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#21「写真を撮る理由とは?」

最近よく目にする言葉。
「写真を撮る理由ってなんだろう?」

2020年にX100Fを買ってから再スタートした写真撮影。
乗り換えながらもいつもそばにカメラがある生活を送っています。

これまで写真を撮る理由なんて考えたこともありませんでした。
ただ興味に任せてシャッターを切っていました。

今日は写真を撮る理由についてのお話。
どうぞお付き合いください。


“遊び“として

もともと機械や乗り物への興味が強い子供でした。

カメラへの興味もその延長線。
シャッターボタンを押すと「カシャ」「パシャ」と音がする。
小さなファインダーから向こう側を覗くワクワク。

こんな感じのコロンとしたカメラ

子供の頃の私にとって写真を撮る意味は“遊び”
出来上がった写真にそこまでの興味は持っていなかった記憶。

遊びが趣味に変わっただけで、今でも撮ってワクワクする気持ちは変わらないまま。


“宝探し”として

中高生の時は自転車に乗ってカメラをカバンに入れてあちこち探索していました。
行動範囲なんてたかが知れているので、大抵いつも同じ道。同じ場所。

同じ景色でも“何かを見つけよう”としていると突然シーンが現れる。
それは夕焼けであったり、公園のフェンスだったり、街のポストだったり。

いつもと同じようで、全く違う発見。
それは宝探しのような感覚。

大人になってからはストリートスナップなんて洒落た名前で呼ぶようになったけど、
気持ちは今でも宝探しのまま。


“道具への愛着”として

社会人になってからは道具にも拘れるようになりました。
写真を撮ることだけでなく、カメラそのものを好きになりました。

形、使い心地、作り手の想い。
写りとは別の角度で「ものとしての良さ」に心惹かれる。

写真を撮らなくても、そこにあるだけで嬉しい。
今ではすっかり富士フイルムの沼に浸かっています。


“思い出の形”として

36歳になった今。
仕事もプライベートも良いことも辛いこともたくさん経験してきました。
出会いも別れもたくさんありました。

だからこそ思うのは「今が一番大切」だということ。
何もない日常がとても大事な時間。

朝ごはんを妻と食べたり、子供が成長したり。

意識しないと消えてしまう日常を思い出に変える方法。
それが今の私にとって写真を撮る意味です。


エピローグ

今まで何気なく撮っていた写真。
この記事を書きながら自分とって写真を撮る意味について再確認することができました。

私には撮る理由も意味もないと思っていったので少し気持ちがすっきりとしました。

“意味”は人それぞれ。
あなたにとって写真を撮る意味はなんですか?

今日も最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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