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少し限界を溶く

 激務の仕事を辞め、時間と精神の余裕がある職に就き早8ヶ月。同棲を始め4ヶ月目。好調に見えるこの生活だけど、なんだか体が不調で、気持ちがざわざわ安定しなくて、なんだか限界を隠して日々息切れして生活している感覚がある。

そんなにきついことしてないのになんでだろうと考える。仕事中も考える。考える。考える。

 これだ、と思う。考えすぎてしまう。深く深く考えすぎて疲弊している。そんなもの早く手放せばと思うかもしれないが、思考癖はどこまで行ってもついてくる、暇さえあれば複数の考え事を同時進行している、解決する前にまた一つ新たな悩みを考え始める。
 言ってしまえば、仕事中、思考が暇なんだ。
 前職は割とクリエイティブに近い仕事で、時間を忘れて仕事仕事。激務に限界を迎え、バランスを取るために現職(事務だと言っておく)についたけど、今度は前職がベースになってしまっている私には刺激がなく暇なんだ。そんな良いとこどりできないよなんて思うけど、このままでいいのかなつまらないなでもやりたい仕事もはっきりないしななんてことをぐるぐると考える。
今すぐ解決できないことをダラダラと考えることに疲れた、周りに神経を張ることも疲れた、昔から通勤電車が苦手それにも疲れた、都会の周波数の激しさにも酔った、どこに行っても人がいて独りになれない、そんな環境に心底疲弊している。

相棒には不満はないから家で発散できていると思ってたけど、やっぱり好き嫌いとかじゃなく、「独りの時間」「孤独の時間」が必要なんだ、私には。
なんだか寂しく聞こえるし、私って人と生活できないのかしらとまた悩みそうになるけど、なんでも一人でできて(一人映画、一人焼肉とかね)、一人が楽だと思ってた私が人と生活することは大きな変化で、そりゃ何かしら辻褄が合わない部分、今までの調子じゃうまくいかない部分が出てくるよね、そんな時期だよねと思考を落ち着かせる。
これは彼に不満がないからなかなかどこにそんな体を壊すほどの原因があるのか気づけなかったけど、全ては環境のせいである!

というのに、地元に2日間帰ってきて気付きました。私は本当に定期的な自然が必要で、特に海、地元だと尚良しと言った感じなんだけど、家族親族口を揃えて、「よく一部屋で仲良く暮らしてるね〜!」って。
なるほどなるほど。楽しく過ごしていたけど、本当に少しずつ少しずつ気づかないくらい小さな環境との不調和が積み重なってたというわけだ。
例えば、空気が抜けない部屋、窓に洗濯物を干してしまえば部屋はもう薄暗く、お風呂に窓はなく、畳がない、大の字で寝れるスペースはない。私にとっては当たり前だったこれらがない生活、その差異が少しずつストレスで気持ちの逃げ場がなくなっていたのかもしれない。
こうして、文章にしていると自分の考えていることが整理されて、それもまた良い。余裕のない時は文章にする力も湧かないし、何がこんなに私を苦しめるのかわからないので書けないしそんな自分も情けない、何事にも活力が湧かない、そんな精神状態。

少しだけ、たった2日だけの帰省だから本当にに少しだけだと思うけれど、こうやって文章にできる力は湧いて、まあそんな焦ることもない、次の家はこういう家にしようと彼に伝える力も今のところある。

なんだか久しぶりに限界を感じてとても苦しかったけれど、少し安心。


私にはこういった息抜きが必要で、環境が必要で。静かな地で、空気の流れや音だけが聞こえる場所で耳を澄まして自分の中に感覚を研ぎ澄ましてあげることを忘れてはいけない。
床に寝そべったって良い。ベッドじゃダメ、気が分散してベッドの柔らかさにバランスをとることに気を遣ってしまうから。床に寝そべって、硬さを背中で感じて、自分の呼吸に目を向ける。驚くことに、ここが不調ですって声を上げていることに気づく。

極限までくると積もり積もった疲れや灰汁、鉛のような重たいものを溶かしても溶かしても果てしなかったりする。でも、それでも少しずつでも解き放つことが大事である。少しずつ少しずつ。解き放つ方法を知る。少し体が軽くなったなって思えるようになったら、自分が何で心救われて、何に心躍るのか、声が聞こえるようになる、足が向くようになる。

今の環境は自分が壊れる前にいつでも手放すことができる、迎えてくれる人がいる、自分の心を守ることが一番大事である。
また心が疲弊してしまったらこの文章が力をくれることを信じて、ものの10分で思いのままに書いた文章だけどこのままの熱量で、言葉のニュアンスで、残しておくこととする。

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