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白兎神、大いなる陰謀に巻き込まれ日の本を救いし物語7 陰謀の結果は大団円へとつながりし話

鹿島の大神様は、なだめるような口調になられました。

「それすらも危険だったのだよ。いや、ナマズたちが結託して何かを企んでいるということも、おそらく誰よりも早く気付いておられただろう。何しろ、あの御方が造られた国だからな。だが、ご自身が持つ力の大きさもよくご承知だった。たとえ神々に注意を促しただけでも、言霊によってご自身の〝地と黄泉の気〟が悪影響を与え、ナマズたちの陰謀に加担してしまうとわかっておられたのだ。だから、鳥が尋ねても教えるわけにはいかなかったのさ。ただ他の神々がナマズたちの苦しみや怒りに気付いて手を打ってくれることを願うしかなかったのだよ。言葉ではなく書いたり素振りで教えても出てしまうほど、あの神の力は強大だからな」

ようやく毘沙門天がおっしゃったことの意味がわかりました。

そして、オオクニヌシノミコトのお心のうちも。

どれほど歯がゆく、辛い思いでいらっしゃったでしょう。

幾度もお側に参っていたのに、何も気付かなかった自分が恥ずかしゅうございます。

タケミカヅチノカミが続けられます。

「たやすく空間を操作できても、ナマズどもにはおまえさんを白兎神社から連れ去ることはできなかった。何しろ、あそこは出雲大社に近い。言い換えれば、オオクニヌシノミコトが守護する結界の中のようなものだ。奈良もそうだ。オオモノヌシノカミがいるからな。さすがに彼らの近辺では、空間を歪めることはできなんだ。だから、その保護域から出たところで連れ去ろうと画策したんだよ。ナマズを通して見ていたわしもハラハラしたが、ともあれ無事で良かった」

わたくしは何とか気を落ち着けて、鹿島の大神様を見上げました。

「それで、どうすればよろしいのでしょうか? わたくしが持ち帰った〝黄泉の気〟でこの事態がおさまるならば、どうぞお使いくださいませ」

「ありがとう」

その時、さっと何かがわたくしの傍に飛んできました。

「ようやく、あたしの出番ね」

「あの、鳥さんのお役目って?」

答える前に鳥は領巾ひれにもどり、わたくしの身体に巻き付きました。

「あなたの魂を押さえるのが、あたしの仕事。なんせタケミカヅチノカミって馬鹿力だけじゃなくって神気も強いでしょ。あなたから〝黄泉の気〟を抜き出す際に、うっかりするとあなたの魂まで引っ張り出して吸収しかねないのよ。うまく調整して必要な気だけを抜き出すという小技は、どう見ても苦手だしね。だから、あたしが〝黄泉の気〟だけを出させて、あなたの神気は吸い取られないようにしてあげる。ほら、タケミカヅチノカミ、あたしが手伝ってあげるんだから、さっさとしなさいよ!」

尊大にせかす領巾に、鹿島の大神様が素直にうなずいておられます。

「シロナガミミノミコト。イザナミノミコト(伊耶那美命)の領巾が押さえてくれるなら、わしも安心して〝黄泉の気〟をもらえる。いいかな?」

「はい、どうぞ」

わたくしは領巾に巻かれたまま身体を硬くしました。

タケミカヅチノカミの大きな右手が、ウサギの狭い額に当てられます。

同時に、わたくしは身体の中身が吸い出されるような感じがしました。

「うう~!」

あまりの衝撃にうめいてしまいました。

「大丈夫、あたしが押さえているんだから心配ないわよ。もうすぐだからね」

領巾が優しく励ましてくれます。

必死に歯を食いしばって耐えているうちに、ストンと身体が軽くなりました。

鹿島の大神様の手が離れました。

「さすがに二回も黄泉国へ行っただけのことはある。かなりのものだな」

目をまん丸にして、口をあんぐりあけてしまいました。

タケミカヅチノカミの右掌に、濃い藍色の気の固まりがゆらゆらしながら載っています。

「それが、〝黄泉の気〟ですか?」

「ああ、そうだ。これで〝軸〟を元に戻せる」

藍色の気に、淡い黄色の気が重なり、さらに深紅の気も現れました。

「黄色いのが〝地の気〟、深紅の気が〝天の気〟よ」

身体に巻き付いたまま、領巾が教えてくれました。

すぐに三つの気は一つになり、巨大な金色の気へと変わります。

呆然と見ているわたくしの前で、タケミカヅチノカミは要石に近づかれ、石に金色の気を押し当てられました。

一際まばゆく光り、その気の固まりは要石に溶け込み、辺りを目がくらむほど照らしました。

「ふい~」

思わず変な声を上げて、わたくしは目を閉じ、さらに腕で顔を覆いました。

そのくらいまぶしい光だったのです。

次の瞬間、足下からひっくりかえるほど激しい揺れが起こりました。

「大丈夫、そのまま立っていて」

冷静な領巾の声が聞こえます。

動こうにも動けませんから、そのまま立ち尽くしておりました。

奇妙なことに、足を救われて転ぶことも壁にぶつけられることもなく、すぐに揺れがおさまります。

おそるおそる腕をずらして、薄目を開けてみました。

さっきの光が消えています。

腕を下ろして見回しました。

タケミカヅチノカミが要石をご覧になっています。

タケミナカタノカミと毘沙門天は、押さえるのをおやめになって同じように要石を見下ろしておいでです。

少し離れて、トオミノミコトが注意深くあたりを警戒するように見回しています。

あらら、建物が消えて外です。

そこでようやくあの建物は、鹿島の神々が作っていた結界が具現化したものだったのだと気づいたのです。

わたくしは、ヨタヨタと要石に近づきました。

「ありがとう、シロナガミミノミコト。おかげで〝軸〟の歪みは直ったよ。地下の負の気は、要石で充分に押さえられる」
 
「それは、ようございました」

一応そうは言いましたが、ナマズさん達はどうなったのでしょう?

わたくしの問いを察せられたのか、毘沙門天がおっしゃいました。

「空間の歪みは正したが、問題はこの溜まりに溜まった負の気をどう処理するかだな」

「ああ、ここまで大きくなっては、俺らだけではどうにもできんぞ」

タケミナカタノカミも腕組みをして考え込んでいらっしゃいます。

どうしてそんなことをしたのか今でもわかりませんが、わたくしは要石の上にかがみ込み、問いかけました。

「ナマズさん、わたくしはシロナガミミノミコトと申します。この国の神でありながら、長い間あなた方の大切なお役目もお苦しみも知らず、たいへん申し訳ないと思っております。どうしたら、あなた方を苦しめる増大した負の気から解放できるのでしょうか? ご存じならば教えてください。きっと、あなた方をお助けしますから」

大神様達が唖然としておられるのを感じ、「あれ、変なことをしたかしらん?」とオタオタしてしまいました。

しかし、すぐに敵意丸出しの憎々しげな声が聞こえてきて、はっとしたのです。

「どうせ本気ではあるまい。己の手を汚すつもりなどあるまいて……」




 
「ナマズか! ようやく答えてくれたな。これまでに、わしが呼びかけても応じてくれなんだが、教えてくれ、どうすれば良いのだ?」

タケミカヅチノカミがお声をかけられます。

しかし、ナマズは答えません。

毘沙門天が、そっとわたくしに向き直られました。

「シロナガミミノミコト、ナマズに呼びかけてくれ。どうやら大神達と語る気はないようだが、おまえなら話してくれそうだ」

この立派な方々を差し置いて、ちっちゃなウサギ神に対話などできるのでしょうか? 

それでも皆様が期待を込めてわたくしをご覧になっているので、思い切ってまた話しかけてみました。

「ナマズさん、大神様達もわたくしもあなた方をここまで苦しめてしまったことを後悔して、何とかお助けしたいのです。どうぞ方法を知っているなら教えてください。どうすればよいのですか?」

すると、要石の下から吐き出すように低い声が返ってきました。

「今さら何だ? もっと早くに浄化を手伝ってくれれば、こんなことにはならなかった。私は多くの配下を失い、同情して協力してくれた虻達を死なせてしまったのだ。水面下で協力しようとしていた他の生き物たちも、どうせ徹底的に探し出されて処罰を受けるのだろう? ならばこのまま我らの命が尽きるまで負の気を溜めて、この国をひっくり返すまでよ」

「それでは、あなた方がもっと苦しくなってしまいます。もう充分苦しまれたのですから、どうぞ楽になってください。そして、これからは微力ながらわたくしも浄化のお手伝いをいたします。あなた方にのみ背負わせません。ですから教えてください。どうしたら、あなた方の背負う負の気を浄化できるのですか?」

涙がこぼれてきました。

ナマズさん達は、どれほど負の気に苦しめられてきただけではなく、見捨てられ蔑まれて絶望を味わってきたのでしょう。

「背負う物が重いとき、たいへん辛うございます。しかしその苦痛を誰にも理解されず、助けてもらえず、見捨てられることは、さらに辛く悲しいことです。これ以上あなた方をそんな苦しみの中に置きたくないのです。そこまで追い詰めたのは、わたくしを含む神々の落ち度です。どうぞ教えてください。わたくしの命をなげうってでも、お助けいたします」

必死に要石を通して話しかけました。

ええ、ちっぽけなウサギ神の命で助けられるかどうかはわかりませんでしたが、もしそれでよいなら喜んで苦難の中で耐えてきたナマズさん達に差し上げるつもりでした。

しばらく答えはありませんでした。

わたくしは涙をポロポロこぼし、要石を濡らして返事を待ちました。

大神様達も一言もなく、じっと待っておいでです。

ややあって、静かな口調のナマズの声が聞こえてきました。

「シロナガミミノミコトよ、たとえ今、溜まった負の気を浄化しても、この先ますますひどくなるぞ。神々がたゆまずうまず協力してくれたとしても、すでに人間どもの心は荒れすさんでいる。昔のように山や川や海に敬意を持って接することなく、己の欲と儲けのために利用し、それのどこが悪いと開き直るような心根に変わっている。今後ますます人間どもの我欲は強まり、負の気はさらに増大して国土を脅かすだろう。私はここで一度国土も人間も浄化した方が、後々のためだと思っている。国を崩して海へ戻し、一から国生みをしていただいて新たな命をはぐくんだ方が良いとな。さもなくば、今後我らナマズでも神々でも処理しきれないほどの負の気が、国土を襲い破壊しようぞ。ならば今のうちに全てを精算するべきであろう?」

わたくしは、ためらいながら答えました。

「あなた方はそこまで深いお考えだったのですね。たいそう難しい問題です。わたくしは縁結びと皮膚病とフサフサに御利益を与えるだけのちっちゃなウサギ神ですが、おっしゃるとおり昔に比べて人間達が己の力にうぬぼれ、利益のために神々の守る自然を侵し、己を省みることなく弱い者を踏みつけ利用し、傍若無人に振る舞っていることが増えている様を見ております。それでも、まだ捨てた物ではございませんよ。自然や神々への敬意を忘れず、他人に親切にし、己の身を慎んで明るく生きる者達も大勢いるのです。もう少し見守っていただけませんか? どれほど人心が荒れてもきっとそれを正す力が人間にはあります。そのために我々神々も努力いたしましょう。何よりも、このままでは国土が崩壊するまでナマズさん達が苦しみ続けてしまいます。もうもうそんな辛い思いをしないでください。お願いします」 

微かな笑い声が聞こえました。

わたくしでも大神様達でもなく、要石の下から聞こえてきます。

「面白い神だな、おまえさんは」

砕けた口調になっています。

「はあ、神らしい威厳がなくて恥じております」

恐縮して答えましたが、要石の下の声は親しみを込めたものに変わっていました。

「人間を信じるだけではなく、我らナマズの苦しみを除きたいか。そんな神はいなかったな。ああ、オオクニヌシノミコトはそう言っていた。ずいぶん昔、我らが龍からナマズになって地の下に潜ったときのことだったが……」

「あの御方が?」

「ああ、そうだ。『おまえ達にだけ、こんな苦しみを味わわせない。我々神も協力して浄化しよう。共にこの国を支える同志なのだから』と」

「そうでしたか。我々は、そのオオクニヌシノミコトの御心をも踏みにじっていたのですね。重ね重ね申し訳ないことです」

項垂れてしまったわたくしの長い耳に、思いがけない言葉が飛び込みました。

「浄化の方法を教える。他の神々にも協力してもらってくれ」

「はい!」

ウサギの長い耳が、一言も聞き漏らすまいとピーンと伸びております。

大神様達も耳を傾けておいでです。

ナマズが話を続けました。

「どこでもいい。日の本のどこかの聖域から一気に噴出させよ。場所を決めてくれれば、他の地のナマズとも計って、そこへ負の気をまとめて流す。普通の場所ではダメだ。勢いが強すぎてそこから国土が崩れ出すからな。必ず強い正の気に守られた聖なる地でなければならない。そして他の神々もその衝動で国土が傷まぬよう、全員で己の持ち場を支える必要がある。どうだ、できるか?」

あわてて大神様達を見回しました。

「少なくとも鹿島ではダメだ」

タケミカヅチノカミが、額に縦皺を寄せておいでです。

「諏訪でも無理だな。そこまで強い正の気は持っておらん。ましてや親父殿の出雲大社では、親父殿の気が強すぎて負の気が集中したら爆発しかねん」

残念そうにタケミナカタノカミがおっしゃいます。

「白兎神社ではとうてい無理ですし……お役に立てないなんて……」

泣きたくなっているわたくしの長い耳に、周囲から次々に声が聞こえてきました。

「僕の所でもダメだ。なにしろ祟り神の神域だからね。負の気と相性が良すぎて、国を壊してしまう」

オオモノヌシノカミのお声です。

「こっちも無理だ。親父殿の出雲大社と近すぎるから、危険だ」

美保神社のヤエコトシロヌシノカミ(八重事代主神)のお声も聞こえます。

どうなっているんでしょう?

ワタワタしているわたくしに、毘沙門天が微笑まれました。

「〝軸〟の歪みが直ると同時に、今までの騒動も我らの対話もすべて日本中の神々に知れ渡っていたのだよ。だから、皆、協力して負の気を消滅させてナマズたちを助けようと考えているんだ」

ありがたいことでございます。

日の本ひのもと中の神々がお力を合わせられるなら、きっとナマズさん達を助けられましょう。

神々の相談しているお声が次々に聞こえてきましたが、一際大きく女性の声が響きました。

「私のところから放出しましょう」

「あなたは! ええ~、まさかあそこから?」

仰天してしまいましたが、タケミカヅチノカミが大きくうなずかれました。

「そうしてくれるか。ここまで大きくなってしまった負の気を出すには、それくらい大きな神域でなければ無理だろうからな」

「ええ、そう思いますよ。大室山おおむろやまの姉もすでに準備を整えておいでです。さあ、皆様、お仕度を」

コノハナノサクヤビメの力強いお言葉に、皆様も勇気を出されたようです。

もちろんわたくしも。

あ、わたくし、鹿島にいるんですよね。

「すぐに因幡へ戻った方がよいのでしょうか?」

タケミナカタノカミにお尋ねしますと、すぐにヤカミヒメのお声がしました。

「因幡の地はあたくしと他の神々で押さえます。あなたは鹿島でお手伝いしてください」

「わかりました、ありがとうございます」

すでに大神様達もトオミノミコトも要石を押さえています。

わたくしも一緒に押さえました。

「んじゃ、あたしも手伝うわ」

身体から領巾がするりとほどけ、鳥の姿になってドンと要石の上に乗っかりました。

気配でわかります。

日の本中の神々が、それぞれ受け持ち地域の国土を押さえておいでです。

高尾山では飯綱三郎とその一族が、富士山では太郎坊とその一族が、しっかりと守護するお山を支えています。

「用意はできました。さあ、ナマズに伝えてください」

凛としたコノハナノサクヤビメのお声がします。

それを受けて、タケミカヅチノカミがおっしゃいました。

「ナマズよ、富士山から負の気を出せ。我らは準備ができている」

「力を込めて押さえよ。今回は、これまでとは比べものにならん。では、流すぞ」

緊迫したナマズの声がします。

辺りが深閑としました。

まるで時が止まったような感じです。

どれだけ時間がたったのでしょう。

わずか数分だったような気もしますし、数時間が経過したようにも感じられます。

突然、爆音が聞こえました。

要石にも吹き上げるような感覚が伝わります。

「気を抜かずに押さえろ! 富士山の噴火の余波が、こっちにまで来ているぞ」

タケミカヅチノカミの怒鳴り声で、わたくしは改めて気を引き締めて全力で要石を押さえました。

目でも耳でもなく、気配で富士山が噴火したのがわかります。

それも未曾有の大爆発です。

空は真っ暗になり、飛び散った岩や石が麓の山林や村々を直撃しています。

ややあって、噴火はおさまりました。

神の時間の感覚では一瞬ですが、人間にとってはずいぶん時間が経ったと思います。

「もう大丈夫だ」

毘沙門天が三叉戟さんさげきを要石からはずされます。

他の神々も鳥もわたくしも、手を放しました。

「ふい~」

思わず座り込んでしまいましたとも。

「はあ~、これで国土崩壊の危険は去ったな」

タケミナカタノカミがほっとしておいでです。

「一時はどうなるかと思ったわ」

鳥がわたくしの頭の上へ飛んできました。

わたくしは、あわてて要石の下に声をかけました。

「ナマズさん、ご無事ですか?」

「ああ」

さっきよりも明るい声が返ってきました。

「もう苦しくありませんか? まだ何かすることはありませんか?」

「もう大丈夫だよ。ありがとう、シロナガミミノミコト。おまえさんのような神がまだ日の本にいてくれて、本当によかった」

「と、とんでもありません。大神様達や各地の神々のおかげです」

要石の下から愉快そうな笑い声がしました。

「ははは、なるほどあいつが三個の梨のために助けた気持ちがわかる」

はっとしました。

「そうでした。あの遣いの男は、なぜたった三つの梨のために、わたくしを助けてくれたのでしょうか?」

要石の下の声が穏やかに続きました。

「我らはこの国の神にも人にも失望していた。身勝手で利己的で、我らが苦しみつつ国土を支えているのに『卑しいナマズよ』と蔑んで。だが、おまえさんは遣いに行ったあいつを心からねぎらい、神々に分けたものと同じものをくれた。ただの風の精霊だと思っていたのにな。風の精霊とて、神々から見れば格下で対等に扱ってなどくれないものよ。それなのに、因幡のウサギ神は違った。だからあいつは考えてしまったのだろう。『もしかしたら、この国の神にも民にも希望はあるかもしれない』とな。もともと一つの体だから、私の意を分裂体の配下に伝え互いに以心伝心で連絡することはできる。だがすでにそれぞれが自我を持った一人一人の心の奥底まではわからん。だから、あいつが裏切ったと知ったときは怒ったが、要石を通して毘沙門天から事情を聞き、納得したよ」

「わたくしなど及びもつかない慈悲深い方でしたよ。たったそれだけのことで、命を捨てて助けてくれたのですから」

思わず涙ぐんでしまいました。

「泣きなさんな。あいつは良いところへ行けるようだ。ここにいるよりも幸せになることを、その護法神から聞いた。おまえさんのおかげだ」

あわてて毘沙門天を見ると、黙ってうなずいてくださいました。

そうでしたか、重い罰を受けなかったんですね。

タケミカヅチノカミが、要石の下に向かっておっしゃいました。

「すまなかった。もう二度とこれほどの苦しみを味わわせん」

「そうしてほしいものだ。今度は早く手を打っておくれ。それでは我らは震源近くまで戻る。元気でな、シロナガミミノミコト」

気配が地下深くへ潜っていきます。

ナマズ達が、本来の持ち場へ戻ったのでしょう。

その時、ようやく思い出しました。

「あ、あの、あんな大爆発があったのです。富士山は大丈夫でしょうか? それに人間達は?」

大神様達は複雑な表情になられましたが、すぐに毘沙門天がわたくしの傍へおいでになりました。

「富士山は心配ない。ただ、人間達への被害は相当出た。死者も負傷者も多い。そして、この噴火の影響で不作となり、飢える者も大勢出るだろう」

「ええ~! そんな~」

悲鳴を上げてしまいました。

すると、鹿島の大神様が頭を撫でてくださいます。

「やむをえんよ。もし富士山を噴火させて負の気を出さねば、日の本すべてが海に沈み、人間も動物も残らず死んでいただろう。神々とて無事ですんだかどうか。要石の揺らぎと同じく、どこに負の気の影響が出るのか、それを誰が負うのか、わからんのだ。この国に住む以上、誰もがそれを負う可能性があり、避けられぬことなのだよ」

「亡くなった者達は、責任を持って根の国へ送る。だから心配するな」

タケミナカタノカミも、慰めてくださいます。

「俺も冥府へ送り出そう。だから案ずるな」

毘沙門天も優しくおっしゃいます。

仕方が無いことだとわかっております。

こうしなければ、国そのものが消滅するのですから。

それでもやはり……。

「お教えくださいませ。二度とかようなことが起きないように、わたくしには何ができましょう?」

「すでにおまえは、大きな力を持っている」

毘沙門天のお言葉に、はっとしました。

そうでした。

以前にもそんなことをおっしゃっていましたっけ。

再びかような過ちを犯さぬよう、まずわたくしができることはなんなのでしょう?

わたくしは期待を込めて、毘沙門天を見上げたのでした。
 
 


 

必死に耳を傾けるわたくしに、毘沙門天は優しくおっしゃいました。

明きあかき浄ききよき直きなおき、まことの心。裏表のない、明朗で清潔であることを好み、汚い卑怯なことを嫌い、何事にも誠実であること。偏った利己的な心にとらわれず、感情と理性の調和した心。それがおまえが持つ最大の力だよ、シロナガミミノミコト。大昔からこの国に住む神や人が理想とした美しさを、おまえはずっと持ち続け、それが憎悪に捕らわれていたナマズたちの心をも動かし、この国を救った。これからもその心を抱いておまえなりの加護や利益りやくを人間達に与え、他の神々と仲良く接していけば、自然にその力は広がり伝わって大きな力となるだろう」

あんぐりと口を開けて、目をパチパチしてしまいましたよ。

「いえいえいえいえ、わたくし、そんなたいそうなものではございません。買いかぶりすぎです」

「いや、わしも毘沙門天の言葉に賛成だな」

タケミカヅチノカミが、腕組みをして大きくうなずかれます。

「うん、同感だ」

タケミナカタノカミが笑っておいでです。

「そりゃそうよ。あたしが最初に見込んだウサギ神ですもの。当然よ」

鳥までが賛成しています。

オタオタしているわたくしの長い耳に、あの懐かしい御方の声が聞こえてきます。

「皆の言うとおりだよ、シロナガミミノミコト。本当にありがとう」

「と、と、とんでもございません。オオクニヌシノミコトまで、そのような……わたくし、ちっちゃなウサギ神にすぎません」

ブンブンと首を横に振っておりますと、皆様がお笑いになりました。

「ハハハ、おまえらしいな、シロナガミミノミコト。だが、その美徳は廃れたとはいえ、この国に生まれ生きる者ならば遠い先祖から受け継ぎ、誰もが多かれ少なかれ持っているものだ。おまえは自分の仕事を通して、それを思い出させてやることができるだろう。いや、他の神々も同じ事。それが我らの役目よ」

タケミナカタノカミの視線が、あたたかく向けられています。

「そうだ、もう二度とこのようなことがないよう、我ら神々も気を引き締め、ナマズ達に協力して、この国を浄化せねばな。人間が暮らしていれば、どうしたって負の気は生じる。だが善き思い、善き行いをすれば地上で浄化できる。それでもなお地下に入ればナマズたちが、そして我々神が浄化する。だが……」

言葉を濁された鹿島の大神様の後を、毘沙門天が厳しいお顔で続けられます。

「それでも追いつかぬほどに人間どもが負の気をまき散らすならば、噴火、地震などの天災に替えて祓うしかない。もちろん犠牲も出るだろう」

すると、鳥が真面目に口を挟みました。

「皮肉だけど、天災が起きるから普段の平穏な日々がどれほど幸せなのかがわかるのよね。そして、いつ自分に降りかかるかもしれないと身につまされるから、災難に見舞われた人々を助けよう、共に生きようって考えるんだし。これが何事も起こらなければ、どんどん身勝手、我が儘、自己中心で国土を荒らすだけよ。天災に遭った人間は『どうして自分が?』って思うだろうけれど、大昔から大勢の人間がつらい境遇になったときに繰り返し問いかけたことで、誰にも答えられないわ。そして、次は誰が犠牲になるのかわからないのよ。できるだけ避けたいけれど、絶対に逃れられる方法はないしね」

わたくしの肩に大きな手が触れました。

タケミカヅチノカミが、わたくしを優しく見下ろしておいでです。

「そうならないように、我ら神が人間達を見守っているのだ。そうだろう、シロナガミミノミコト」

コクリとうなずきました。

なぜ自分がこんな目に、とは多種多様な被害に遭った誰もが思うことでしょう。

しかし、善人にも悪人にも天災は降りかかります。

その人が悪いのではなくとも、この国に生きる以上、様々な悪しき思い、悪しき行いが重なり、天災や人災となって現れるのは避けられないのでございます。

「わたくしは、自分ができることを精一杯いたします。地方のちっちゃなウサギ神ですが、真心を込めて人々に縁結びと皮膚病治癒とフサフサを恵み、この地に生きる皆様と仲良く暮らしたいと存じます。もちろん、見えないところで働いてくれているナマズさんやそれ以外にもきっといるであろう陰で支えてくれる者達への感謝も忘れはいたしません」

「言葉にすれば単純だが、実行することは難しいことだ。俺もシロナガミミノミコトに習って自分を戒めよう」

毘沙門天のお言葉に、大神様も鳥もうなずかれます。

遠く出雲で、オオクニヌシノミコトまでがうなずかれた気配を感じます。

「そんな、畏れ多いことでございます。わたくしが自分を戒めるならともかく、皆様までが……」

「いやいや、これは誰もが心にとめておくべきだろうよ。もちろん私もだ」

「オオクニヌシノミコトまで……もったいのうございます」

穴があったら入りたいほど恥ずかしく、きまり悪い思いでもじもじしてしまいましたとも。

鳥が笑っています。

「ほんと、あなたって善いウサギ神よね」

「とんでもない。あなたこそ力強い立派な方ですよ。ええっと、名前がまだ無いんでしたね」

「まあね」

「わたくしなら、あなたをヨノタスケノミコトと呼ぶでしょうね。危難を知らせに根の国から来て、そして数々の危険から救ってくださったんですから。あなたがいなければ、今回の事件だって解決したかどうか……」

鳥がふわりと飛び上がり、目の前に来ました。

「良い名前ね。あたしにぴったりだわ。その名前、もらっていいかしら?」

「もちろんです。思いつきで口走っただけですが、この名前でいいんですか?」

「よかったね、ヨノタスケノミコト。前回の旅といい、今回の働きといい、最適な名前だ」

遠く出雲でオオクニヌシノミコトが笑っておられます。

大神様達も微笑まれました。

わたくしも、にっこりしました。

犠牲は大きく命を落とした者達も大勢いましたが、今は冥福を祈り、生きている者達を二度とかようなことがないよう守らねばなりません。

「因幡へ戻ります。あちらで被害が出ていないか確かめ、何かあったらすぐに手助けしたいと存じます」

「それがいい。帰っておいで、シロナガミミノミコト。もう神の道は安全だからね」

お優しいオオクニヌシノミコトのお言葉の後、気配が消えました。

「さて、わしは鹿島周辺を調べるか」

タケミカヅチノカミが大きく肩を回しておいでです。

そうでしょう、ずっとお一人で要石を押さえておいでだったのですから、肩も凝りましょう。

「それじゃ、途中まで一緒に帰るか。俺も諏訪の様子が気になるしな」

タケミナカタノカミのお誘いに、急いでうなずきました。

「それじゃ、あたしは一応、根の国へ行って報告してから、また旅に出るわ。ま、どうせあっちでも、わかっていると思うけどね」

この鹿島神宮での出来事は、日の本中の神々のみならず、高天原、根の国へも伝わっていたのは、わたくしにも感じ取れます。

「元気でね、シロナガミミノミコト。素敵な名前をありがとう」

「こちらこそ、ありがとうございます。お気をつけて、ヨノタスケノミコト。前回の旅といい、今回のことといい、大変お世話になりました」

「また、会いましょ!」

鳥、いえヨノタスケノミコトは翼を広げて、ふいと飛び去ってしまいました。

「ところで、おまえはどうするんだ? どうだ、諏訪大社で一杯やらんか」

タケミナカタノカミが毘沙門天を誘っておいでです。

どうやら意気投合されたようです。

「そうしたいところだが、命を落としたナマズたちや虻や人間達の魂を冥府へ送らねばならん。かなりの数だからな。少し時間がかかる」

「そうだな。じゃあ、帰りに寄れ」

あくまでも一杯やりたいようでございます。

毘沙門天が、うなずかれました。

「ああ、仕事が終わったら寄ろう。ところでシロナガミミノミコト、おまえのところにも立ち寄っていいか?」

「お寄りくださいますか?」

「約束したろう。ついつい任務が重なって行けなかったが、迷惑でなければ訪ねたい」

「迷惑だなんて! 嬉しゅうございます。お待ちしておりますから、御用がおすみになったら、是非おいでくださいませ」

覚えていてくださった! 

幸せな気分です。

「よかったな、シロナガミミノミコト。諏訪大社にも来いよ、毘沙門天。じゃあな、タケミカヅチノカミ。元気でな」

諏訪の大神様の挨拶に、鹿島の大神様が苦笑されます。

「おまえも出雲大社に来い。どうして息子が来ないんだよ。出雲の神在月かみありづきに来れば、毎年会えるだろうに」

「いや、一応天孫の手前、降参して諏訪に籠もったことになっているだろう。のこのこ行けるか」

「今さら、誰も気にせんよ。本音は面倒なんだろう?」

「うん、そうだ」

「あっさり認めるな!」

がっくりしておいでのタケミカヅチノカミと、からから笑っておいでのタケミナカタノカミを、毘沙門天も楽しそうにご覧になっています。

「それでは、失礼いたします、タケミカヅチノカミ」

丁寧に一礼しましたところ、鹿島の大神様も頭を下げられます。

「本当にありがとう、シロナガミミノミコト。何と礼を言ってよいものか」

「頭をお上げください。わたくしのようなウサギ神でもお役に立ててうれしゅうございます」

「また、出雲で会おうぞ」

「はい!」

すでに空間が開き、〝神の道〟が見えています。

「行くぞ、シロナガミミノミコト」

「はい」

もう一度タケミカヅチノカミと毘沙門天に一礼し、わたくしはタケミナカタノカミと共に家路についたのでございます。
 



 
途中で諏訪大社に寄り、あのそばがきを作ってくれた神にお礼を言いました。

自分が作ったそばがきの効果で魔獣を斬れたと知り、たいそう驚いていましたっけ。

またおいしいそばがきをご馳走になり、別れを惜しみつつ因幡へ戻りました。

遊んでいきたいところですが、今は富士山大噴火後の因幡が心配だったのです。

人間世界ではずいぶん時間がたっていましたが、どうやら無事でした。

富士山周辺の国々では作物が枯れ、飢饉も起こり、厳しい年月が経過したようですし、その影響で諸国にも多少なりとも変動がございました。

それでも皆、力を合わせて乗り切り、また平和な時がやってきたのでございます。

落ち着いた頃、毘沙門天が約束通りにお立ち寄りくださいました。

他の神仏と協力して、死者の国へ魂を送り届け、荒れた人心を静めるためにずいぶん時間がかかったそうです。

いついらしてもよいように、お酒や因幡の海の幸山の幸を用意してありましたから、精一杯おもてなしをいたしました。

毘沙門天もお喜びくださいまして、あれこれと話を弾ませ、幾度も杯やお皿を替えて楽しんだのでございます。

「そういえば、タケミナカタノカミが帰り道で教えてくださったのですが、あなたがた護法神も仏達も、他国で虐められていたのではないそうですね?」

はい、最初にお会いしたとき、わたくしは仏の御一行は他国でさんざん虐められた可哀想な方々だと思っていたのです。

だから、毘沙門天をお慰めしたのですが……。

「ああ、あの話か。確かに一方的に虐められたというほどではないな。こちらもやり返したし」

あっさりとお答えになって、笑っておいでです。

虐められるどころか、むしろ打ち倒してこられたのだとか。

「すみません。わたくし、とんでもない誤解をしていました。失礼なことを申し上げまして、ごめんなさい」

すると毘沙門天は、わたくしの手に杯を持たせお酒を注いでくださいます。

「我らを受け入れ心配し、いたわろうとするその気持ちが嬉しかったよ。感謝している、シロナガミミノミコト」

「そうおっしゃっていただけると、ほっといたします。粗忽なウサギで申し訳ございません」

いただいた杯を干し、今度はわたくしが毘沙門天の杯にお酒を注ぎ、楽しい四方山話よもやまばなしは延々と続いたのでございました。

この後、諏訪大社に行かれるとのことで、近くの〝神の道〟までお送りいたしました。

タケミナカタノカミが待っておいででしょう。

楽しい一時を過ごし、その夜は安らかな気持ちで眠ったのでございます。
 
    



  
夜中に、ふと目を覚ましました。

いつもは朝までぐっすりと眠る寝付きのよいウサギなので、こんなことはめったにありません。

辺りが明るくなっています。

白兎神社の中ではありません。

すぐにわかりました。

これは夢の中です。

美しいやわらかな光に包まれて、わたくしは立っていました。

「シロナガミミノミコト、お休み中に申し訳ございません」

声の主は、すぐにわかりました。

「あなたでしたか! ご無事ですか? ひどいことはされていませんか?」

わたくしの問いに、目の前に現れた男は笑顔で首を横に振りました。

そうです、白兎神社に遣いとして来て、三度も助けてくれたあのナマズです。

「あなたのお口添えのおかげで、私は厳しいお咎めを受けることなくすみました。私だけではありません。仲間のナマズたちも同様に救われました」

遣いに来た男の周囲に、次々に勾玉のような形が現れ、男も勾玉も大きなナマズに姿を変えました。

わたくしは、ブンブンと首を振りました。

「いいえ、毘沙門天と大神様達のおかげです。わたくしは助けていただくばかりで、何もできませなんだ。そればかりではありません。あなたがたの苦しみを少しも知らず、申し訳ない気持ちで一杯です」

深々と頭を下げました。

「とんでもない! 頭を上げてください。我らの方こそ、あなたをひどい目に遭わせたのに、他の神々にお取りなしくださって……すみませんでした」

顔を上げて声の主を見ました。

ええ、すぐにわかりましたとも。

わたくしの耳を掴んで、連れ去ろうとしたナマズです。

他のナマズ達も、地面に額をこすりつけるように土下座をしていました。

「どうぞ頭を上げてください。あなた方は長い間ずっと地下でこの国を支えてくださった大恩人なのですから」

ナマズ達は頭を上げ、こちらを見ました。

どの目も澄み切って晴れやかでございます。

「これから我らは旅立ちます。その前に、どうしてもシロナガミミノミコトにお礼を言いたくて参りました」

遣いに来たナマズが、目を輝かせています。

「そのご様子なら、どうやら良きところへ行かれるのですね?」

「はい」

遣いに来たナマズは明るく答え、同時に全身が光りました。

そして、一匹の龍に姿を変えたのです。

他のナマズ達も次々に龍へと姿を変えます。

「元々あなた方は龍だったと聞きましたが、昔の姿に戻ったのですね?」

「はい。閻魔大王のご配慮で、龍神の眷属となり修行することを許されました。これより仏の住まわれる須彌山しゅみせんに行きます」

「わざわざ来てくださって、ありがとうございます。思い罰を受けなくて、ほっとしました。あ! 虻達はどうなったのですか?」

遣いだった龍が、そっと顔を横に向けました。

わたくしもそちらを見ました。

すると、透き通るような美しい黒い蝶の群れが、ひらひらと飛んでいきます。

「虻は、魂を運ぶ蝶の役目を仰せつかって根の国と日の本を行き来する修行を始めました。本来なら暗い澱んだ場所で浮き沈みせねばならないのですが、特例を持ってスサノオノミコト(素戔嗚尊)からお役目をいただきました。無事に勤め上げれば、次は人間に生まれ変われましょう」

わたくしは潤んでくる瞳で、蝶の群れを見つめました。

黄泉へ行く方法は、黄泉比良坂よもつひらさかを下るだけではございません。

様々な行き方があります。

その一つが、黄泉からやってくる蝶に魂を運んでもらう方法です。

「そうでしたか。虻さん達も良き御配慮をいただけて本当によかったです。スサノオノミコトは、お顔は恐いですが、お心の優しい大神様ですから寛大な処置をしてくださったのでしょう」

「すべてシロナガミミノミコトのおかげです」

龍達が一斉に頭を下げます。

蝶の群れも、わたくしの周囲を飛び回ります。

「少しでもお役に立てたなら嬉しゅうございます。どうぞお元気で。またお会いすることもありましょう」

「ええ、いつか必ず。ありがとうございます、シロナガミミノミコト」

蝶の群れが、一枚の領巾がはためくように静かに飛び去ります。

龍達も、次々に天へ向かって飛んでいきました。

わたくしは最後の一匹が見えなくなるまで、手を振って見送りました。

目からはとめどなく涙がこぼれていました。

悲しみではなく、安堵と喜びの涙でございます。

龍と蝶の姿がすっかり見えなくなってから、わたくしは手を合わせて、ナマズと虻をお救いくださった大神様達や仏様達に心から御礼を申し上げたのでした。
 
 



その後、神々は注意深くナマズ達の声に耳を傾け、早めに浄化をするようにしているのです。

それでも負の気は次第に増え、頻繁に外へ放出せねばならない状況になっております。

それだけ人心が荒れすさんでいるということなのです。

でも、もうナマズ達は国ごと人間を一掃しようとは考えておりません。

我々神々と同じように、人間達が気づき、心を改めるのを待っているのです。

昔に戻ることはできませんが、古来この国の人々が美徳とした「明き浄き直き誠の心」は、現代なりに引き継ぐことができると考えております。

卑怯な汚いことを嫌い誠実である心は、この国のみならず、外つ国とつくにでも美徳とされることが多いのです。

もちろん平気で欺す卑怯な相手はいつの時代、どこの国にもおります。

どれほど相手を踏みつけ侮辱しても、自分たちの意さえ通れば勝ちだとする他国の民もおりましょう。

それでも知恵を使いそのようなやからをかわしつつ、昔ながらの誠実な心を守り続けることはできるはず。

ええ、それだけの知恵も美徳も持ち合わせている国民なのですから。

わたくしはこの国の神として、ささやかながら自分にできることで人間と国土を見守っております。

今は縁結びや皮膚病の他に動物の医療も見守っております。

ちっちゃなウサギ神にできることは限られておりますが、分相応に精一杯、誠実に己の職分を果たそうと努めております。

失敗も至らない点も多いのが、お恥ずかしいのですが……。

これで江戸時代のウサギ神の冒険譚はおしまいです。

いかがですか? 

わたくしの力ではなく、大神様達と仏様達のご活躍とお慈悲によるものだと、おわかりいただけたかと。

機会があったら、どうぞ白兎神社へ遊びに来てくださいな。

神無月かんなづき以外でしたらここにおりますから、いつでも歓迎いたします。

さて、話疲れたので、にんじんスティックなどいただき一休みしますか。
 

           完


ウサギ神のコメディサスペンスにおつきあいいただいてありがとうございます。

皆様にウサギ神からの幸運が届きますように。
 

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