたもその部屋にいらっしゃるのですか?」

またまたおつむの中は大混乱になりましたが、とりあえずお尋ねしてみました。

「そうだ、わしもこの部屋にいる。だが……手を離すことができんのだ。連中の首領を押さえるのが精一杯。周囲にいる雑魚どもを、蹴散らすことができん。トオミノミコトがおれば、 この連中に見えないようにおまえさんをわしの側に連れてくることができたのだが、先にあいつらに見つけられてそこに放り込まれては、もうどうすることもできん」

はっとして、わたくしは声を張り上げました。

「鹿島神宮に来たのは、わたくしだけではございません。タケミナカタノカミ、毘沙門天、そしてイザナミノミコトの領巾ひれの化身である強力な鳥も一緒です。引き離されましたが、皆様、わたくしを探してここまでおいでになりましょう」

「なんだと!」

絶望的な声音に、再び喜びが混じりました。

「それならば、何とかなるかもしれん。シロナガミミノミコト、その場を動くな。何があっても、身を守ってそこにいてくれ。彼らが合流したら、扉を開けて入ってきてくれ」

「承知いたしました」

壁から離れ、扉の近くへ移動しました。

そして油断なく剣をかまえたまま、わたくしはまた大声をあげました。

「タケミカヅチノカミ、お教えくださいませ。なぜ、わたくしは敵にもあなたにも呼ばれたのですか?」

しばらく返答がありませんでしたが、ややあってから声がしました。

「すまん、きゃつを押さえているゆえ言葉にできん。言霊がお前の中にある〝力〟を引き出してしまうだろう。出雲で会ったときにでも話しておけばよかったな。それなら、〝力〟が出てきてもオオクニヌシノミコトやわしらで簡単に封じることができたのだから……いや、そもそもおまえさんがその力を持ち帰っていたことすら、どの神々も忘れておったな。まさか使うときが来ようなどとは、誰も思っておらなかった……」

「わたくしが知らない、わたくしが秘めた〝力〟を他の神々はご存じだったのですか?」

びっくりの連続で、だめ押しでびっくりしつつお尋ねしたところ、すぐさまお答えがありました。

「ごく一部の強い神は知っているよ。ただタケミナカタノカミは知らないだろう。出雲に来ておらんからな。おまえさんからふと感じ取って不審に思っていたら、オオクニヌシノミコトが教えてくださった」

ふいに扉がギシギシと音を立てました。

「ああ~、敵が中からこっちへ来るようです!」

悲鳴を上げてしまいましたが、苦しげながら落ち着いたお返事がありました。

「大丈夫だ。おまえさんが開けない限り、中からは開けられん。わしの結界だからな。ずいぶん手下の雑魚どもを逃してしまったが、親玉といくらかの手下どもはここに封じ込めてある。外にいる奴らはおまえさんをそこに置いて他の通路を塞ぎ、おまえさんにその扉を開けさせようとしている。ああ、早く他の神々が来てくれんかな~」

わたくしは、剣を構えたまま動けませんでした。

疑問は多々ございましたが、何を訊いても今の状態では言霊の発動に繋がるので教えてもらえません。

ひたすらタケミナカタノカミと毘沙門天のおいでを待っているうちに、周囲の壁が少し揺れました。

気のせいかと思いましたが、縦に横にと小刻みに床が、いえ周囲が揺れております。

「タケミカヅチノカミ、周りが揺れています! 地震でしょうか?」

鹿島の大神様の返事よりも早く、周囲の壁からわらわらと妙な者達が沸いて出ます。

見覚えがあります。

富士山太郎坊と共に襲われたときの相手と全く同じ連中です。

わたくしはすかさず背中の袋から御教訓集を出そうとして、すんでの所で手を止めました。

近くには鹿島神宮の主がいらっしゃるのです。

いくらこの連中がわたくしより強かろうと、タケミカヅチノカミの敵ではないでしょう。

そうするとオオモノヌシノカミの祟りは、わたくしたちに向かってしまうのです。

「ああ~、どうしましょう」

悲鳴を上げてしまいましたが、相手は少しも同情してくれた様子はなく一斉に襲いかかってきます。

梨割剣を振り回すよりも先に、あっさりと敵に押さえつけられてしまいました。

高尾山近くの襲撃で、梨割剣対策を学習したのだと思います。

勾玉のようなぬぺっとした形で、手足がない相手ですが、それでもまたヒレのような腕が飛び出して、わたくしをしっかり捕らえているのです。

絶体絶命の状況でしたが、ふっと鼻に知っている匂いを感じました。

(この匂い……まさか、こやつらの正体は……)

「ウサギ、さっさと扉を開けて中に入れ」

「さあ、我らのおかしらがお待ちだ。早く行け!」

「もう逃げられんぞ。諦めて、おまえの〝力〟をお頭に渡せ」

口々に責め立てる敵は、六匹ほどでしたでしょうか。

わたくしはしっかり押さえ込まれ、扉の方へと連れて行かれます。

「おまえたちは何者ですか? ここで何をするつもりですか? わたくしの力とは何なのですか?」

必死で問いかけましたが答えはありません。

連中は言いたいことだけを言って、じりじりとわたくしを扉へ押しやります。

梨割剣を持っている右手もしっかり封じられ、動かせません。

いい手立ては思いつかず、もう扉の真ん前まで来ておりました。

空いている左手が持ち上げられ、扉へと押しつけられました。

「さあ、ウサギ、開けろ。開けて、我らのお頭に……」

もうどうすることもできません。

自分の腕を勝手に扉にかけられて押し開けさせられようとしましたが、唐突に体が軽くなり、わたくしは床に転がりました。

「ふぇ~」

また変な声が出てしまいましたが、どうやら急に放されたのだとわかりました。

どうしてそんなことになったのかを理解するのは、簡単でした。

周囲にいた敵が、床や壁に叩きつけられているのです。

味方の神々がおいでなのかと思ったら、そうではありません。

なぜかのっぺらぼうの一匹が、仲間を叩きつけているのです。

「どうして?」

唖然としているわたくしに、その一匹がヒレのような手を差し伸べて、わたくしの腕を掴むと叫びました。

「逃げますよ、シロナガミミノミコト!」

よく知っている声です。

「あなたは、あの時の遣いの方!」

そうです、白兎神社に文を持参し、オオモノヌシノカミを訪ねるように忠告してくれ、さらに諏訪大社近くで囚われた際に助けてくれた、あの遣いです。

わたくしの手を掴んだ遣いの男だった者が動きました。

それと同時に、天井にぽっかりと穴が開きます。

遣いの男はすばやく穴に向かって上昇し、それにつれてわたくしの体も上ってゆきます。

奇妙なことですが、気持ちが落ち着きました。

この男は敵なのですが、間違いなくわたくしを助けようとしているのです。

「待て、ウサギをどこへ連れて行く!」

「裏切る気か」

下の方から怒声が響き、棒のようなものが次々に打ち上げられてきます。

「ひい~」

悲鳴を上げてしまいましたが、遣いの男だった勾玉状の化け物はわたくしを懐へ抱え込むようにして、突風のように穴から飛び出しました。

何とか下を見ると鹿島神宮の結界から抜け出ております。

「出ちゃいましたよ」

間抜けな声で問いかけましたが、相手は答えません。

そのまま結界の外の地面へ降りました。

足の裏がついてようやくわかったのですが、そこは砂浜で波の音がしています。

「ここまで来れば大丈夫です。味方の神々も、あなたが鹿島神宮の外へ出たことに気づき、まもなくおいでになられましょう」

勾玉の化け物は、白兎神社に来たときの男の姿に変わりました。

「ありがとうございます。あなたには三度もお助けいただきました」

お礼を言うと、男はにっこりして、そのままうつ伏せに倒れてしまいました。

「どうしたんですか? ああ~!」

男の背には、びっしりと棒状のものが刺さっています。

さっき下から打ち上げられた武器に違いありません。

「わたくしをかばってくださったのですね? すぐに手当を……」

どういう作りなのか引っ張ってもなかなか抜けません。

それでも必死に抜こうとしましたが、男は弱々しく笑いました。

「無理ですよ、シロナガミミノミコト。これは特殊な作りになっていて、相手の体に刺さると同時にその生命力を吸い取りにかかるのです。これを打ち込んだ者よりも強い霊力・妖力を持つ者でなければ抜けないのです」

涙がこぼれてきました。

さっきの敵の方が強いことはよくわかっています。

それでも手を止めることができませんでした。

「わたくしのような者のために、こんな目に……お助けします、何が何でも……」

泣きながらビクともしない棒の一本を掴んで引っ張りました。

すると、遣いの男はそっと片手を上げて伸ばしました。

「シロナガミミノミコト、お仲間の神が……」

男が指さす方に三つの光が現れ、すぐに大神様と鳥になりました。

「この棒を抜いてください。わたくしを助けてこんなことに……」

泣きながらタケミナカタノカミと毘沙門天に訴えたので、毘沙門天が左手を軽く動かされました。

同時に男の背の棒はすべて抜けて、浜辺に散らばり消えてしまいました。

「よかった、すぐに手当を! 近くの神社で薬を分けてもらいましょう」

がっしりとした手が、走りだそうとするわたくしの肩を掴み止めました。

タケミナカタノカミが、悲しく優しいお顔で見下ろしておいでです。

その表情で、すぐにわかりました。

わたくしは、倒れている男の前にぺたりと座り込んでしまいました。

「なぜ……ご自分の命をかけてまで、わたくしを……」

泣きながら問いかけますと、男は微笑みました。

「あなたのお情けに報いたまで」

「わたくしが? ご自分の命をかけるほどのことを、あなたにしてさしあげたことはありません」

男は首を横に振りました。

「私があなたの社を訪ねたとき、伊勢参りに行くと嘘を言いました。その時、あなたは私をねぎらって梨を三つくださいました。その時に決めたのです。仲間を裏切ることになろうとも、あなたを三度お助けしようと」

わたくしは泣きながらも、呆然として男を見つめました。

「梨って、あんなもののために命がけで助けてくれたのですか? そんな~」

男は清々しい笑みを浮かべています。

「あなたは私がただの精霊に過ぎないと思っておられたそのうえで、親切に労をねぎらい神々に配った物と同じ物をくださいました。私を神々と同じように扱って……嬉しゅうございました。あなたのような神がおられるなら、この国もまだ大丈夫でしょう……きっと……」

男は何とか顔を上げ、タケミナカタノカミと毘沙門天の方を見ました。

「勇敢なる神々よ、あなた方は鹿島神宮の中で何が起きているのか、ご存じですね? そしてシロナガミミノミコトが呼ばれたわけも……お願いいたします。私がこんなことを申し上げるのはおこがましいのですが、どうぞシロナガミミノミコトをタケミカヅチノカミのもとへ……そして日の本に降りかかる災いを……退けて……」

男は、必死にわたくしの方へ顔を向け直しました。

「ありがとうございます、シロナガミミノミコト……あなたにお会いできて……よかった……」

遣いの男の言葉がとぎれました。

わたくしは泣きじゃくりながら、だんだん薄れてゆく男を見ていることしかできません。

頭の上で、タケミナカタノカミの声がしました。

「情状酌量の余地はあるが、根の国へ送れば重罰を受けることになる。どうしたものか?」

するとすぐに毘沙門天の声がしました。

「俺の方で受け取ろう」

成り行きがわからないまま顔を上げて二神に問いかけるより早く、男の体が完全に消え、毘沙門天の掌で小さな灯火のようなものが揺れています。

そうです、あの遣いの男の魂です。

毘沙門天が小声で呪文のようなものをつぶやかれます。

すると我々の前に、見たこともない異国の神らしき者が現れました。

平伏する現れた者に、毘沙門天は遣いの男の魂を差し出されました。

「冥府へ届けよ。事情を閻魔に伝え、後に俺からも挨拶すると言っておけ。行け、自在使者」

恭しく魂の光を受け取って、自在使者と呼ばれた者は両手で大切に魂を抱えて消え去りました。

状況が飲み込めないまましゃくりあげているわたくしに、毘沙門天が優しく微笑みかけておられます。

「案ずるな。あやつの魂は我々仏の世界の冥界へ送った。いにしえよりの神々の冥界へ送れば、いかにおまえを助けたとはいえ今回の一連の騒動に荷担した罪で厳罰は免れぬ。だが我らの裁きの場ならば、あの男の立場もウサギ神を助けた気持ちも充分に斟酌しんしゃくしてもらえる。俺からも閻魔に口添えするゆえ、それほど重罰は受けまい」

「ほ、ほんとうで、ございますか? ありがとうございます」

がばりとひれ伏してお礼を申し上げました。

ふわりとわたくしの頭に重みがかかります。

「無事でよかったわ。あの遣いのことはもう大丈夫。合流したんだから、鹿島神宮へ入ってタケミカヅチノカミを手伝わなきゃ」

鳥の言葉に、すぐさま状況を思い出しました。

「そうでした。かなり苦しいご様子でしたし急がないと」

「あいつに会えたのか?」

タケミナカタノカミの問いかけに、わたくしは首を横に振りました。

「扉越しにお話ししただけです。かなり息絶え絶えというふうに感じました」

「そりゃそうだろう。一人であれだけの敵を必死に押さえているんだからな。あいつじゃなければ、ここまで持ちこたえることはできなかったろうよ」

わたくしは、まじまじと諏訪の大神様を見つめました。

「鹿島神宮の中での出来事、ご存じなのですか?」

すると鳥が頭の上にとまったまま答えました。

「あなたと引き離された後、すぐに毘沙門天が追いついてきてね、すべて教えてくれたのよ。あなたの耳にさえ入らなければ、言霊は発動しないから。話を聞いて、びっくりしたわよ」

そうでしょうね。

何もかもが、びっくりですよ。

毘沙門天が、三叉戟さんさげきを持ち直されます。

「中に入るぞ。急がねば」

わたくしの体が持ち上がりました。

タケミナカタノカミに抱えられております。

そして鳥は鉢巻きに姿を変え、しっかりと頭に巻き付きました。

毘沙門天が三叉戟を一振りされると、空間に大きく亀裂が入り鹿島神宮の内部が見えます。

一瞬のうちに二神は神宮の中へと移動され、亀裂が閉じた気配がしました。

わたくしはタケミナカタノカミに小脇に抱えられ、なんとも情けない格好でしたが、今は恥ずかしいだのとは言っていられません。

毘沙門天は素早くあたりを見回され、三叉戟を構えられました。

「誰か、来る」

タケミナカタノカミも片手で大剣を構えられ、わたくしはそのまま荷物のように反対の腕で抱えられておりました。

ふわりと弱々しく姿が現れたのを見て、あわてて叫びました。

「ご無事でしたか、トオミノミコト! ああ、皆様、この神はタケミカヅチノカミにお仕えする方。我々の味方です」

「よかった、シロナガミミノミコト。他の神々も、よくぞおいでくださいました」

一気に年老いたように弱っていたものの、紛れもないトオミノミコトでございます。

味方の神々から、敵意が消えました。

「おまえがタケミカヅチノカミの許へ案内してくれるのか?」

タケミナカタノカミが念を押されたので、トオミノミコトがうなずきます。

「お待ちしておりました。事情はおわかりですね? 毘沙門天がお二方に話しておられたご様子、こちらから拝見しておりました」

「また遠見ができるようになったのですか? それに、さっきの根の国と高天原のだぶった風景が消えていますが……」

ようやく気がついて混乱するわたくしに、トオミノミコトが強ばった顔で答えました。

「突然、消えてしまいました。私を襲った連中も一緒に……事態が改善したとは思えませんから、油断はできません。さあ、参りましょう」

トオミノミコトは先に立って歩き出しました。

「あら? さっきの場所とは反対の方角ではありませんか?」

間抜けな格好で諏訪の大神様に抱えられたまま、問いかけました。

すぐに、トオミノミコトは歩きながら振り返りました。

「こちらは敵の警戒が手薄なのです。できるだけ我が主と合流されるまで、戦闘は避けとうございます」

「だな。俺らで蹴散らすのは簡単だが、あまりこの一帯を刺激したくないしな」

タケミナカタノカミが緊張したようにおっしゃいます。

頭に巻き付いた鉢巻きは無言でしたが、ひしひしと緊迫した気が伝わってきます。

(いったい、わたくしにどんな力があるというのでしょう? そしてなぜあの男は、たった三個の梨のために命をかけて守ってくれたのでしょうか?)

涙があふれそうになりましたが、緊迫した神々のご様子が、気持ちを切り替えさせてくれました。

(今は泣いている暇などありません。日の本を救って欲しいと、あの男は言いました。わたくしにできることを全力でしなくては……)
 




トオミノミコトに案内されて進む間、なぜか敵に全く遭遇しませんでした。

やがて、小さな建物というよりは簡単な小屋のような場所に着きます。

「こちらです」

トオミノミコトに案内され、中へ入りました。

驚いたことに、そこはさっきの部屋で突き当たりにあの扉がありました。

「ここにも敵がいないな」

タケミナカタノカミが、油断なく見回しておいでです。

「我らにはかなわないと気づいて引いたのか、期が熟したので引いたのか、どちらにせよタケミカヅチノカミに合流しよう」

毘沙門天も三叉戟を手元に引き寄せられたまま、トオミノミコトに続きます。

すぐに扉の前に着き、トオミノミコトが振り返ります。

「私に続いておいでください」

何と扉を開けずにするりと入り込みます。

それに続いて、二神もまたすんなりと室内にお入りになりました。

入った瞬間、わたくしは声を上げそうになりましたが必死でこらえましたとも。

どのような敵が待ち構えているのかと身構えていたのに、そこにおられたのはタケミカヅチノカミのみ。

しかも、なぜかかがんで地面にある大きな石を押さえていらっしゃいます。

敵の首領とにらみ合っていたはずなのですが、はて?

タケミナカタノカミがすばやくわたくしを下ろして、駆け寄られます。

毘沙門天も同様に、タケミカヅチノカミのお側へ行かれました。

そして、なぜかタケミナカタノカミがタケミカヅチノカミと同じような格好で、毘沙門天は三叉戟の柄の下方で、しっかりと石を押さえられました。

「むぐっ。なんて力だ」

タケミナカタノカミがうめいておられます。

「これを一人で押さえていたとは、たいしたものだ。鹿島の武神よ、これは我らが押さえる。早くシロナガミミノミコトに事情を話して、あの力を……」

毘沙門天も全力で押さえていらっしゃるらしく、顔をしかめながら鹿島の大神様を促されます。

きょとんしているわたくしの前に、げっそりとした顔つきのタケミカヅチノカミがいらっしゃいました。

「遠いところをよく来てくれた。ありがとう、シロナガミミノミコト。そして危険な中をよくぞ案内してくれたな、トオミノミコト」

トオミノミコトが、疲れ切った顔に笑みを浮かべて一礼しています。

わたくしも鹿島の大神様に一礼してからお尋ねしました。

「ここには敵がいたはずですが、どこへ消えたのですか?」

「この部屋にいた連中は、すべて一つに戻った。全員、その石の下にいて押し出そうとしている。外の連中は入れんからな。おそらく扉の外に集まって、こちらの様子をうかがっているのだろう」

「はあ~」

間抜けな声を出してしまいました。

つまり、どういうこと?

タケミカヅチノカミは、額から流れ落ちる汗をぬぐいながら口を開かれました。

「順番に説明しよう。まずわしが押さえていたのは要石かなめいし、わかりやすく言えば地下にいる連中が暴れるのを押さえ込んでいる石だ」

「地下に? 誰かいるのですか?」

仰天しているわたくしに、タケミカヅチノカミは大きくうなずかれます。

「そうだ。オオクニヌシノミコトが国造りをなさっていた頃から、ここには、いやここだけではなく、日の本のあちこちに地下に潜む者達がいて、このような要石で押さえているのだ」

オオクニヌシノミコト! 

はっとしました。

毘沙門天は、オオクニヌシノミコトはこの騒ぎが始まる前からすべてを知っていたとおっしゃいました。

まさか原因が国造りにまで遡るとは……またまたびっくりでございます。

「驚いたろうな」

「はい。まさかそんなに昔から閉じ込められていた者がいたなんて、知りませんでした」

すると鹿島の大神様が、首を横に振られます。

「閉じ込めていたのではない。自ら志願して、入ってくれたのだ」

「ふへ!」

ちょっと待ってください。

好き好んで地下に潜って、しかも要石で押さえられていたんですか?

なぜまた、そのような酔狂を?

混乱しているわたくしに、タケミカヅチノカミが穏やかにおっしゃいました。

「驚くのも無理はない。これは国造りの時代にまで遡る話だ。オオクニヌシノミコトがこの国を造っておられたとき、困ったことが起きた。それはこの国の土台を支える礎が、非常に弱いということだった。地の下には様々な澱んだ負の気が充満する。地上で人間が生きれば否応なく、怒り、憎悪、悲哀、嫉妬、恐怖、不安、強欲、身勝手などが生じ、地上で浄化しきれないものは次第に地の下へと流れ込む。それらの負の気はそのままにしておけば貯まる一方で、地面を支える土台を揺るがし国土をひっくり返してしまうのだ。こればかりは、どう国を造ろうとも避けられないことだった。この負の気をどうするか、それが国造りの際に大きな問題となっていたのだそうだ。その時、オオクニヌシノミコトに協力しようと申し出た者達がいた。それが龍の一族だった」

初めて聞くお話でした。

オオクニヌシノミコトの国造りの時に、そんなことがあったなんて! 

タケミカヅチノカミはまた額の汗をぬぐわれて、お話を続けられました。

「龍達は、オオクニヌシノミコトが真剣に良い国を造ろうと努力されている御姿に感銘を受け、自らをナマズに変えて地面の下に入り負の気を浄化し国土を支えてくれることを引き受けてくれたのだ。それでも、負の気があまりにも多すぎてナマズになった龍達でも手に負えず地上近くまで押し上げられる場合がある。そういうときのために要石で上から押さえるようにと、ナマズ側から提案されたのだ。こういうわけで、この国の地下にナマズが住み着き、もっとも負の気が噴出しやすいもろい場所はさらに要石で押さえて、国土を安定させたのだ。この事情は、古くからの神々ならば知っている者も多い」

「存じませなんだ」

思わず下を向いてしまいました。

わたくしは国津神としての自負を持っておりましたが、聞いたことがございませんでした。

ウサギ神は、大事なことを知らせるほどでもない、取るに足りない存在だったのでしょうか?

そんなわたくしの思いに気付かれたのか、タケミカヅチノカミが慰めるように微笑まれました。

「おまえさんだけじゃない、他にも知らない神はたくさんいるよ。主に要石のある地域の神やナマズとのやりとりを直接見聞きしている神は知っているし、それ以外の神は知らない。それだけのことだ」

「オオモノヌシノカミもご存じなのですか?」

「ご存じではあろうが、忘れておいでだろう。なにしろスクナビコナノミコト(少彦名命)が来られる以前のことだから。わしとて、鹿島神宮に鎮座するときにオオクニヌシノミコトに教えていただいて初めて知った事よ」

「そうなんですか」

わたくしが呆然としている様子を見て、タケミカヅチノカミはややこわばった口調でおっしゃいました。

「驚かせてばかりですまんが、大事な話はこれからなんだ」

「そ、そうですね。要石の下の元龍のナマズさん達と今回の件、どういう関係があるんでしょうか?」

「うむ。話を続けよう。ナマズたちは懸命に働いてくれたよ。人間世界で生じる負の気を浄化し、この国の土台を守ってくれた。だが、どうしても抑えきれない場合は仕方なく外へ放出した。それが日の本では地震として現れた。人間達は『ナマズが暴れて地震が起こる』と言うが、それは浄化できないほどの負の気に耐えかねてナマズが外へ出すのだ。そうせねば国全部が崩壊して海の藻屑になってしまうからだ。誤解の無いように言っておくが、決して要石のある場所の民の心がけが特別に悪いのではない。日の本すべてで生じる悪しき心が地下に入り、その流れが常に移動していて、吹き出しやすい場所にナマズがおり、要石があるだけなのだ。いつどこで地震が起きるかは、その時の風向きのように負の気の流れ具合によるもの。だから、いつどこで地震が起きても不思議ではないし、その地震が起きた地の人々が悪いわけでもない。国全体の気の乱れを、誰もが地震という形で負う可能性がある。そのためにナマズたちはできるだけ負の気を浄化し、表面に出さないようにがんばってくれているのだ」

なるほど、人間世界よりも神の領域の方が活動しやすいのも最もです。

悪霊や悪鬼ではなく、神々に近い存在のナマズたちなのですから。

「そんなたいへんな仕事を、ナマズさんだけがしていたのですか? 誰かお手伝いできないのでしょうか? あまりにもお気の毒です」

すると、タケミカヅチノカミが苦しげなお顔になられました。

「その通りだよ、シロナガミミノミコト。こんな大事、いくら自ら志願したからといってナマズたちだけに押しつけてはいかんのだ。昔は神々も浄化を手伝い、ナマズにだけ辛い仕事を押しつけたりはしなかった。だが時がたつにつれ、だんだんナマズの仕事を軽んじるようになっていった。汚れた負の気を浄化するなど卑しい事だと見下すようになり、手を貸さず忘れていったのだ。負の気とはいえ、もともとこの国の人間が出すもの。だからいにしえより日の本にいる神ほど、負の気の増大やナマズへの負担を感じ取るのが鈍かった。感じたとしても、ナマズが何とかするだろうと高をくくっていたのだ」

「そ、そんな~。ナマズさん達が可哀想じゃないですか!」

思わず叫んでしまいましたとも。

鹿島の大神様は、静かな眼差しを向けられました。

「おまえさんのような神ばかりなら、こんなことにはならなかったのにな。だが、わしも他の神を責められん。ナマズたちに『もう浄化できない、苦しい』と訴えられても、あまり深刻には考えていなかった。いつものことだ、いざとなったら乗り出せばよい、その程度に考えていたのだから」

ほうと大きく悲しげに息をつかれてから、タケミカヅチノカミが続けられました。

「ナマズたちは、次第に恨みをつのらせていった。当然だ。地下で必死に浄化している自分たちの苦労も知らずに、人間どもはだんだん欲深になり、戦を引き起こし、良き心は廃れ、誰もが己の都合だけを考え、共に助け合う心を忘れて負の気を増大させている。神々はナマズの浄化を卑しい仕事と蔑み、つまらないことだと忘れていった。ナマズたちは苦しくてたまらないのに、人も神も、誰もその叫びに耳を貸してくれない。とうとう、ここ鹿島のナマズを中心に、日の本全部の地下に潜るナマズたちが決意したのだ。この国をひっくり返して、自分たちは自由になろうと……」

だんだん自分の目が潤んできたのがわかりました。

この国を覆すのは、だいそれたことです。

しかし、これまで必死に誰の目にも触れないところで国を支え、それなのに神々に忘れられ、人間達は勝手に負の気をまき散らし、苦しくてたまらず爆発したナマズさん達を、わたくしは責められません。

申し訳ない気持ちでいっぱいでございます。

涙ぐむわたくしの頭に、ポンと大きな手が置かれました。

タケミカヅチノカミが、わたくしを慰めようとされたのです。

「要石の一つを守る身でありながら、わしもうかつであった。ナマズたちが黙ってしまったので、うまく浄化したのだろうと楽観していた。だが実際は全国のナマズたちが結束して、今この時、一番気を集中しやすい鹿島神宮に負の気を流し、一気に放出する機会をうかがっていたのだ。最初に異変に気付いたのは、トオミノミコトだった。あの神はもともとここの土地神。空間を操る神だ。〝軸〟に微妙なズレが生じたことに気付き知らせてきたのだ。わしは最初は笑い飛ばしていたが、だんだん歪みが大きくなってきたので急いで調べ、ようやくナマズたちがしようとしていることに気付いた。だが、すでに遅かった。〝軸〟の歪みは日の本の表面を素通りして高天原や根の国へ先に悪影響を及ぼし始めていた。慌てて他の神々に知らせようとしたが、すでに要石が動き始めていた。わしは急いで鹿島神宮全体に結界を張り、配下の神々に維持し隙を見て他の神々に知らせるように命じて要石を押さえた。ナマズは普段は一匹の集合体として存在していたが、配下を分裂させて鹿島の外や境内に送り込んでいた。まずは親玉と負の気を押さえ鹿島から出さないようにすることが最優先。わしはここで奴を押さえ、わしの配下の神々は姿を隠して結界を維持する手伝いをしてくれたのだ。そして結界を支えるのが精一杯で、他の神に知らせたくても知らせることができず、焦っていた」

「その状態で、よくナマズさんの親玉がふみを書けましたね?」

わたくしの素朴な疑問に、タケミカヅチノカミがうなずかれました。

「ああ。ここにいるナマズたちは、以心伝心で親玉の意を鹿島の外に出た者達にも伝えられる。奴は外部に出た部下に文を書かせ、おまえさんに届けさせた。幸いなことに要石を通じて、奴の考え、他のナマズたちとの意思疎通、行動、すべてがわしにも伝わってきた。だから、急いで親玉を通してわしの念もその文に混ぜた。おまえさんが先にわしに会って欲しいと願ってな」

そうです、肝心なことを忘れていました。

「いったい、なぜわたくしを呼んだのですか? そのナマズさんの親玉もあなたも?」

すると鹿島の大神様が、厳しい表情になられました。

「おまえさんが持つ力、根の国の〝気〟を分けて欲しいからだよ」



口をあんぐりと開けてしまいました。

「わたくし、そのようなものは持っておりませんが……」

「気付いていないだけさ。昔、根の国へ行ったろう? それも二回も」

確かに、神になったばかりの頃、オオクニヌシノミコトに紹介されて、スサノオノミコト(素戔嗚尊)の許へ神の心得を学びに行きましたっけ。

それでも、〝気〟など持ってきた覚えはありません。

おたおたしているわたくしに、タケミカヅチノカミは説明してくださいます。

「意味がわからんだろうな。まず、生きている神で死者の国へ行き戻ってきたのは、おまえさんとオオクニヌシノミコトだけ。そして、どちらも生きている身であっても死者の国へ行けば、自動的に〝黄泉の気〟を吸収してしまう。おまえさんは自分では知らないうちに、〝黄泉の気〟をまとって帰っていたのだよ。オオクニヌシノミコトは知っていたが、おまえさんにはあえて教えなかった。そんなものを持って帰って来たとわかったらビックリするだろうし、無事に生者の国へ帰った以上何の心配もないし、おまけにこの日の本で使うことはありえないはずだったからな」

「つまり、ただまとってきただけで無害なものなのですね? ある一定期間が経つと根の国へ吸い込まれるとか、そういうことはないのですね?」

不安になって、念押しをしてしまいましたよ。

「ああ、大丈夫。そして、そんなものは一生使うはずがなかったんだ。今回は異常事態で必要になってしまったがな」

暗い声になられたタケミカヅチノカミに、わたくしは急いでお尋ねしました。

「いったい、わたくしが持ち帰った〝黄泉の気〟と、今回の騒動、どのような関係があるのですか?

その時、背後からうめき声がしました。

はっとして見ると、タケミナカタノカミが唸っておいでです。

毘沙門天も三叉戟で全身の力を込めて押さえておられますから、口を一文字に結んで額には青筋が立っておいでです。

「急がねばならん。シロナガミミノミコト、〝軸〟を歪めたのはナマズが放出しようとした負の気が要石にぶつかり、あらぬ方向へ流れた力によるもの。それを正すには、〝この世の組み立て〟による力が必要なのだ。すなわち、〝天界の気〟、生者の世界である〝地の気〟、そして〝死者の国の気〟の三つが揃うことで初めて成り立つ。普段であれば危険だ。この三つが揃えば甚大な力を放つ。使いようによっては、この国そのものを消滅させかねんのだ。わしは元は天津神、そして今は国津神、天と地の気は持っておるが、〝黄泉の気〟だけは無い。要石を押さえるのに必死でおまえさんのことを思い出しもしなかったが、きゃつが呼び出しの文を部下に送らせたと知って、すぐにわしもおまえさんの力を分けてもらおうと思いついたのだ」

「それなら、わたくしよりもオオクニヌシノミコトの方がふさわしいのではありませんか? あの御方は、引退したといってもわたくしなど及びもつかないお力をお持ちです。なぜ、親玉はオオクニヌシノミコトを呼ぼうとしなかったのですか? それにオオクニヌシノミコトは、鹿島神宮で何が起きているのか、こうなる以前からご存じだったのですよね? それなら、なぜもっと早くにナマズさん達を助けるように、我らに命じられなかったのですか?」

「強すぎるのだよ、あの神の力は」

タケミカヅチノカミが、畏れたようなお顔になられます。

「オオクニヌシノミコトは〝地の気〟と〝黄泉の気〟をお持ちだ。そして、それは他の神々をはるかにしのぐ。もし、あの御方が出てこられたら、歪んだ〝軸〟が大きく影響を受けて崩れてしまうだろう。そうなれば日の本だけではなく、高天原も根の国も無事では済まん。それをご存じだから、あの御方は決して出雲からお出になられなかったのだ」

わたくしは首を傾げました。

「鳥さんが出雲へ行ってお尋ねしたとき、『わからないね~』って、おっしゃったんですよ。何が起きているのか、わたくしが〝黄泉の気〟を持って帰っていることとか、なぜ教えてくださらなかったのですか?」


  つづく

次回は最終回。

真相を話さなかったオオクニヌシノミコトの内心、事件の決着が明らかに!


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