幸せは分かち合って初めて本物になる【ハイダグワイ移住週報#30】
9/30
今年のストーム・シーズンの訪れを告げる巨大な嵐が吹き荒れる朝、僕は車を南に走らせていた。海岸沿いのハイウェイからは荒れ狂うヘケート海峡が見え、ときおりハンドルを煽られる暴風が吹きつけている。
スキディゲート村を通過して入り組んだ湾内を見渡すと、外海ほど荒れてはいない。心配していた南島行きのフェリーも通常通り運行しているようだ。サンドスピット空港に行くのは7月ぶりである。ぐらりと揺れながら進むフェリーでモレスビー島に渡り、空港が見えてきたタイミングでちょうど飛行機が着陸する。ぴったりだ。
プロペラ機が留まり、タラップから乗客が出てくる。飛行機を出た瞬間に暴風に晒されるのは酷だよなあと見ていると、レンジャーハットを被った瑠璃に続き、もこもこのニット帽姿でゆうかも降りてくる。一年以上ぶりの再会だ。
「飛行機で両隣を大きな人たちに挟まれて、なかなか過酷だったな」といいつつ、ゆうかはいつも通りはつらつとしている。6年前に出会った時から変わらず幸せなやつである。大学入学したてのころ、学生団体で同じチームになった時からの親友である。
グラハム島に帰るフェリーを一本逃してしまったので、船着場で一時間ばかり暇を潰す。あんなに大荒れの天気だったのに、風も雨も止んできた。この船着場付近には牡蠣がいっぱいいたはず。岩場でしゃべっているとフェリーがやってくる。グラハム島に渡り、家まで車を走らせる。行きほど荒れておらず安心。
「ここ、永住したい…」
木々に囲まれたバスを見て瑠璃がつぶやく。何これかわいい、とゆうかもはしゃいでいる。今回はいつも通り自分の家やキャビンに泊まってもらうことが叶わず、隣のタモたちの家にある古いスクールバスで寝泊まりしてもらう。畳の上にふかふかのマットレスもあるし、薪ストーブもオイルヒーターもあるバスだが、女子ふたりをいきなり森の中の古いバスに泊まらせるのは少し引け目があった。さすがの適応力を持つふたりである。
サウナに火を入れ、自分の家で夜ご飯にする。赤味噌と白味噌を混ぜてわかめの味噌汁をつくり、昨日釣った銀鮭の切り身をバターでこんがり焼いて最後に醤油・みりん・酒・ブラウンシュガーで照り焼きにする。ご飯の上に鮭の照り焼きといくらの醤油漬けを乗せ、即席ハイダグワイ親子丼。しっかりと漬かったいくらが口の中で旨みを炸裂させ、火を入れすぎない鮭はふわとろで絶品である。「これを知らずに死ななくてよかった」とふたりもどんぶりをかき込んでいる。
食後にサウナを覗くと、カンカンに熱くなっている。嵐の日のサウナは素晴らしい。ストーブの火はお互いの顔をかろうじて認識できる灯りをもたらし、外の風音は少し遠くに聞こえ、薪のはじける音が安心感と織りなす。フィンランドに遊びにいった時に友人のエリサも言ってたけれど、サウナは気の知れた数人の友達とじっくりリラックスするための場所だ。この幸せを見つけたの、ずるい。外の風に当たりながら瑠璃がつぶやく。
「ハイダグワイって幸せが3Dだよね」
「というと?」ゆうかはいつも独特な表現をする。
「『お金じゃなくて…』『自然に戻る…』みたいな言説ってよくあるけど、ここでは豊かさと幸せを五感で感じられる気がする」
土地とともに、水とともに、空気とともに生きること。そんな本来の人間らしさを取り戻すためには、ハイダグワイに来てもらうのが手っ取り早い。これは村の若い環境活動家であるハアナちゃんも言っていたことだ。自分が感じていたもの、見つけたもの、大切にしたいものを一緒に面白がってくれる友達がいて嬉しい。
ふたりにバスの使い方をさっと教え、おやすみをいって別れる。楽しい2週間になりそうだ。
10/1
大嵐の次の日の澄み渡った空気ほど、心の底からにこりとしてしまうものってこの世にあるのだろうか。素晴らしい晴天の朝である。彼女たちが着いた昨日が嵐だったから少し安心する。
犬のサルサとリオもついてきて、バスのふたりを起こしに行く。彼女たちももう起きていて、快適に寝られたようで安心。
「電気つけないでトイレに行ったときは超怖かった…」とゆうか。無理もない。バスの外にある屋外トイレはでかいドラム缶の上に便座が留められているだけで、小屋も森に開けている。ちゃんと電気つけなよ。
ベリーバスケットをもって、ビーチに朝の散歩に出かける。今朝のビーチはこの世の果てそのものだった。開けたパノラマの左手には黒黒しい空が広がり、雲が豪速球で駆け抜けていく。陽が差し込む右手は素晴らしい秋の空で、七色のアーチが掛かっている。昨日の嵐で海は大荒れで、高い白波が幾度となく押し寄せる。犬たちもガールズたちも砂浜の上を走り回る。
少しの間クリスタル探しに興じた後、朝ごはんのためにベリーを摘む。森に生えているベリーたちを簡単に紹介しつつ、サラルベリーもハックルベリーも日本ではあまり馴染みのないものだと思い出す。10月なのにハックルベリーは丸く太った実をたわわにつけている。ふたりは食べてばかりでなかなか収穫できない。
とりあえず今日の朝の分だけベリーを摘んだあとは、キャビンでブランチをつくる。摘んできたハックルベリーを生地に混ぜ込んでパンケーキをたくさん焼く。厚切りベーコンもカリカリに焼いて、目玉焼きも一人二つ。ハイダグワイブレックファストといえばこれだろう。
「これすごい!」とゆうかが小躍りする。バターで焼いたパンケーキの表面はじゅわっと香ばしく、中はちゃんとふわふわ。ほどよく火の入ったベリーが弾け、酸味がメープルシロップの甘みと絶妙なマリアージュを奏でる。半熟の黄身をつけてもまた絶品だ。
夢の生活すぎる、と瑠璃はタロンの作ったキャビンにも感動していた。建築学部を修めた彼女には見えるものも違うのかも知れない。僕もここに引っ越し、近所の数多くの個性的な家々を見て、子供の頃の夢がまた浮かび上がってきた。いつ建築家になりたいという夢を置いてきてしまったのかは忘れたけれど、自分の好きな土地で、自分の手の届く範囲で何かを作り出すことに強く惹かれている。
昼過ぎにはしとしとと雨が降り出す。お腹いっぱいになったあとは露天風呂に火を入れ、村に買い物に行く。メープルクッキーと「ミス・ヴィッキー」のポテトチップスは外せない。秋田出身のゆうかがきりたんぽを持ってきてくれているので、今夜はきりたんぽ鍋にすることにする。お酒も買い込み、宴の準備は万端である。
自分のルアーも買い、「ぜったい銀鮭釣る」との強い意気込みを持つ瑠璃と夕食まで近くの川で釣りをする。ゆうかは家でお留守番。雨の降る中、やれやれと言わんばかりの表情をするウォーリーも連れてサンガン川へ。
明日が新月とかで潮の動きが大きく、あまり釣りに向いた日ではなさそうだ。それでも、同じ場所で二日前に銀鮭を釣り上げたのである。ふたりで交代しながらルアーを投げる。ルアーを変え、場所を変え、いろいろ試してみるがアタリすらない。ほんとにいるの?と疑う瑠璃を励ましつつ、雨に打たれ風に吹かれながら二時間。今日は喰ってこない日だな。
帰り道に露天風呂に薪を足す。火を入れて二時間なのに、まだすんとも暖かくならない。キンキンに冷えた体で敗北の帰還をすると、家の薪ストーブにはしっかり火が入っていてありがたい。さあ、鍋を作ろう。
大学時代から、ゆうかのアパートはみんなの実家のような場所だった。いい雰囲気の商店街を抜けた静かな場所にあって、いつも手作りの温かいごはんがあって、気がつけば友達もいて。結局のところ、好きな場所で気の知れた仲間と料理をして、なんでもない日々を祝うということが一番幸せなんだということを、その時からぼんやりと分かっていたのかも知れない。
同僚のJJがくれたキングマッシュルーム、スーパーの高価な白菜、にんじん、誰かが持ってきてくれた鍋キューブ。そこに秋田からはるばる太平洋を超えてやってきたきりたんぽを入れて煮込む。芳香なだしの香りがキッチンを支配する。もう一度風呂に薪を足して帰ってくると、ご飯の時間だ。
ボウルいっぱいについでもらい、ルームメイトのサシャとエディも混ざってみんなで鍋を食べる。くたくたになったきりたんぽの食感が楽しい。野菜やきのこの旨みが溶け出したスープをひとくち啜ると、ほうっというため息が出た。今年も鍋とスープが美味い季節がやってきたのである。
5人で腹も心も温まってほくほくになる。エディが作ってくれたココアを啜って、待望の露天風呂タイムだ。六時間以上火を焚き続けて、ようやく温まった。底の方はひんやりしているから表層だけを楽しむことにする。永遠に入ってられる温度だ。地元の友達としょっちゅう近所の温泉に行って、大きな壺湯で何時間も喋り倒していたことを思い出す。
嵐のしっぽがまだ残っているのか、風は執拗に木々をゆすっている。肩までつかっていないと少し寒い。
10/2
しとしとと雨が屋根を静かに叩いている。しばらくすると晴れそうな空模様だ。ふたりを起こしに行き、朝には昨日の鍋の残りとベーコンエッグ丼をつくる。ベーコンの脂がのこったスキレットで醤油・みりん・バターをはじけさせたソースをかけるのがコツである。脂っこい丼と優しいスープがちょうどいい。
午後からは僕が仕事なので、午前中のうちにトウヒルにいく。友達が来るたびに連れてくるので軽く10回以上は来ているが、それでも飽きない美しいトレイルである。ちょうど雨も止み、レインフォレストに陽が差し込む。空気中の水滴がキラキラ光っている。
今日はあいにくアラスカは見えなかった。展望台から望む海と空の境界線は溶け合い、真下のビーチには潮がどんどん押し寄せている。ここはこの世界の果てであり、この世界の中心でもあるのだ。
「ほんとに遠いところまで来たな…」移ろいゆく空を見上げながら瑠璃がつぶやく。
トウヒルのトレイルを出てハイアレン川を渡ったところにある一本のトーテムポールを見にいく。マセットのマスターカーヴァーであるクリスチャンが彫って2017年に建てられたものだ。慣れたもので、下から順にモチーフになっているクレストを説明する。こんな伝統が残っているの、羨ましいな、とゆうかがポールを見上げて言う。僕もニュータウン出身の文化的空白を抱えた人間のひとりとして、精神的な故郷を探しつづけているのかもしれない。土地と文化から疎外され、精神的な孤児となってしまった都市育ちの宿命である。風の吹き付けるトウヒルの岩場で日光浴をし、僕は仕事に向かう。
仕事から帰ってくると、家の電気が消えていた。もうふたりともバスに戻って寝てしまったのかと思って家に入ると、ケーキにろうそくが灯り、バースデーソングがたどたどしく歌い上げられる。一か月遅れの誕生日おめでとう、とささやかなサプライズをしてもらう。それぞれが描いた似顔絵付きのスウェットは少し小さくて笑ってしまうけど、とても嬉しい。
庭で採れたりんごで焼いたアップルケーキは、ゆうかのお母さんのレシピらしい。しっとり、ずっしり、しっかり甘いけど重くはない。
10/3
残っていたサーモンのハラスをバターでこんがりソテーし、ぜいたくにおにぎりに握って表面を焼く。味噌だれで仕上げてサーモン焼きおにぎりの朝ごはん。油の乗った銀鮭のハラスは言わずもがなで、カラメライズされた皮目と香ばしいおこげがたまらない。簡単な玉ねぎの味噌汁といただけば、贅沢な日本式朝食である。
今日こそサーモンを釣ろうということでまたサンガン川へ。せっかく銀鮭シーズンに来たのだから釣らせてあげたい。河原に焚き火をつけ、ゆうかに
瑠璃と交代しながらサーモンが溜まるというスポットで粘る。いろいろルアーも変えながら試行錯誤して一時間半、岸からすぐ手前でヒットする。大きな銀色の魚が飛び跳ねる。ふたりで声をあげたのも束の間、2度目のジャンプでフックを外され、ルアーが虚しく地面に打ち付けられる。絶句。
とはいえ魚がいるということが分かり、再度気合が入る。
「あー!あれは悔しかった、当分忘れられん」
「釣らなきゃ日本帰れない…」
瑠璃もどんどんキャスティングが上達してきた。あとは魚がいるところに、魚が食いたいときに投げてあげるだけだ。それが難しいのだけれど。
結局今日も四時間ほど粘り、あの一度のヒットだけで敗戦。一回当たったからといって同じルアー、同じ場所にこだわり続けるのも釣り人としての未熟さだなと後から少し反省する。
仕事から帰ってくると、サウナに火が入っていた。自分たちで火を点けれたよ、と得意げである。自分も初めて満足に薪ストーブに火を入れられた時は嬉しかったな。
もうすでに遅い時間だったが、5セットほど時間をかけて身体を温める。ゆうかが早めにバスに戻った後、瑠璃と知り合った頃のことや、大学時代に一緒に色々やってた仲間たちの話をする。
そもそものきっかけは、世の中がまだ自粛なりなんなりで息苦しかったときまで遡る。瑠璃は「喫茶ネッシー」という屋号でときどき間借りでカフェをやっていて、そこで自分のイラストの個展をやらせてもらったのだ。こいつは仲良くなるべき天才だなと直感で思ったのを覚えている。「ネッシー」にたむろしていた仲間たちはみんなまだ大学生ながら、個々人で作りたいものややりたいことがあって、不器用ながら生き抜こうとする気概のある集団だった。側から見たら無職のあつまりだったけど。今は東京に残っている人間の方が少なくて、いろんな場所でそれぞれ生きていっている。
「おれたちの『発散の時代』って感じがして、割と嬉しく思ってるよ」
「ずっと肩寄せあってニコニコして『いいね〜』って言ってばかりじゃつまらないもんね」
変に媚びあったりせず、自分の作りたいもの、知りたいものを極めつつ、まじめに遊ぶ仲間がいるということを思い出すだけで、少し心が温かくなる。またどこかで収束するときまでは力を蓄えておきたい。
10/4
からっと晴れた金曜日。また家の前でベリーを摘み、ハックルベリーパンケーキとベーコンで朝ごはん。
隣のバスに泊めさせてもらっているかわりに、薪割りのお手伝いをやる。ローラがあれこれ指示をくれる。このビーチから取ってきた薪はサウナ用、この丸太は切り分けて薪小屋のしたに積み上げといてね、と。3人で手分けしつつ、午前中の二時間ほど働く。手を汚す作業も厭わず、楽しげにやってくれるふたりで安心する。
隣のミドリが様子を観にくる。「今日のファーマーズマーケット、プルコギサンドウィッチがあるってよ!」それは行くしかない。
マセット村では毎週金曜日にファーマーズマーケットが開かれる。今日はいい天気なのもあって、いつも以上に賑わっていた。プルコギサンドを売っているのは最近オープンした韓国レストランのアーロン。
「久しぶりじゃないか、コーホー!」
「いい香りだね。ビジネスは順調?」
「おかげさまでな。今日はサンドウィッチが美味いぞ」
3人で分けて食べるために、二種類をハーフでオーダー。30ドルもしたのは見なかったことにする。
食べ物に目がないふたりはフードブースのまえをうろついている。せっかくだから食べたいものを買おう、ということでまずはドーナツ。アーミッシュの人々が毎週揚げたてのドーナツを売っている。3つで6ドル。おいしさにゆうかが飛び跳ねる。まだほかほかのドーナツには丁度いい塩梅にシュガーコーティングされていて、じゅわっとやさしい甘みが口に広がる。
お次は定番バイソンソーセージのホットドッグ。ここのホットドッグスタンドは手作りのピクルス・ザワークラウトといった付け合わせが何種類もあり、乗せ放題なのが楽しい。交代で口一杯に頬張ると、ソーセージの肉汁とピクルスたちの酸味が美しく混ざり合う。
20分ほどしてプルコギサンドが出来上がる。贅沢に韓国焼肉が盛られ、チーズと一緒にサンドされている。間違いない。コチュジャンが効いていて食欲が駆り立てられる。ハイダグワイのスーパーで見たことないけど、どこで手に入れてるの?と聞くと自分たちで作っているとのこと。今度店まで買いに行こう。
食後はまた瑠璃と釣りに。銀鮭の遡上シーズンは少しの隙間時間も無駄にできない。今日は他にも釣り人がいたが、潮の流れも強く海藻がひっかかるばかり。またもやボウズ。
僕が仕事に行っている間はタロンがふたりを釣りに連れていってくれたそう。
「タロンはぽんぽん釣ってたよ」とのこと。とりあえず銀鮭には対面できたようで、よかったね。
10/5
やっと仕事が休みの土曜日。昨晩スキディゲートのダックおばちゃんから電話があった。「明日はハイダ族評議会設立50周年パーティがあるから、来なさいね」問答無用である。
午後からはパーティがあるので、早めにスキディゲートに行ってふたりを博物館に連れて行くことにする。サーモスにお茶を入れ、朝ごはんにおにぎりを握ってハイウェイを南下する。晴れた日のハイウェイは最高に気持ちがいい。
博物館の年パスが切れていたので、今年のぶんを新調する。一回の入場料が18ドルで、年パスが34ドルなのだから格安である。去年は10回は来た。お土産ショップのリンも久しぶりだ。
「そのネックレス、とっても素敵。どうしたの?」
「キャンデスがくれたんだ。カヌー進水式のときのお手伝いのお礼にって」
「まー、それは良かったわね。あんたもすっかりローカルじゃない」
博物館の女将的なポジションのリンは、僕が去年の冬に博物館のビストロで働いている時から気にかけてくれている。ありがたい。
キッチンスペースではブローディとジェフ、アンドレの3人が何やら忙しそうに料理している。
「今日のセレブレーション、来るよな?500人分のメシを作ってるんだ」
どうやら3人は今日のイベントの食事担当らしい。美味しそうな香りがする。ハリバットのバターチキンが今日の目玉らしい。すでに美味い。
カンペなしでほとんどの展示を説明できるほど通ってきたので、案内はお手のものである。ハイダグワイ博物館は写真撮影禁止なのもあって、ふたりともじっくりと目を凝らして展示を見ている。
二時間ほどゆっくり展示を見た後はスキディゲートのホールに向かう。すでにじわじわと人も集まってきている。入り口で名簿に記入し、福引チケットをもらう。リリーおばあちゃんやデラヴィーナが一番前の席に座っていた。瑠璃とゆうかを紹介すると、日本に連れて帰っちゃ許さないからね、と腕を掴んで笑っている。
今日はハイダグワイの政府機関であるハイダ族評議会(CHN)の設立50周年を記念して行われるセレブレーションディナーだ。ずらりと並んだテーブルには黒いクロスがかけられ、各席にCHNのロゴが入ったマグカップやステッカー、たくさんのスナックが並んでいる。ホールにはハイダ族の政治運動の歴史を紐解く年表やこれまでの首長の写真が飾られ、中央には巨大なハイダ族の旗が掲げられている。
「コーヘイ!こっちに座んな!」大きな声で呼ばれたかと振り返ると、レジが手を振っている。カヤック旅の時に訪れたウィンディ・ベイのウォッチメンで、三日間お世話になったのだ。
「無事に帰ってきたんだな!」
「おかげさまで!なんか村で会うのは変な感じだね」
「よかったよかった。ほら、後ろになんか座ってないで俺たちのテーブルに来な」
お呼ばれしたのでちゃっかり3人でテーブル席に座る。レジの兄弟たちが一緒に座っている。
今年はハイダ族評議会の50周年の節目にあたり、かつBC州がハイダ族の先住民権(大きな自治権)を認めた、まさに歴史的な一年だった。まさにカナダの、世界の先住民運動の風向きを大きく変えるハイダ族の前進を目の当たりにできるのは、なんて特別なことだろう。
「イーグルの禊」の儀式が始まる。大きな悲鳴とともにダンサーがイーグルの羽を会場に撒き散らす。悪いスピリットを会場から追い出す作業だ。
「見てみろ、ハイダセレブたちだらけだぜ」レジが指差す前方のテーブルには、錚々たる面子が揃っていた。評議会の歴代のトップたち、各村のヘレディタリー・チーフ、伝説的なハイダアーティストたち。これまでのハイダ族の軌跡を辿り、今までの成果を祝い、これからの闘いに望むための今日である。ハイダグワイの重要人物がかわるがわるスピーチをしていくのを、みな固唾を飲んで耳を傾けている。
スキディゲートの長老であるグワーガナドがハイダ語と英語で創世神話を語り、各クランの歴史がチーフたちによって紹介される。ハイダ族が立ち上がった1985年ライル島ブロケードについてグジャウが語り、女王を相手取った法廷における土地をめぐる争いについてはハイダ族の弁護人テリーリンが聴衆にわかりやすく紐解いてみせた。
「ハイダ族の先住民権が認められた今、焦点になるのはその実効性を確保することです。2026年の法廷に向けて、これまでハイダグワイから違法に伐採・採掘・採取されたものに関する莫大な賠償を請求する準備を一丸となって進めています」
しばらくスピーチが続いた後、食事が振る舞われる。一品目のスープはサーモンのクリームスープをチョイス。ポトラッチでもコミュニティディナーでもまずスープが振る舞われるが、そのおいしさにはいつも驚かされる。さすがは海洋民族、魚の扱い方はプロである。
メインディッシュはスモークサーモン、ハリバットのスフレ、ハリバットのバターチキンカレーにポテトサラダとサフランライス。さすがマセットが誇るシェフ、ブローディのご飯である。ハイダグワイのイベントで今まで出されてきたもののなかで一番感動する。ハリバットのバターチキン(正確にはバターチキンカレーのチキンをハリバットに代用しているのでバターハリバットカレー)は深いコクとほどよいスパイスが効いていて、いくらでも食べられる。
ハイダグワイ博物館館長のニカがマイクを握る。彼女は人類学者や考古学者たちが盗んでいった先祖たちの遺骨を世界中の博物館から取り戻すことに命を注いでいる一人だ。
「奪われたのは、先祖たちの遺骨や村に残されたトーテムポールだけではありません。生きている世代が、土地から、文化から切り離され、互いに分断されて、ハイダであることの誇りそのものすら奪われたのです」
カナダ史上、最高のアーティストのひとりであるビル・リードの孫である彼女は、ハイダ文化を守るという生まれながらの重責を背負いながらも、その宿命を全うしてきた。彼女は最前列に座らせた少年少女たちに語りかける。
「こうしてこの場にいる子供達こそ、絶滅の危機にあった私たちの希望なのです。祖先が守ってきた土地と文化を、次世代から借りている者として、その責任と向き合い続けなければなりません」
文字のない口承文化圏なこともあって、ハイダのリーダーたちは本当にスピーチが上手い。それらを平気で十時間近く聞いていられる聴衆もすごい。さすがは赤子の頃から夜を明かすようなポトラッチに参加し、人の話を黙って聞く訓練を積んできた民族は違う。
スイーツ大好きスキディゲートでのイベントということもあり、食後には会場の中央に長いテーブルがだされ、その上にずらりとケーキやフルーツ、スナックが並ぶ。デザートビュッフェに目を輝かせてゆうかも瑠璃もプレートいっぱいにお菓子をとってくる。僕もナナイモバーをたくさんもらってくる。
クリスチャンが率いるマセットのダンスチームが会場を沸かせる。アウェイスタジアムに推しのチームを応援に来たような感覚だ。ニカ率いるスキディゲートのダンスグループが新しいマスクをお披露目する。精霊のひとつ、『五つヒレのシャチ』の巨大なマスクだ。尻尾と口が動き、潮を吹くかのようにイーグルの羽を吹き上げるギミックまでついた手の込んだ代物だ。
「ハイダ、ほんと推せるな…」次々と披露される歌と踊りを目の当たりにして、瑠璃がつぶやく。僕がやってることもハイダ族の推し活なのかもしれない。ハイダグワイとハイダ族の箱推しである。
何度も鳥肌が立つようなスピーチがあり、すべてのアジェンダが終わったのは日付を跨いでからだった。ギフトとしてハイダグワイの大きな地図が配られる。祖先たちが島中で活動していたことを法廷で示すために使われた、ハイダ語で全ての地名が記載された地図である。うれしいギフトだ。
帰り道、寝落ちしないためにも今日の会合で話された事柄のバックグラウンドをふたりに説明する。一年ちょっと相当アンテナを高くして、いろんな資料も本も読み込んで、ようやく今ハイダグワイで起こっていることの重大さが分かってきた。自分の推しの話を聞いて、共感してもらえるのはうれしい。
家に帰り着いたのは2時過ぎだった。明日はゆっくりスタートにしよう。
10/6
案の定昼前に起きる。昨晩のセレブレーションで大量に残り物をもらってきたので、それで朝ごはんにする。しっとりブルーベリーケーキ。
「いいポイントを見つけたんだ。午後に連れて行くよ」とタロン。このごろ忙しくてあまり彼と遊べてなかったので、久しぶりにみんなで釣りに出かける。
昨年はそこかしこで銀鮭が飛び跳ねていたのに、今年はぜんぜんジャンプを見かけない。いつものサンガン川の河口沿いで小一時間試した後、巨大樹の森を歩いて川を遡っていく。サンガン川はすぐに川幅が狭まり、倒れた木々によって大小様々なプールができている。そこに遡上してきた銀鮭やトラウトが溜まっているのだという。
「ここは釣れるぞ。あそこらへんにでかい木が沈んでるから、ルアーを引っ掛けないようにな」
辿り着いたのは少し大きめのプール。狭いので慎重にキャストする。
3回目で大きな魚影がルアーを追ってきているのが見え、4回目でヒット。シルバーの美しい体が宙に舞い、フックを外そうとする。心臓が高鳴る。抵抗する時はドラグを解放して泳がせ、疲れてきたら空気を吸わせて弱らせる。足場には倒木の多く、引き上げるのに苦戦したが最後はタロンが引き上げてくれる。悪くないサイズだ。やっぱり魚がいるところに投げてあげると釣れるんだな。命を分けてくれたお礼を伝え、ナイフで〆る。晩ごはんだ。
タロンにもヒット。「ほら、竿持ちなよ!」と瑠璃にロッドを託す。大きなジャンプと竿の重さに苦戦しながらも、ファイトを楽しんでいる。竿を上げて、下げるときに巻き取るんだ、と適宜タロンから指示が入る。倒木の下に潜り込まれたのには焦ったけど、ふたりで手伝ってなんとか引き上げる。
「これでまたイクラが食べられる」念願叶ったりで満足げ。
またタロンの竿にヒットし、ゆうかにもバトンタッチ。よく走る鮭と3分間の格闘。姿を現したのは鼻の大きく曲がったオスの銀鮭。りっぱだ。ふたりとも鮭を(半分)連れたのはよかった。もう少し川を遡り、いろいろ試したけどこの最初のポイントでしか食わなかった。日も暮れてきたので今日は終了。
「悪くない釣果だな。晩ごはんはどうしようか」
「やっぱフィッシュ・アンド・チップスじゃない?」
タロンとこれまで幾度となく作ってきた極上のフライフィッシュで今夜は宴にすることにする。川に上がってきたサーモンは身がスライムのようにんっていることもあるが、今日釣り上げたひとたちはしっかり崩れない身で安心。
庭で採れたじゃがいもを贅沢にカットし、からりと2度揚げする。小麦粉、ガーリックパウダー、オニオンパウダー、各種スパイスを卵でまとめ、魚に衣付けする直前にビールを混ぜる。ふわふわの衣にするコツだ。魚を衣に纏わせ、油に落とす。いい狐色になったら出来上がりだ。
じゃがいもも鮭も、すべてこの土地の恵みである。3Dの豊かさを噛み締めつつ、ふわふわの魚フライを口に頬張る。4人とも黙り込んでもくもくと食べ続けるほどの旨さである。
寝る前にサウナ。疲れと満腹感に満たされ、レッドシダーの香るサウナの中で溶けてしまいそうだ。
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