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新しい環境 保育園

転園のきっかけ

下の子がまだ入園先が決まらずにいたときに体験保育に行った。
そこで出会った保育士主任に出会ったことが転園のきっかけになった。
居場所にならなかった幼稚園から逃げるように保育園に転園したのは
保育園園長の「どんな子でも受け入れる」という言葉もあったが
保育士主任に共感してもらえた時の安心感が決定打だった。

入園課での出来事

幼稚園から保育園に転園するために市の入園課に出向いた。
「なぜ今回転園されるのですか?」
上の子が幼稚園関係者からグレーゾーンと言われたこと、
そんなことを言わない保育園に入園したいと伝えたところ
窓口の職員が急に慌てて「専門の方に見てもらうのでちょっと待ってくださいね」と言ってきた。
私は上の子が発達障害だと診断してほしいと思ってないし子どもに何も困っていなかった。幼稚園が上の子を平均的なよくできた子に指導しようとするから困っているだけで。

白いスーツをバリっと着たきれいな女性が急に案内されてきた。
「ちょっとお話聞かせて。子どものことで困り事ってある?」
突然すぎて頭が混乱した。困っていることなんてわからない。園に入るまでうちの子は普通、家庭では普通だったのでそう言われるのが正直一番困った。
そして頼んでもいない「発達障害児アドバイス」をくれた。
配慮を受けるには認定が必要なのかもしれない。「あなたの子は障害児」と突然言われているようで腹立たしい記憶しか残っていない。

転園してみると

園長よりも主任との方が母親たちは話す機会が多く
主任の人柄を期待して転園した私たちだったが
実際は転園前に主任が異動してしまっており、期待が大きかった分
残念な気持ちのまま新しい園に上の子も下の子も入園した。

入園して実感したが、保育園は母親の負担を減らしてくれる場所として機能しているが、本当にその通りで「お母さんが元気じゃないと子どもたちも笑顔にならない」そんなことを園の保育士ほとんどが思って子どもと接している園だった。
子どもたちのいざこざは園の中だけでなんとかしてくれた。
病院にいくような怪我もおこらないし、何かあっても「お友だちとちょっともめてしまって」と相手の名前は伏せてくれる。
子どもが年長に近づくにつれて、自分から誰が相手か話すようになるが、園内で解決してくるので母親の私の感情はとても落ち着いた状態になった。

しかし転園で本当に安心できたのは私だけだったのかもしれないと今は思う。既に2歳児頃から一緒にいるクラスメートに急に混ぜられた上の子はなかなかクラスに馴染めずにいたようだった。「幼稚園やめたい」と言っていた上の子は「保育園やめたい」と言うようになっていた。
他の子どもと同じように生活や学習ができない子どもに対して、担任の他に加配の先生がつくことがあるが、上の子は年中時に加配の先生がついていた。加配の先生から「死にたいとか言うの。この年齢で言うのかと思うと悲しくなるよね」と言われたことがある。

実際、夜 布団に入ると保育園に行きたくないと泣かれどんな嫌なことがあったか話されることが続いた。担任に聞いてみると本人にも原因があったり、勘違いがあったり。実際現場を見ていないので結局どちらも信用できないという考えの私。担任も25人を一人で見ているのだから全部見ているとは正直思えないのだ。ただ、上の子が抱いた感情だけは事実で向き合わないわけにはいかなかった。
年中クラス時に始まった「夜の愚痴吐き出しタイム」は週3~4日ほどの頻度で小学2年までの約4年間続いた。
「今日は○○ちゃんや○○くんと遊んだ」などという楽しげな会話は上の子からは聞き出せなかった。

今ならわかる上の子の苦しい毎日

「楽しい事なんて一つもない」それが上の子の口癖。
まだ未就学児だというのに。
コミュニケーションが困難な自閉スペクトラム症(ASD)、注意が持続できなかったり衝動性が高い注意欠如・多動症(ADHD)、読み書きや計算などが極端に苦手な限局性学習症(LD)などの発達障害。
小学3年のときに児童精神科で診断してもらったら上の子は3コンボだった。
多動症は少なめで会話でのIQは通常発達より少し上くらいなので
学校以外ではあまり気づかれない。
好きな人たちに囲まれ、自分の好きな事だけをしているときだけは上の子は輝いている。誰でもそうだと思うが、その状況でしか人生を楽しめないのが発達障害の生きづらさだと感じる。

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