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【FF16】これが”答え”だと断言できるエンディング解説   #クライヴ/ジョシュア/メティア/考察/死亡/アルテマ/生存/ジル


まず初めに考察の定義から考えよう。
考察とは”物事を明らかにするためによく調べ考えること”である。
つまり大事なのは――
提示されいている情報を全て把握し、欠かすこと無く、足しすぎること無く、常識を持って考えることである。

あと先に言っておくが、貴方がもしもFF16の結末に納得いっていないのであれば下記をじっくり読んで欲しい。しかし既に自分の中で確信している解釈があるのであればそれを信じるべきだし、貴方の”正しさ”で私の”正しさ”を侵さないで頂きたい。そして私も貴方の”正しさ”を侵したくない。

ここからエンディングについて触れていくが、初めてエンディングにを見たときすんなりとは納得できなかった。
べつにクライヴが死んでいたとしてもそれは業の精算として認められるし、生死についてはどちらでも受け入れられた。
だが備忘録で考察の余地がないほど物語を補完してきたのに、最後はプレイヤーの想像にお任せしますエンドは、急に物語からほっぽりだされたような気分になって正直虚しかった。
しかしその違和感にこそ真相の鍵があるのだと考えた。

――あとはどうってことはない。”バラシ”と”モドシ”が出来れば自ずと理解できる。

※結構解説が長いので手っ取り早く済ましたい方は【解説10】まで飛んでいただくか、下記の動画の方を御覧ください。



――なぜエンディングの解釈が人によって変わってしまうのか?

FF16の評価が芳しくないのは正直エンディングの後味の悪さのせいでもあるだろう。
だが散々備忘録などミクロな点をこだわってきたのに、エンディングに答えは存在していない、なんてないはずだ。
そして見る人によって結末が変わるエンディングを用意したのは明らかに何らかの意図があるはずだ。
であれば、どのような目線で見た場合、どういう解釈になるかを想像してみよう。

・サブクエをやっていない人、なんとなくエンディングを見てた人の場合
1.クライヴがアルテマを倒して、アルテマの力を吸収。
2.クライヴがジョシュアの体の傷を治す(ジョシュア生存フラグが立つ)
3.クライヴがアルテマの理を破壊する。
4.海辺に座礁したクライヴの左手が石化しており、力尽きて目を閉じる
(クライヴ死亡フラグが立つ)
5.エッダの出産に立ち会うガブ達にフォーカスされる
6.夜空を見上げ、メティアの光が消えて泣き出すジル
(クライブ死亡フラグがより強まる)
7.朝日を真っ直ぐ見るジルは泣き止んだように見える。
8.クライヴの声で物語が締めくくられる。
9.“ファイナルファンタジー”という“ジョシュア・ロズフィールド”名義の本が登場する。(ジョシュア生存フラグが強まる)
解釈:ジョシュア生存/クライヴ死亡が濃厚。

サブクエをやらず、なんとなくエンディングを見ていたら上記の解釈になるだろうし疑問もあまり抱かないだろう。
しかしサブクエを全部やって、ちゃんとストーリーを読み解きエンディングを見ていた人からすれば不快なほどに矛盾も違和感も有りすぎる終わり方だ。
そもそもエンディングで死んだと思わせといて、それでも敢えて意味深な演出をみせる意図があるとすれば、その時点で生きていると言ってるようなもの。

――エンディングを丁寧に紐解いていく

考察は見落としはご法度だし、深読みしすぎるのもナンセンス。
丁寧、丁寧、丁寧に札束を数える時みたいに、真剣に血眼にして注視しなければならない。
では一度シーンごとに”バラシ”て、順を追って紐解いていこう。

1.クライヴがアルテマを倒して、アルテマの力を吸収

アルテマの力も吸収したクライヴはまさに神に等しい力を得たと言える。
ラーニング能力を持っているクライヴ君なら”完全生命魔法レイズ”も”新たな理”も作れるかもしれない。

2.クライヴがジョシュアの体の傷を治す

傷口に手を翳すがフェニックスの力のように見える。
しかしフェニックスの力では蘇生は出来ない
(シドの墓参りの時に言っている)

傷は治っているが、口も閉口しているし、胸が鼓動していないことから息を吹き返したようには思えない。
それにジョシュアの赤ん坊の頃を思い出してから、蘇生したとしたらクライヴの死生観がおかしい。もし生き返らせていたら頭が悟空だろ。
とにかくこの時点でジョシュアは死亡は確定だろう。

3.クライヴがアルテマの理を破壊する。

いちいち不穏なことを言わないで…

アルテマが作った魔法に関する理を”すべて灰にする”と言っていることから、作り変えたとかではなさそうだ。

4.海辺に座礁したクライヴの左手が石化しており、力尽きて目を閉じる


↑手首で石化が止まっているのがわかる

オリジンを破壊したクライヴはドコかの海辺に座礁し、かなり焦燥しており、更には左手が石化している。
ただここで考えてほしいのは上記に書いたが、考察に大事なのは――
”提示されいている情報を全て把握し、欠かすこと無く、足しすぎること無く、常識を持って考えることである”
ここでわかるのは左手だけが石化しているということだ。
『左手だけ石化して死んだベアラーとかいる~?』
『いねぇよなぁ!!』
ベアラーでも9割石化してもなんとか生きてたのに、ミュトスであるクライブ(ヴァリスゼア随一の強靱)が左手だけ石化して、それが死因になるわけがない。
ってかアレだけの力を使っといて石化が手首で止まってるの強すぎだろ。
あとここで覚えていてほしいのがクライヴはいつも魔法は左手で使い、右手で剣を持っていることから、右利きだということがわかる。

髪が白っぽくなってるから死んでるという意見も結構見るが、ちゃんと見て欲しい。
根本はふさふさの真っ黒だ。30歳でこの艶は羨ましい。
マジレスすると月明かりでそう見えるだけだろう。

ジル……月が綺麗だな(愛してるの暗喩)と呟くと目をつむるクライヴ。
この段階では、気絶か過労死どちらの可能性が残る。

重箱の隅まで突くと、崩壊するオリジンから海に落ちたら流石に死ぬだろという疑問が生まれる。
正直これに関しては説明が難しい。なんせ崩壊しているように見えるが完全に崩壊していない(クライヴがいるであろう上部は崩壊していない)
更に言えばオリジンは落下もしていない。(綺麗に静止している)
だからまぁ、なんだ、ゆっくり降下していったんじゃねぇの?(暴論)

6.夜空を見上げ、メティアの光が消えて泣き出すジル


エンディング最もなんか意味があるんだろうけど、ただただ意味がわからないメティアの光が消える演出について。
これについては『メティアは魔法を蓄える機関のようなもので~』とよく目にするが、クライヴが生きているのであれば、そもそも魔法の力なんて一切必要ないだろう。強いて言うなら必要なのは奇跡だろう。

ここでもやはり大事なのは――
”提示されいている情報を全て把握し、欠かすこと無く、足しすぎること無く、常識を持って考えることである”

今回は常識をもって考えてみよう。
まずメティアとは願えば願いが叶うとされている星だ。
これは現実世界における常識に当てはめる事ができる。
近い伝承は三回願えば願いが叶う流星の話だ。
流星、つまりメテオだ。
あれ?もしかしてメティアって語源はメテオなのでは?

ではジルが泣きながらメティアを見上げてたのは何回でしょうか?

幼少期の頃
海辺で抱き合った時
ラストシーン

はい三回ですね。
泣くほど強い願いが込められればメティアもその願いを叶えてくれるでしょう。というか魔法も奇跡もなかったとして、クライヴが生きているならジルと再開できるのも時間の問題だ。
メティアの光が消えたのは願いが叶うよ、という寧ろプレイヤーに対する演出に思える。

7.朝日を真っ直ぐ見るジルは泣き止む。

ここのシーンもかなり人によって解釈がかわるシーン。
個人的にここで終わっとけばまだ綺麗に終われたのと思っている。
だけど出立前のセリフのまんまに描いているだけのように思える。

『星が見えないこの空も 元通りになるかしら』
訳:オリジンが破壊したら不気味な空が消えるので、夜空を見ればクライヴがアルテマを倒したかどうかがわかる。

『ああ きっと いつか君と見た景色は 取り戻してみせるよ』
訳:海辺で二人がメティアに願った時のことを言っている

『夜空の星はどんなときでも美し輝いて涙を流す私をいつも励ましてくれた』
訳:ジルの不安な心をメティアが支えてくれていたが、光が消えてしまったので不安が絶えられなくなった

『けれど この空が晴れたら泣くのはおしまい あなたとふたり 笑顔で空を見上げるの……きっとね』
訳:空が晴れたからクライヴが勝ったのは理解した。
あとは生きていると信じたからこそ笑って顔を上げた。

とまぁ親切過ぎる付箋。でも残念ながらそこまで見ている人は少ないはず。

8.クライヴの声で物語が締めくくられる。

かなり低めのローテーションのクライヴの声で物語は始まり、そして終わりを告げられる。
これについては後ほど触れよう。

9.“ファイナルファンタジー”という“ジョシュア・ロズフィールド”名義の本が登場する。

これもまたメティアと同じくエンディングが不可解になる原因。
サブクエをやっていなかった人ならジョシュアは生きていたんだと思うだろう。
しかしサブクエを全部やるような”お人好し”は疑問に思ってしまうだろう。
なぜならハルポのクエでクライヴが本を書いたかもしれないという可能性があるからだ。
ここからは、ここまでの情報を順番通りに”モドシ”ていけばいい。

10.クライヴがジョシュア名義で執筆した理由(ここだけでも見て欲しい)

ジョシュアは死んでいて、クライヴは生きてるかも知れないという仮定にした場合、何故クライヴがジョシュア名義で執筆したかという疑問が残ったままだ。

ならば例えば”もしクライヴがクライヴ名義で執筆していたらどうなっていたか”を考えてみよう。

クライヴ名義のまま本を世にだしてしまうと、大悪党シド=クライヴだということが世間に発覚してしまい、当然大混乱のヴァリスゼア中でクライブが生きていると知れてしまいます。
そうなればマザークリスタル破壊後にインフラ技術を拡散するという活動に支障が出てしまいます。
なので”ファイナルファンタジー”という物語を読んだ人が”クライヴ・ロズフィールド”は死んだと思わせる必要があったわけです。

あの世界で生きる人目線で考えると ”ファイナルファンタジー”という作中で”クライヴ・ロズフィールド”は必ず殺さなくてはならなかったと思います。
なぜなら彼がアルテマを倒さなければ世界が終わっていたとしても、彼は紛れもなく”謳われない英雄”であり、ヴァリスゼアの人からすれば必ずしも許される存在ではありません。
(発売前のCMで彼が起こした騒乱は”悲劇”として後世に伝わったと明言されている)
そこで亡きジョシュアの名を借りて執筆したのだと考えられます。
(もちろんジョシュアへの思いがこもってるだろうし、メタ的に考えればプレイヤーに対するミスリードにもなる)

更に語り部の声がクライヴだという事を考えると、プレイヤーは”ファイナルファンタジー”という物語を読んだ一読者視点という解釈もできます。

つまり――
・プレイヤーは読者の一人だった。
・主人公は生きていたが”謳われない英雄”であるため死を偽装した。
(読者であるプレイヤーも騙さなければならない)
・偽名を使ってその後は生きた。

となります。

現にクライヴは死んだと思った人が多いわけですから、それがなによりも信憑性を高める要因になるかと思います。

そしてこの解釈であれば、なぜエンディングが複雑でわかりにくい演出したかという説明にもなります。(他の考察ではそれができていない)


ついでに何故クライヴが自身の体験談を本にして世に出す必要があるのか、という疑問を抱く人もいると思うので補足していくと――

そもそもの話、”シド”がマザークリスタルを破壊する目的は黒の一帯を広げないためだけではなく、ベアラー差別をなくすため魔法のない世界にして人の意識を変えるためだ。
しかしヴァリスゼアに住む多くの人は、”シド”が起こした騒動の目的を知る者は極々僅かである。
だがヴァリスゼアでは吟遊詩人が跋扈するレベルでメディアの力が乏しい。
そんな世界に置いては”本”というのは情報力、拡散力共に最上級のメディアであることがわかる。
なのでマザークリスタル破壊の動機やアルテマの存在など、多くの人に真相を教えるために本を書いた理由にもなるし、クライヴが体験した話はベアラー差別問題にも一矢報いることにもなるだろう。
(とは言え本の内容を誰しもが信じたとも思えない)

つまり”ファイナルファンタジー”という本は叙事詩や啓蒙書として執筆したのではないかと考えられる。

遥か未来でその本がおとぎ話になったのは、クライヴが幼少期に父から読まされていたゼメキスでの人と神の戦いの歴史書を物語として楽しんだのと同じように思える。

いかがでしょう、納得していただけましたでしょうか?
なるべく論理的に解釈したつもりですが、少々こじつけもあるでしょう。

最後にもう一つ、何故自分がこのエンディング解釈に至ったかの理由があるのですが、その説明は作品を貶めるような発言もありますので、FF16が好きな人はブラバを推奨します。








※※※ここから禁書※※※


上記ではーー
主人公は生きていたが”謳われない英雄”であるため死を偽装して、偽名(ジョシュアの名)を使った
という解釈になりましたが
何故自分がこの解釈が”正しい”と言うのかを説明すると
実はこのエンディング解釈、FFタクティクスのエンディングと同じ構図だからです。


タクティクスのあらすじを言うと――
イヴァリースという世界史に置いて過去に存在した、ラムザ(物語の主人公)という人物は”異端者”として扱われていたが、秘匿されていた”とある本”にはラムザこそが真の英雄ではないかと謂われており、この真実を紐解くべく、プレイヤーは”本”に書かれている出来事を追体験しながらラムザの視点で冒険していきます。

そしてエンディングを掻い摘んで言うと――
実世界と異なる別次元に存在する死都ミュロンドという場所で、主人公達はラスボスのアルテマと戦うが、アルテマの放った最後の攻撃で生存が不確になります。(死都ミュロンドから帰還する方法もない)
そして、主人公達は世間で死んだ事にされますが、ラストシーンでその姿を見せます。しかし友人のオーランが引き留めようとするがそのまま行ってしまい、果たして本当に主人公だったかわからないという、生存が不確なエンドになります。

なぜ生存が不確なエンドにしたかというのを、後に原作者の松野氏はこう語ってます。
主人公は生きていたが”謳われない英雄”であるため死んだと思わせなければならなかった。その後偽名を使って生きていた。
(死都ミュロンドからどうやって帰ってきたのか説明はなかった)

これらの情報をFF16のエンディング解釈と照らしあわすと――

・プレイヤーは本の物語を追体験していた。
・主人公は生きていたが”謳われない英雄”なので死んでいることにしなければならなかった。(読者であるプレイヤーも騙さなければならない)
・偽名を使ってその後は生きた

という点が合致します。

他にもラストバトルもタクティクスの構成が同じになっており――
・ラストバトル戦が船の上。
・弟(タクティクスでは妹)からアルテマが分離する。
あとエンディングについて荒れて賛否両論になったのも同じ
・制作人は皆気づいてくれるだろうと考えていたけど、憶測ばかり飛び交って結局不評を買ってしまったのも同じ。

まぁ、まだお前が無理やりこじつけたんだろ?
と思われるかも知れません。
しかしFF16とFFTの設定が似ているのはまだまだ他にあって、例えば――

・アルテマ(FFTのラスボス)はルカヴィという悪魔なのだが、肉体をなくしてしまっており精神体しかないので、受肉するための”相応しい肉体”を必要とする。あと絶望しないと肉体に乗っ取れない。
└これは完全に”ミュトス”の設定と同じです。

・負の感情を抱いてしまうと、悪魔に身も心も乗っ取られる。
└ドミナントの暴走の演出につながる。

・必要なのは”相応しい肉体”だけではなく、かなり多くのエネルギーをいるため、政治を司る人間を唆し大戦を起こさせて、多くの血を流させます。
└FF16のアルテマも政治に介入して大戦を引き起こしておりました。

など、物語の設定やシナリオの根幹部分はほぼタクティクスと同じです。

なんでこうなったかというと、FF16のライターの前廣氏はFFTやFF12が好きすぎるからだと思います。
前廣氏はFF14のシナリオも書いていたのですが、FF12に出てくる国名や要素を多く散りばめていたりしたのですが、FF16では好きすぎて過剰に要素を取り込んでしまったのかもしれません。
(というかイヴァリースアライアンスを復興させようとしているのかも)

つまりFF16はタクティクスを”バラシ”て”モドシ”た作品である。

正直にいってしまえばFF16はFFタクティクスの二次創作なのかもしれません。(スクエニが著作権もっているのだから二次創作というのはおかしいかもしれないが)
良いように言えばリビルドタクティクスといった感じかな。

果たしてこの真実をどれだけの人が肯定的受け取れるだろうか?
果たしてタクティクスが好きな人でもこの設定を喜ぶだろか?
果たしてFF16を好きになった人がこの事実を知って喜ぶのだろうか?

面白い試みだと思う。だがオリジナリティに欠けている。
タクティクスの物語を再構築したのはすごいと思う。
しかしほとんどの人がこの仕掛けに気づいていないのだから
ただの作者の一人遊びになってしまっている。
というか察しの悪いプレイヤー側も問題あるんじゃ……

正直私は評価に悩む。なぜならこれは私が夢見たファイナルファンタジーだったからだ。中世ファンタジーで派手なアクションで楽しみたいと妄想していた通りのゲームだった。
だが、だからこそ賛否両論ではなく誰もが圧倒されるぐうの音も出ない良作にしてほしかった。
そして誰かが作った土台から作るのではなく、完全新作として戦ってほしかった。

結局真相にたどり着いても賛否両論になるのは変わらないだろう。

これは、世に出てしまってはいけない”厄災の鍵”なのかもしれない。
だからインターネット大瀑布にこの情報を捨てることにするよ。

お人好しにしか読まれないように。


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