道徳と国語って何が違うのさ?
note再開
大学院の授業が終わりました!!!!
残りの期間は、自分で学ぶ時間に当てていこうと思っています。
思えば、21時半までの授業はなかなかにハードなもんでした。
(めちゃ楽しかったけど!そのうち記事にしよう)
というわけで、1億年と2000年ぶりにnote再開です。
さてさて、初心に戻って道徳の記事を書いていこうかなと思ったのですが、どういう記事を書こうかなと迷っていたんですよね。
で、Xを眺めていたら(何回言ってもXって慣れない・・・誰かtwitterに戻して)
「国語と道徳の違いってなんなのさ」っていう投稿が流れてきました。
んじゃ、いっちょそのことを記事にしてみましょうかね。
というわけで復帰一発目の記事は「道徳と国語の違いについて」です。
道徳と国語の違い
はい。まずは結論を示しておきましょう。
拙著『おもしろすぎて授業したくなる道徳図解』の中に、ベン図として整理したものを載せておりました。
今回はこれをもとに解説していきます。
そもそも論として
この「道徳と国語の違いは何?」っていう問いには
「読み物教材を扱う時に」っていう枕詞がついていると思います。
そこを踏まえて考えていきましょう。
共通点は?
まず、共通点として挙げられるのは
教材から自分なりに考えを深めていく
ただし、教材の理解で終わらない
ということがあると思います。
国語であれ、道徳であれ、教材文には何かしらのメッセージが込められていることでしょう。
そのメッセージについて考えることは大切なのですが、そこを受け取るだけで終わってしまっていては学習としては不十分ですよね。
そこで、国語では、その教材を読んだ上で本文を解釈し、筆者(ほんとは「作者」ですね)の投げかけるメッセージに対してどう考えるかを大切にする。
道徳では、教材のもつメッセージから、自分の経験に照らし合わせて考えたときにはどう考えるかを大切にする。
このようになります。
いずれにせよ、その「教材の理解」にとどまっていたら学習としては不十分だと思っています。
「ごんぎつね」の学習は「ごんぎつね」が読めるようになるためにあるのではなく、他の文学作品に出会ったときに「こういう読みをしたら、楽しくよめるのか」となるためにあります。
「手品師」の学習では、「男の子に手品を披露するか」「大劇場に行くか」を考えるためにあるのではなく(むしろ、現実世界にそんな場面出てこないですよね)この教材から「誠実に生きる」ということを学びとるためにあります。
道徳と国語の違いは?
さて、ここからが本題です。
(スーパーどうでもいい話ですが、「ここから」と入れると予測変換で「ココカラファイン」がトップでヒットする・・・なぜ?)
国語の特徴
国語では、「自分で文章を読めるようになること」が大前提なので、常に本文を根拠に考えるようにしていきます。
C:「ここは〇〇だと考えました」
T:「ほほう。それは何ページの何行目に書いてあるのだね」
と、根拠を確かめるようにしていきます。
そして、教師が範読する際には「あっさり」と読みます。
感情をこめて読むと、教師が子どもたちの読みを誘導してしまうからです。
基本的には、本文中に難しい言葉が出てきてもその時点では、確認をしません。
なぜなら、自分で調べて欲しいからです。
(担任をしていたときには常に国語辞典を机上に置かせてました。)
道徳の特徴
道徳では、「教科書の中身を呼び水として、自分の価値観や経験から話し合う」ことが前提なので、本文を根拠にしないようにします。
C:「ここは〇〇と考えました」
T:「どうしてそう思ったの?似たような経験があったのかな?」
と、経験を尋ねるようにしていきます。
そして、教師が範読する際には、「こってり」読みます。(あっさりの対義語)
(いや、「こってり」は天下一品のラーメンだな。)
「丁寧に」読みますくらいにしておこうか。
なので、私は範読する際に、
①あらかじめ登場人物紹介をして、関係性を整理しておく
②読む際には感情を込めて読む
③スライドなどを使い、視覚的にも内容を捉えやすくする
ということを意識しております。
本文中に難しい言葉が出てきた際には、即意味を確認します。
道徳ではなぜ「こってり」・・・じゃなくて、丁寧に読むかというと
そもそも、話し合いの前提として教材の中身を理解しておかないと
子どもたちが話し合いの土俵に乗ってこられなくなるからです。
一つ例を挙げましょう。
トルストイ作の「七つの星」というお話があります。
話の中で「日照り」という言葉が出てくるんですよね。
これ、低学年には難しい言葉です。
そこで、以下のような写真を見せて意味を説明します。
T:「『日照り』ってね、こういうカラカラの状態になることを言うんだよ。そして、この当時は当然、水道もなかったんだよ。」
C:「えー!のどがかわきそうだなぁ」
はい。ここです。重要ポイント。
「喉がかわきそう」だけど、「すぐに水が飲める状況ではない」ということを理解した上で本文を読み進めていくのです。
そうすることで、主人公の女の子の水をゆずるという行為行動がいかに尊いものかということが感じられ、話し合いに深まりが出てくるのです。
おわりに
いかがだったでしょうか。
こんなことを言いつつも、
国語が道徳っぽくなってしまい反省をする日々でございます。
どうやら、道徳が好きな先生は国語が道徳っぽくなる傾向があり、
国語が好きな先生は道徳が国語っぽくなる傾向があるようです。
「国語と道徳では学ばせたいことが違うんだよな」というのを頭の片隅に置いておくと少しだけ授業も変わるかもしれませんよ。
ここまで読み進めてくださった皆様、ありがごうございます!
今回の記事は、(いつもだけど)あくまでも私見ですので、そこを踏まえて読んでいただけたらと思います。
そして、もしよければ「国語と道徳の違いって何なのさ!?」って困っている方にこの記事を紹介していただければ幸いです。