僕たちはウプサラでのあの夜が、永遠に続くと思っていた
僕は一人旅が好きだ。
というより、誰かと旅をすることが苦手だ。
というのも、旅をするという行為に関しては自他共に認める強固なこだわりをもっており、そうしたこだわりが強いからこそ、誰かと旅した時に我慢しなければならないことが多く、ストレスを感じてしまう。
そしてなにより、それによって関係が悪くなってしまった友人も正直いたりする。これに関しては、僕は本当に子供だったと思う。数少ない悔やむことのひとつだ。
そんな経験があるからこそ、誰かと旅をする、というのは僕にとって大きなチャレンジであり、恐怖であり、違和感でもある。
それでも例外的に近頃はありがたいことに、卒業旅行という形でほんの数回、大切な友人とどこかへ出かける機会がある。
その一つが、留学時代にウプサラという小さな街で出会った、数少ない日本人たちとの、たった一泊二日の旅だ。
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ここ5年間の僕には、大きく分けて3つのフェーズがあった。
詳細はまた書きたいと思うので割愛するが、大学時代の大部分を「何者性の追求」フェーズとして過ごした。
要は、社会的レールというような規範に対する逆張りから、自分自身を「特別な存在」にするために無我夢中だった、ということだ。他の誰よりも「特別」で、「何者か」であるために、がむしゃらにどこか遠くへ行き、なにかを成し遂げたー少なくとも、成し遂げた気になっていた。「行動力があるね」という周りからの言葉を勝手に勘違いし、だから自分は特別な存在だ、と思い込むことで自我を保っていた。
おそらく、貴方にもこんな時期が少なからずあったかもしれない。ただ、僕は人一倍コンプレックスの強い人間だったので、人一倍「何者性」への飢餓感が強かったのだ。そういったコンプレックスから生じたモメンタムが、負の方向に働かなかっただけ、僕は運が良かったのかもしれないが。
ただ、この時もうっすら自分の「方向性」ーつまり、芯のなさには気づいていた。
今だから書けることではあるが、スウェーデンへの留学も第一志望ではなかったものだ。むしろ、志望順としては最下位のものだった。留学の動機書や奨学金のアプリケーションを美しく構成し、ストーリーテリングすることは何の苦でもなかったが、すべてが後付けだった。聡明な友人なら気づいていただろう。「何者性」に盲目的であった僕でも、ディレクションを持たない自分自身に気づいていたのだから。
それでも、その時の僕にはそれが正解であり、かつ正解にしなければいけないものでもあったのだ。
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留学で人生が変わった、とは使い古された謳い文句である。だが同時に、それは実感を持って真実だと言える。
特別な人間になろうとしながら、自分自身の真の色彩のなさに葛藤していた僕に、北欧世界は問いかけ続けた。
「なぜ、特別な人間である必要があるのか?」
「なぜ、一貫性を持った、他人に説明しやすい人間でいなければならないのか?」
「なぜ、今君が想定している社会像や成功像がいつまでも続いていくと思い込んでいるのか?」
アイデンティティの変革は、時にスナックをつまむように簡単に、時にビロードのように滑らかに、時に刑法の条文のように冗長に、時に霊長類が二足歩行を始めるように漸進的に、起こりうるものだ。ひとつのWeb記事を読んで閃光が走ることもあれば、空気感を感じ取りつつじっくり変わっていく場合もある。スウェーデン・ウプサラでの留学を契機に始まった「何者性」フェーズからの移行は、まさに進化論的にゆっくりと進んでいった。
そこに常に居合わせてくれたのが、ウプサラのおせっかいな日本人たちだ。
留学に行くのだから、日本人とは連まず、現地人と積極的にコミュニケーションを取るべきだ、というテーゼには、僕は非常に懐疑的だ。
不安なことも、嬉しかったことも、楽しみなことも、やらかしたこともなにもかも、馴染んだ日本語で共有した。
チャリを走らせて、あまり美味しくないSushiを食べに行った。
共有スペースにソファーを集めて、安くない酒を飲み続けた。
10時には窓を全開にして、思い思いのストレスを叫んだ。
数えきれない夜を共に過ごした。
僕のアイデンティティの変革は、「何者性」の喪失は、間違いなくそのたくさんの夜のなかで、不可避的に進んでいったのだと思う。
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でも、永遠に続くと思えたスウェーデンの冬にも終わりがあるように、いつまでも変わらないと思えたウプサラの夜にも終わりがあった。
それも、想像だにしなかった終わり方だった。
2020年、長いスウェーデンの冬が終わりを迎えつつ、春の足音が聞こえ始めた頃のことだった。
その時、僕は僕の知りうる最大の孤独を感じた。キリキリと音を立てるような。これまでの別れの時点における孤独とは性質を全く異にするそれだった。
でも同時に、おそらくその時から、孤独というものを受け入れられるようになった。
人は本質的に、みな孤独であるということ。
だがそれを受け入れられるようになったのは、プライドを捨て、同じ時間を生き、ただ相手をひとりの人間としてーこう書くといささか仰々しく見えるがー愛することができるようになったからだ。
北欧世界から投げかけられる問いをうまく咀嚼し、養分として、劇薬として自分の中に取り込めたのは、そして孤独というものを素直に受け入れることができるようになったのは、数々の永遠に続くと思えた夜によって形作られた、強固な肯定に支えられていたのだと思っている。
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好きな漢詩がある。
中学校で習うはずなので、おそらく貴方も一度は聞いたことがあるかもしれない。
このたった28文字の絶句が、1300年も人々の心の琴線に触れ、今でも歌い継がれるという事実に、僕は歴史貫通的に人間に与えられる「孤独との対峙」を見る。
結局のところ、送る者であれ去る者であれ、孤独を抱いて生きていくしかない。
それでも、あのときは永遠に続くと信じてやまなかった夜を、ほんの一泊の夜でも擬似的に体験するという営みが、無力な僕たちには必要なのかもしれない。
やはり、僕はいささかスウェーデン時代の話をしすぎる。
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