ハイダの木から世界を望む【ハイダグワイ移住週報#18】
12/5(火)
8時過ぎに目が覚める。外はまだ真っ暗。ベッドの中で本を読む。昨日kindleで買った「ポテトチップスと日本人 人生に寄り添う国民食の誕生」。新書を読むのは久しぶりだ。
いかに日本がポテチ大国で、味も種類も豊富かから始まり、その戦後からの黎明期、カルビー王国の誕生、そして今に至るまでの歴史のところまで読んだ。よく調べたものだ。
個人的な好みは「堅揚げポテト」のブラックペッパー。あの食感が恋しい。そういえばこのところスナック菓子なんて全く食べていない。今日の夕方、村で買って帰ろう。
タモの家に行って今は島にいないヴァネッサのロングボードを借りる。ずっとサーフィンで使っていたのは同居人のボードだったのだが、短くて安定せず、なかなか立ち上がれずに悩んでいた。
13時が干潮。いつもいい波が立つタグワール・ビーチは上潮のときが最高のコンディションだ。お昼ご飯は簡単にすませ、15時すぎに出かけることとする。
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ちょうどお昼の時間にアーセナルの試合があり、PCで観戦する。多趣味かつ飽き性な自分だが、イングランド・フットボールの観戦は数少ない長寿趣味である。中学生の頃に父親の影響でアーセナルFCを応援しだしてから一筋。
昨年は最後の最後で優勝を逃してしまった。ガチで絶望であった。今期は十二月の時点でリーグ戦とチャンピオンズリーグGSともに首位。ここまで楽勝、という段階では全くなく、毎週冷や汗をかきながら応援している。
今日の対戦相手はルートン・タウンFC。今年二部から昇格してきたチームだ。今期はずっと苦戦を強いられ、順位表でも最下層に沈んでいる。こんな相手には前半でさくっとゲームを決めて主力を休ませて欲しいところだ。
あれ?なかなか手強い。というか自チームのエラーで失点を続け、60分の段階で3-3という打ち合いである。なんやこれ。
アディショナルタイムは6分。攻め込むも精度を欠く。6分を過ぎ、ラストワンプレー。同い年の推し選手、ウーデゴールがふわりと浮かせたボールに飛び込んだのは、昨季優勝を逃したアーセナルが最後のひとピースとして史上最高額をつぎ込んで呼び込んだ若きスーパースター、デクラン・ライス。ヘディングで合わせたボールはゴールに吸い込まれる。最後の最後で逆転、3-4、試合終了。変な声が出た。
この歳になってフットボールを見ていて面白いのは、主力選手たちが自分と同世代というのがひとつの理由なのかもしれない。もちろん十代や二十歳ちょいでものすごい活躍をしているスターもいるが、フットボーラーがキャリアの最盛期を迎えるのは二十代半ばから後半にかけて。ピッチを走り回っているのが自分と同じかちょい上ちょい下の男子たち、と考えると親しみが湧く。
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興奮冷めやらぬまま薪をものすごい勢いで割り、15時過ぎにビーチに向かう。タグワール・ビーチではすでにひとりの友人が波に乗っていた。波のサイズも大きすぎず小さすぎずでちょうど良さそう。借りたロングボードを担ぎ、穴あきのウェットスーツを着込んで海に入る。
大きすぎる波が来た時には数回ひっくり返されてしまったけれど、ついにボードの上に立つことに成功する。やった!嬉しい。二ヶ月間ずっとショートボードで何度もひっくり返って、しかも立てずだった。ロングにしたらすんなり立てた。
新しいスポーツを始めることが尊いのは、自分の中にまだ未開拓の領域があるということを体感できるということだろう。美しいサンセット。遠くから走ってくるトラックにはルークとエレーナ、そして犬二匹:サルサとタスが乗っていた。初めてちゃんと波に乗れたんだ、と話すと褒めてくれるので嬉しい。
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家でさっとシャワーを浴び、村に行く支度をする。今夜は毎週恒例のハイダ語の授業に加えて、ウェルネス・グループのあつまりがある。仲良しのデラヴィーナおばちゃんに誘われたのだ。「ディナーも出るし、私の友達も来るからおいで」
先週の先住民ウェルネス・キャンプで見た顔ぶれだ。知らない人も大体友人の家族だったりする。今日初めて会ったジュディも、ハイダ語のクラスメイトであるルイズおばあちゃんの娘で、ワークショップで出会ったダイアンの妹だという。ハイダ族のなかでも再婚していたり、養子縁組があったりするせいで多くのおじいちゃんおばあちゃんは孫が二十人は普通にいるレベルの大家族になる。皆近い。
みんなで輪になり、イーグルの羽をまわしながら先週あったことなどを話す。独り身のひとびとや不安を抱えるひとの居場所づくりの一環のようだ。確かに、毎週会える人々がいて、会える場所があるというだけで、一日に張り合いが出るものだと思う。
また来週も来るね、と伝えてウェルネスハウスをあとにする。7時からは語学クラスを終え、帰り道でスーパーに寄り、よさげなポテトチップスを二袋ほど買う。普通サイズふたつで10ドルちょい。なんという高級品なのだろう。
12/6(水)
すでに十二月なのにもかかわらず心地よく外を走ったりカヤックに乗れる気温。日照時間がやたら短いのだけが難点だが。
明日漕ぎに向かう予定のジュスカトゥラの入り江の海図を広げる。入り江の中の入り江構造なので、うねりなどの心配はほとんどなさそうだ。潮汐さえ見誤らなければ快適に漕げそうである。海図に行程を書き込み、必要なものを簡単にパッキングしておく。あとは明日早起きするだけだ。
来週はハイダ語の試験ということで、今学期の復習をする。どうせなのでその過程も記事にしようと思い、ノートを開きつつ原稿を書き進めてみる。
習ったことを自分でもう一度ことばにする作業。どんなスタイルで、どんな構成で、どこまで掘りさげて書けばいいのだろう。アカデミックな視点もありつつ、学術雑誌のような文体ではなくあくまで臨場感が伝わるようなものにしたい。
その点、やはり敬愛するノンフィクション作家・高野秀行は天才だ。僕の圧倒的なロールモデルの一人。あの人の本の面白さの裏側には徹底した取材と練りに練った構成があるのだろう。知的好奇心を面白おかしく共有し、読ませるという技術、身につけたい。
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また薪を割り、海岸に車を走らせる。いい波は立っているのだろうか。
タグワール・ビーチは干潮時だと海岸線が300メートル以上も向こうに行ってしまう遠浅である。ちょっと散らかった波だったので奥のアゲーテ・ビーチにも向かう。小さいけれど楽しめそうなサーフが立っている。だがあと30分で日の入り、他のサーファーの姿も見えなかったため今日は引き上げることにする。
洗濯機を借りに隣の家にいく。ちょうどディナーの時間で、一緒にライスヌードルを食べる。今日海岸で取れたというホタテのバター焼き付き。マセットの北には九十九里浜のように遠浅の海岸が永遠に伸びている。秋冬のストームシーズンには、オンショアの風と潮汐がいい具合にマッチすれば、大きなホタテがそこらじゅうに打ち上げられる。
ルークに明日漕ぐ予定の入り江について情報をもらう。どこから出艇すればいいか、見どころポイントは、など。ハイダグワイで最高のカヤッカーのひとりと名高い彼はこの島の海全てを知り尽くしている。
「来年夏、数年ぶりに南島一帯を漕ぐ予定なんだ。子供が生まれてからずっと長いツーリングに出れてなかったしね」一緒に海図を見ながらこれからの旅に想いを馳せる。
12/7(木)
しとしとと雨が降っている。気温はそこまで下がっていない。今日はジュスカトゥラの入り江を漕ぐプランだ。天気アプリを確認すると、天候は午前中には回復しそうだ。
カヤックを車の上に乗せ、パドリングジャケットなどをトランクルームに積み込む。今回はデイトリップなので楽だ。ゆでたまごとバナナ、数枚のパンケーキを朝食・昼食とする。
一ヶ月ほど我が家のキャビンに宿泊していたネイトも今夜のフェリーで帰るのだとか。バンクーバー島の実家でクリスマスを過ごした後、メキシコまでドライブしサーフィンに繰り出す予定だという。典型的なチル・BC・ガイである。気をつけてね。ハグを交わす。
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ジュスカトゥラの入り江はマセットから南に40分ほど走った場所にあるポート・クレメンツ村からさらに奥に分け入った場所にある。
ハイウェイを走っていると、弱く降り続いていた雨が大粒になり、しまいには雪になった。隣接する森はじわじわと白く塗られていく。まいったな。
ポート・クレメンツまでは来たものの、寒いわ雪は止まんわで今日は帰宅することにする。毎回カヤックしに行こうと思ってもなかなか天候に阻まれる十二月である。ガソリンだけやたら燃やしてしまった。
マセットに戻る道のりは真っ白。車で雪道を走るのははじめてだ。わりかし緊張する。ハードロックをかけて緊張をほぐしながら進む。
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今日のハイダ語の授業まで時間ができてしまったので、村の図書館で執筆作業を進める。だが図書館に行ってしまうといつも片っ端から本を引っ張り出してしまうのが世の常。
マセット村の図書館にはハイダグワイに関する古いアーカイブが残っている。たったひとつの本棚なのだが、完全に絶版の本や地元のパンフレットなどもあって興味深い。現地の図書館ならではの利点だ。情報はいつも現場にある。
今日手に取ったのは「ネーム・オブ・クイーン・シャーロット・アイランズ(ハイダグワイの地名図鑑)」と「ハイダ・モニュメンタル・アート」という図録。
地名図鑑をぱらぱらとめくっていると、とある写真が目に止まる。キャプションには「Grave of Mrs.Taniyo Isozaki」とある。日本人っぽい名前だ。
よく読むと、そのお墓は1913年3月21日に30歳の若さで亡くなったイソザキ・タニヨさんのものということだ。ハイダグワイ南島(現在は無人)の小さな湾には昔日本人が営むアワビ加工工場があったのだとか。ただ、当時のカナダではアジア人が工場を持つことは許可されておらず、記録などはほとんど残っていないという。
100年以上も前にハイダグワイの僻地に日本人達が住んでいた。そして若くして命を落とした女性が今も眠っている。どんな場所で、いまはどんな状態なのだろう。彼女の遺族は、同僚たちはどのような人生を辿ったのだろうか。とても気になる。見に行かなければ。
もうひとつの「ハイダ・モニュメンタル・アート」もものすごい本。十九世紀までのハイダの村とその住居のようす、どんなポールが立っていてどんな家族構成だったのかなど、写真やイラストとともに正確に記録されている。
やはり現地で足を動かしていると、自分の知りたいものにじわじわと近づいている感覚がある。そして、同時にさらに奥深い洞窟の入り口が見えてきた感覚もある。自分で企画し、自分で移動し、自分で調査し、自分で文章にする。誰にも求められていないし、お金にもならないが、そんなことに時間を注ぎ込めたという期間が人生にあったということはひとつの達成として残っていくのでは、と思う。
ちゃんと本も読みつつ、記事も書きつつ、単行本くらいのもっと大きなスケールの作品の構想をはじめたい。動き始めよう。
今日のハイダ語クラスは応用編。ハイダの神話のアニメをハイダ語の音声字幕で見る。
家の近くにある大きな崖、「トウ・ヒル」の由来のおはなし。ジュスカトゥラの入江に住んでいたトウは、食べ物を分けてくれない家族に痺れを切らし、ひとり北に向かう。その道のりでクンドゥスの島をつくり、マセットの村の岩場をつくり、最後に現在の場所に落ち着いたという話。
文法的に面白いのは、ハイダ語の語尾変化。ハイダ語の動詞変化には現在形・過去形・すぐ先の未来形・結構先の未来形。そして「語り部過去形(story-telling past)」というものがある。神話や昔話を話すときだけに使われる活用語尾である。
「〜だったそうな」とか「〜ずもな」みたいなノリなのだろうか。研究が待たれます。
12/8(金)
寒い。昨日の昼に雪と雨が降り、晴れた夜の放射冷却で、外に出るとすべてに霜が降りていた。あまり何かをつくる気にもなれず、バナナとりんごを齧って支度をする。今日明日は仕事だ。
昨日から車に乗せっぱなしだったカヤックをおろし、着替えなどをトランクに詰める。道が凍ってそうなのでシェフにちょっと遅れるという連絡を入れる。
出発前にメールを確認すると、月曜日に面接した慈善団体のひとから連絡が来ている。「面接にお越しくださり、ありがとうございました。レファレンスをいただけますか?」でた、レファレンス。カナダで仕事を探す上では避けては通れないものだと聞いていた。
レファレンスとは、いわゆる推薦状だ。誰かを雇おうとしている企業や団体は、その個人を知っている雇主や友人などに人柄や働き方などを聞くのだという。
こちらにきてすぐそう求められたら困っていただろう。でもこの四ヶ月、いろいろな場所に積極的に顔を出していたおかげで、推薦してくれそうな村人は一定数いそうだ。仲良いおばあちゃんや近所のひとにお願いしてみよう。きっとうまくいくはずだ。
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スキディゲートまでは慎重に運転する。博物館のあたりは日当たりもよく、特に凍結はしていなかった。シェフも同僚のエリンも元気そう。「道大丈夫だった?」
いつも通りの金曜日。フライド・チキン・フライデーのわりには静かだったが、ちょうどいい忙しさである。
ビザ関係で新しい仕事を探しているんだ、とシェフに伝える。仕事がなかなか見つからずに困っていた時、即答で雇ってくれたありがたさから、話すのに躊躇した。「問題ないよ。きっといい仕事が見つかるはず。ビザ、延ばせるといいね」レファレンスにもなってもらえるという。本当にありがたい。
「村の人々にちゃんと知ってもらって、リスペクトする姿勢を忘れなければ、いくらでも仕事は降ってくるよ」と隣のルークが言っていたけれど、実際そのとおりだなと思う。文化的にも自然に関しても特別な場所であるハイダグワイには、自分のしたいことだけをして去っていってしまう人があまりに多すぎるのだ。村の人々は観光客としては迎え入れるが、コミュニティのメンバーとして受け入れるのにはやはり身構えてしまうのだろう。
ハイダのイベントにおいて、はじめに司会の人がよくいうセリフに「この場に来てくれたというのが、最大のリスペクトです」というのがある。やはり文字をもたず、文書などでの連絡手段・記録手段をもたなかったハイダ族にとって、会合の場に出席するというのは大きな意味を持つ。その場にいることで、出来事の目撃者となるからだ。これからも色々なところに顔を突っ込み続けたい。
12/9(土)
夜は嵐。朝まで続くか心配だったが、起きてみると雨風は通り過ぎていた。毎週泊まらせてもらっているシェフの家はスキディゲート村のオーシャンビューが素晴らしいロケーションにある。東向きで、晴れた日は朝日がまぶしいほど。
10時前に出勤する。今日は博物館でクリスマスマーケットがある。ものすごい客の量が想定されるので、小さな我々のビストロで通常のメニューを出しているとオーダーが回らないかも。ということでブランチのみ、エッグベネディクトのみの営業とする。
こんがり焼いたポテト・バンズに特製ガーリック・マヨ、二日付け込んだ豚肉のポルケッタ・ローストをスライスして載せる。その上にポーチド・エッグ、クリーミーなオランデーズ・ソースをたっぷりと。贅沢なブランチである。
混む前にまかないでいただく。レストランで働くいちばんの醍醐味。
博物館にはぞくぞくと出展者やその家族、お客さんがやってくる。村にこんなに人がいたのか、という感覚だ。せわしなくオーダーを取っていると、日本語で突然声をかけられる。それが日本語だと気づくのに数秒かかる。
ハイダ族とビジネスをしているというその男性は、奥さんから僕のことを聞いたのだという。Facebookやnoteで知ってくれ、ちょうど博物館を訪れた際に声をかけてくれたのだ。そんなこともあるのだな。ありがたい。シフトが終わった後にお話しさせてもらうことにして、皿洗いに戻る。エッグベネディクトの日は黄身が皿に残って大変。
お昼過ぎにはたくさんの子供連れで行列ができる。チームワークでなんとか捌く。2時に売り切れで閉店。残った豚のローストでサンドウィッチを作り、昼ごはんにさせてもらう。
朝声をかけてくれた日本人の方と合流する。シゲルさんはバンクーバーで林業のビジネスをしており、ハイダグワイにも仕事で何度も訪れているのだとか。日本で数年建築関係の仕事をしたのち、ワーホリでカナダへ。今ではもう一人のビジネスパートナーと会社を営んでいる。やはり林業はフィールド重視のビジネスで、BC州をせわしなく駆け回っているらしい。
ハイダグワイ、ひいてはカナダの歴史や経済は林業抜きでは語れないものだ。僕も自分で調べたり村の人の話を小耳に挟んだりはしていたが、こうしてプロの口から林業について教えてもらえるのはありがたい。
「僕たちはクリア・カットはやらない。風雨倒木や朽ちかけの木を伐採する手法と、昔倒されたまま運び出されなかった大きな木を探し出すということをしているんだ」ハイダ族が経営する製材工場とパートナーを組み、環境にダメージを与えないかたちで如何にハイダ産の木材に付加価値を付けるかに奔走している。
「ハイダのヤグダン(ハイダ語でリスペクトの意)と日本の『頂きます』の精神って通ずるものがある。すでに木としての命を終えた、または終えようとしているものを敬意を持って頂き、製材して世にまた送り出すことで、ハイダの木はまた新たな命を得るんだ」
バンクーバーに滞在しているときも思ったけれど、やはりカナダの地で自分でビジネスをしている日本人はみな逞しいし、各々の考え方をしっかりと持って生きている。
12/10(日)
凍えながらストーブに火をつける。猫も腕に潜り込んでくる。午後からは昨日博物館で会った日本人の方がマセットまで来てくれるようなので、それまでは家で作業をする。
日記をこのところnoteで書いているので、週報にまとめるのがとてもスムーズな作業になった。そのかわり一日数十分ほど取られるが、あとからパソコンと睨めっこしながらその週のことを思い出すよりは健全だ。
その反面、紙のジャーナルにはあまり書き付けられていない。ペンでかけることとキーボードで書けることはやはり根底の部分で違うような気がする。なんとか時間をちゃんと取って書いて記述することもしておきたいな、と思う。
1時にシゲルさんと村のパブで集合して、ブランチを頂く。フィッシャーマンズ・ブレックファスト。クリスピー・ベーコンとハッシュド・ブラウンがたっぷり、ハムとソーセージ、ホワイト・ブレッドも山盛り。カナダ版パワー飯だ。働く力が湧いてくる。毎日は食べたくはないが。
シゲルさんは林業ひとすじの商人だ。木のこと、日本・カナダ・中国の林業ビジネスのことを包み隠さず教えてくれる。
ハイダグワイでもよく聞くカナディアン2x4(ツー・バイ・フォー)は北米発祥の建築技法。2インチx4インチ(ツー・バイ・フォー)規格の木材でブロック形式に積み上げて構造物をつくる。最近は昔ほど日本には輸出していないのだという。日本独自の規格(たたみ)が北米規格とマッチせずに適応させる必要があること、そもそも日本が外国に対して買い負けてしまうことが背景にあるという。
特に合板(plywood)は国産が増えているのだとか。北米の木のように良質の角材を取ることのできる木は日本には少ないが、それでも薄くスライスして重ね合わせるだけの合板は国内でも作ることができる。なるほど。ものづくりの過程を知ると、少し身の回りのものの解像度が上がる感覚がある。
シゲルさんが声をかけられて一緒に働いている製材会社はハイダ・オウンド。それ以外にもハイダ自治政府の下にある林業会社、そして外部の林業会社も少なからず入っているのだとか。それらがスキディゲートとマセットのハイダ族と絶妙に繋がりあい、ときには敵対しあい、複雑なビジネス環境を作っているのだという。
とにかく、林業はハイダグワイの歴史、自然、政治と非常に深く結びついていて、一筋縄には語れない。容易に語ろうものなら、どこかに敵を作ってしまうかもしれない。「林業や丸太に関してはあまり口にしないほうがいい。とてもセンシティブなんだ」その業界の中の人でしか切り取れないハイダグワイの姿がある。とても面白い。こんなこと、本を読んだところで絶対に辿り着けないだろう。
ひとしきり話してパブが閉店時間になる。自分の家のあるトウ・ヒル方面に向かうことにする。
家の敷地を案内する。メインハウス、ワークショップ、薪小屋、キャビン、そしてアウトサイド・シャワーなど。作りかけのパドルも見てもらう。やはり彼は木材のプロなので、その木の選び方から彫刻の仕方までとても興味を持ってくれているようだった。
自分にとっては普通になってきてしまった環境だけれど、よく考えてみればとんでもない場所に住んでいるな、と思う。裏にはサーモンが帰ってくる川が流れ、表に数分歩けば広大なビーチ。もちろんひとっ子一人いなければ人工物も目に入らない。
明日はポート・クレメンツとダージン・ギーツにある工場を見学させてもらうことにする。日が暮れる前に別れる。夜にはサーモンの照り焼きの残りでチャーハンを作る。キムチが欲しい。
12/11(月)
嫌な夢を見た。カヤックがずたずたに引き裂かれる夢。「修理できないよ、これは」なんて言われたりして。またお金が…と思ったところで目が覚める。よかった。
ぼんやりしながらちょっと本を読む。起きようとしてケータイを覗くと、北欧の友達数人からメッセージが届いている。「おめでとう!」「採用だよ!」一体何のことだ?
あ、しまった。今朝7時からフェールラーベン・ポラー2024のメンバー発表があったのだ。すっかり寝過ごした。
フェールラーベン・ポラーはスウェーデンの老舗アウトドアブランド・フェールラーベンが開催する公募の探検チーム。スカンディナビア北極圏を犬ぞりで一週間旅をする。僕は2019年にスウェーデンに留学していた頃、東アジア代表として一度選出されていた。それがコ口ナで延期・中止となり、また今年再度応募していたのだ。
2019年までは投票形式、2022年にイベントが復活してからは3つのお題にインスタ上でクリエイティブに回答し、それが審査員によって選ばれるようになっていた。四年前は盛大にフェイスブックで投票を呼びかけていたが、一度中止にされてしまったちょっとした恥ずかしさから今回はしれっと応募していた。
結果発表動画を見ると、五番目にしっかりと名前が呼ばれているではないか。マジなやつだ。31,000件から選ばれた20人のひとりである。
やっとだ。やっと北欧に、ラップランドに、スカンディナヴィアの北極圏に戻れる。嬉しさより安心の方が大きい。2019年の投票キャンペーンでは当時スウェーデンにいた日本人、スウェーデン人、他の留学生たち、そして日本にいる友人や家族を巻き込みに巻き込んで採用してもらったのだった。だからこそ、それらが延期になりキャンセルになったことを伝えるのは心苦しかった。
嬉しさもそのイベントに参加できることはもちろん、心のふるさとであるスウェーデンに短期間でも戻れるのが本当に嬉しい。ちょっと足を伸ばして北欧に散らばった友人たちに会いに行きたい。スウェーデンのことを考えるだけでいつも心がふわっと軽くなる。
ひとしきり感慨に耽ったあと、村に向かう。今日は昨日も会っていたシゲルさんと製材加工工場を見学させてもらう予定。
まず向かったのは島の真ん中にあるポート・クレメンツ村の製材工場。一時は四十人以上の従業員を抱えた工場だったという。今では寂れ、今日は三人のスタッフがメンテナンスをしているだけだった。
カナダ太平洋岸にはレッドシダー・イエローシダーといった高級建材が群生し、昔から林業が一大産業であった。カナダ開拓の歴史は林業と切り離せないのと同時に、先住民迫害の歴史も林業と深く結びついている。二十世紀には巨大林業メジャーが先住民にとって神聖な場所である森を蹂躙し、広大な区画を一気に全て伐採してしまうクリア・カット(皆伐)を行い続けた。
クリア・カットは土壌の保水力や栄養価に大打撃を与え、地盤の不安定化や山火事の多発、サーモンなどの激減を招く。そのような環境負荷や先住民の地位向上により、林業メジャーの影響力はしだいに縮小していく。
ハイダグワイにおいても林業は政治的・文化的・歴史的な観点においてセンシティブな話題だ。ハイダ族といっても北部のマセット、そして南部のスキディゲートによっても立ち位置が異なるのだという。
訪れたポート・クレメンツ村は白人の村という色が濃い。そのためか、この工場には材料が回ってこないのだという。オーナーのひとりは頭を抱えていた。ハイダグワイにおける伐採や丸太の利用を指揮するのはハイダ評議会(ハイダ族の自治政府)。いくら現地雇用を生もうが、村に一部の利益が入ろうが、「森を蹂躙されてきた歴史」に関わっているように見えるところには材料がまわってこないのだ。難しいな。
そのあとは南部ダージン・ギーツ村にある、シゲルさんが協働している製材工場に向かう。その会社ではすでに倒壊してしまった木々や枯れつつあって危険な木を探して製材するのだという。従業員やボードメンバーの大半はハイダ族。クリア・カットなどの蹂躙的な伐採はせず、ハイダ族のためのビジネスをするという点で、ハイダグワイにおいては立ち回りしやすいのだという。
木はすべてに繋がっている。土地と人々、その歴史。流通と世界市場。ひとつのものから世界を切り取って考えられるのはとても面白い。木について一からたくさんのことを教えてくれたシゲルさんに感謝である。
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