大和言葉が命を繋いだ桜花
この時期決まって思い出すことがあります。
ある市民が、道路工事で伐採が決まっていた桜を惜しみ、歌を詠んで桜に下げました。
「花守り進藤市長殿
花あわれ せめてはあとニ旬 ついの開花をゆるし給え」
これを見た市民が次々と歌を詠み始め、下げていくなかで、ある日このような和歌が下げられました。
「花惜しむ大和心のうるわしや とわに匂わん花の心は 香瑞麻 」
当時の福岡市長進藤一馬氏の返歌でした。
(我が家の近隣の染井吉野の花。中心が赤くなり、いよいよ散り始め)
ローカルニュースで流されたこの逸話が、福岡に逗留中だった團伊玖磨氏の目にとまり、随筆「パイプのけむり」で紹介され、さらに「リーダーズ・ダイジェスト」で世界に報道。
小学校のテキストにも掲載されました。
福岡市の桧原にあるこの桜は伐採を免れ、迂回するように道路が出来上がり、市民が歌を詠む桧原桜(ひばるざくら)コンクールが開催されるまでになりました。
今年もきっとその周りでは
桜を、自然を愛でる老若男女が趣ある歌を詠みつないでいることでしょう
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自然を大切に思う気持ちと三十一文字の大和言葉が動かした人の心。
なにより教養と国文学を愛する風流人であった市長の粋な返歌。人を導くには教養と哲学も必要だと実感する逸話でもあります。
我が家の近くでは素朴な山桜もひっそりと咲いていました。
近隣の桜守たちが守り受け継ぐ日本の春です。