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"完全教祖マニュアル"感想・解説 -全現代人必読の書
ジョージ・オーウェルの"一九八四年"を読んでいた。
第一部を読み終えたところで、《思考警察》《二分間憎悪》《ニュースピーク》などの概念に中二心がたまらなくくすぐられ、Googleで"思想統制"について調べていたら、ある本に出会った。
「完全教祖マニュアル」
なんだこの"完全自殺マニュアル"二番煎じの怪しい本は…。どうせ大したこと書いてないんだろう、と思いつつ好奇心が抑えられずKindleで購入。
期待は大きく裏切られた。めちゃくちゃ面白かった。
いかにイエスとブッダがヤバイ奴で、宗教がいかに創り手に都合よくつくられたかが、おちゃらけた語り口で明解に語られていて、するする読み進められる。
"1億総ネット芸人社会"になりつつある現代では、誰もが教祖として振る舞い、イカした教義を語り、信者を集め、いかに皆をハッピーにするかが求められる。
そしてまた、誰もが信者として、どの教義を信じるか、どの教団がかっこいいか、どの信者が自分と合いそうか、など判断している。
もちろん宗教に限った話ではない。どの会社に入るか、誰をフォローするか、どんな音楽を聴くか、どのブランドの服を着るか、誰と付き合うか。
日常のありとあらゆる事の中に、"教祖-信者"構造は潜んでいる。
"誰かが何か言う-信じる"、これが"教祖-信者"構造の最小単位だからだ。
この本を読み、"教祖-信者"構造を教祖視点から捉えることで、今信じている価値体系を一度相対化し、あらためて良い信者・良い教祖になる手助けになるだろう。
是非、手に取って、もしくはKindleで読んでもらいたいのだが、通読して印象に残った部分をまとめておく。
ざっくりまとめ
人が何かに縋るときの動機は、基本的に3つである。
・不足を解消したい
・コミュニティに属したい
・特別な自分になりたい
宗教はこの3つ全てを解決する。
教義によって、例えば瞑想や隣人愛の実践によって、生きづらさは解消される。コミュニティ内では仲間を、コミュニティ外ではアイデンティティーを獲得する。
先も述べたが、宗教に限った話ではない。
就職は、金、所属、地位を獲得できる。恋愛は、性愛、居場所、彼氏/彼女持ちを獲得できる。
教祖の側からしたら
・いかに利益/不足を意識させるか
——人の向上心/劣等感を煽る
・いかに優れた教祖・コミュニティと思わせるか
——実力と特異性を備え、信者の数を増やす
を考える必要がある。
そして、コミュニティの発展・維持に関しては
・適度に困難かつ特殊な教義の施行
——お布施、ミサ、座禅、断食など
・時代や信者に合わせた教義の改定
・信者同士の交流、定期的なイベント開催
・異端や反逆への粛清、仮想敵の設定
を継続して行う必要がある。
これらを意識して日常生活を眺めると、至る所にこの構造を発見できる。
宗教というミーム
本の中では、仏教とキリスト教、特にイエスとブッダをこれでもかってくらいこき下ろしているので、この2大宗教を神聖化していたのが少し恥ずかしくなる。恥ずかしくなるくらい、洗脳性のある本だ。
こうも価値観が相対化されている現代においてなお、キリスト教や仏教が支持されているのは、多くの人が救われている証拠だろう。コロナウイルスを彷彿とさせるくらい、優秀なミームだ。
外部に権威を必要とする人間存在の不安定さは、何年経っても克服できないようである。
善悪観念を捨てる
"信者-教祖"関係は、いわゆるwin-winの関係でないと成り立たない。
そもそもお互いがハッピーになるための素敵なシステムなのだ。
己の欲を満たす甘い汁を吸うために信者となり
困っている人に救いの手を差し伸べるべく教祖になる。
"信者-教祖"関係に対する善悪判断などするまでもない。
より良い"信者-教祖"ライフを。
教祖はオマエだ!! -ロキ/みきとP