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文章練習 エッセイ「受け継がれるもの」

『先祖探偵』(新川帆立著、角川春樹事務所)に寄せて

祖父が亡くなった後、介護していた母が
「最後にいろいろ話が聞けてよかった」
ポツリとこぼした。

母が子どもの頃は、祖父とほとんど会話がなかったそうだ。祖父は病弱で、仕事を続けるためにも、まず自分の健康維持を重視していた。

例えば、他の家族が何をしていようと、一人でさっさと食事を済ませてしまう。口を開くとしても事務的な台詞が一言二言で、食べ終わればすぐに部屋にこもる。祖父が部屋にいるときは、誰も声を掛けてはいけない不文律があった。

祖父の生活は時計のように正確なリズムを刻み、祖母を始めとする家の人間は、それが守られるよう気を配っていた。私が小さい頃に祖父母と暮らしたときは、祖父が部屋から出てくる時間になるとリビングから追い出され、祖父の邪魔をしてはいけない、と言い含められたものだ。

そういうわけで、母は祖父が嫌いだった。祖母にも子どもにも関心のない、自分勝手な人間だと思っていたのだ。ところが、祖父を介護するようになって、別の側面が見えてきたらしい。

祖父はいわゆる本家の跡取りとして生まれ、周りから家を継ぐことを期待されて育った。戦後は、高い税金から家や土地を護るために、夢見ていた歴史の仕事を諦めて、お金を稼ぐことを優先した。それは家族を食べさせるためでもあった。

祖父の事務的なそっけなさは、義務のために本来の自分を押し殺した殻だったのだろうか。一度だけ、祖父がはしゃいだのを見たことがある。小学生の社会科で、祖父母の話を聞いてまとめる宿題があった。

祖父は前日からいそいそと準備をし、家の裏にあった大きな蔵から出した、明治・大正時代の生活道具や、その頃の分厚い写真集などを見せてくれた。たぶん、子ども向けに選んだほんの一部の品だったが、きらきらと目を輝かせて興奮気味に解説する祖父は、別人のようだった。

母は、当主として働く祖父のサポートをしながら、先祖から受け継がれてきたものを護る祖父の大変さと、家族に対する不器用な愛情を感じたらしい。心の中にあった硬い氷が溶けたようだ。今は、祖父の護ってきた記録と文物を将来に遺そうと奮闘している。


画像引用元:https://www.pexels.com/ja-jp/
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