地元沖縄の魅力を紹介
みなさんご機嫌Yo 空屋 海良(ソラオ クミヨシ)です。
今日は私の地元沖縄の魅力や歴史などを紹介したいと思います。
沖縄は、日本の南西部に位置する美しい島々の集合体です。温暖な気候、美しいビーチ、素晴らしい文化、そして美食が沢山あります。この記事では、沖縄の魅力について詳しく紹介します。
沖縄の気候
まずは沖縄の気候についてです。年間平均気温は約23度で、暖かい気候が続きます。夏には30度を超える日が続きますが、海からの風が吹くため、蒸し暑さがあまり感じられません。また、冬も比較的温暖で、真冬でも10度以上になることが多いです。ちみに今年の一月は9度でした。沖縄の9度はなかなか寒く感じます。
次に、沖縄のビーチについてです。琉球石灰岩からできた美しい白砂のビーチが多数あります。中でも代表的なビーチは、繁華街から車で数十分の場所にある美ら海水族館近くの「美ら海ビーチ」です。透明度が高く、青い海が広がります。他にも、恩納村にある「真栄田岬ビーチ」や「残波ビーチ」など、たくさんのビーチがあります。
そして、沖縄の文化についてです。沖縄は独自の文化を持っています。琉球王国時代から伝わる「琉球舞踊」は、優雅で美しい舞いで、世界的に有名です。
ここで琉球王朝の歴史を少し紹介したいと思います。
琉球王朝
琉球王朝は、紀元前2世紀頃から存在しているとされています。 当初は、三山時代、屋良部時代、首里時代という3つの時代に分かれていたとされています。首里時代には、13世紀に「尚巴志」が首里城を建設し、これを拠点として政治・経済を発展させました。また、尚巴志王の後継者たちが、琉球諸島全域を統合して王国を築きましたた。
15世紀には、明朝との貿易が始まり、琉球王朝は中国の影響を受け、文化や宗教、芸術に大きな影響を受けました。この交流により、琉球王朝は独自の文化と伝統を発展させます、中でも琉球舞踊や三線などの音楽文化、茶道、芸能などが生まれました。琉球王朝は、中国、日本、朝鮮半島、東南アジアなどとの交流を通じて、多様な文化を取り入れ、独自の文化を育みました。
16世紀には、日本の武将・豊臣秀吉が朝鮮半島侵攻を行い、琉球王朝は日本との間で「朝貢貿易」を始めました。朝貢貿易とは、日本や中国、半島など周辺国に対して貢物を贈ることで、取引を行う制度です。琉球王朝は、この制度を通じて外交関係を維持し、周辺国との交流を深めました。
17世紀には、日本の徳川幕府が琉球王国を保護国と宣言し、琉球王朝は日本の影響下に置かれることになりました。そして日本に対して抵抗するなど独自の外交戦略を展開しました。
また、「三線」という楽器もあります。
三線とは
三線は、琉球王朝時代にはすでに存在していたとされています。当時の三線は、弦が3本ではなく、2本だったとされています。*私が調べた情報によると
16世紀になると、琉球王国は中国との交流を深め、中国から楽器を導入するようになりました。この頃から、現在の形に近い3本弦の三線が演奏されるようになりましたまた、この頃には三線を弾く技術が発達し、三線の音楽が広く親しまれるようになっていきました。
17世紀になると、日本の影響が強くなり、琉球王国は日本に朝貢するようになりました。この時期に、琉球王国では日本の三味線が導入され、三味線の演奏技術が三線に取り入れられるようになり、三線の演奏技術は一層進化し沖縄の伝統音楽の楽器として定着することになりました。
19世紀には、三線は沖縄の庶民の楽器として普及するようになりました。三線は、農作業の合間や、家庭での娯楽の場で演奏されるようになりました。また、沖縄戦(第二次世界大戦の最中に沖縄で行われた戦闘)により、多くの三線が失われてしまいました。戦後になると、三線は再び人々の生活に取り入れられるようになっていきました。
しかし、戦後は三線も全て焼けてしまったが、
そんな中活躍したのがカンカラ三線なのである。
カンカラ三線
私の知識では、カンカラ三線は三線の一種であり、沖縄県北部の楽器として知られているそうです。カンカラ三線は、通常の三線と比べて高く飛び、明るい音色が特徴的です。
カンカラ節は、沖縄県北部で夕暮れから伝承されてきた民謡であり、カンカラ三線は、このカンカラ節の伴奏に用いられます。カンカラ節は、竹や籐などの植物繊維が編まれた三線による独特の伴奏が特徴であり、このような三線がカンカラ三線と呼ばれるようになったとされています。
カンカラ節は、沖縄県北部の農村地帯で歌われる歌謡であり、農民たちが豊作や健康を祈願するために歌われていたそうです。歌詞は生活に密着した内容が多く、自然や農作物、家族また、独特の旋律と、カンカラ三線の独特の音色が相まって、深い感情を表現する音楽となってます。
カンカラ三線の歴史は、はっきりとは分かっていませんが、カンカラ節が歌われるようになったのは、江戸時代の頃とされています。存在がしなかったため、人々は手拍子や口笛でリズムを取っていたとされています。
明治時代になると、琉球王国は日本に併合され、日本との文化交流が進むようになりました。この頃には、すでに三線が沖縄に広く普及していました。このため、カンカラ節の伴奏にしかし、当時の三線は、現在の三線とは異なる形
現代では、沖縄の伝統音楽だけでなく、ロックやポップスなど、様々なジャンルの音楽にも取り入れられています。
そして現在でも沖縄の心が踊る! 鮮やかな音楽と踊りのパフォーマンス「エイサー!」
エイサーを知らない方にエイサー説明します。
エイサーとは?
エイサーは沖縄県で伝承されている踊りであり、沖縄の文化や伝統を体現した音楽と踊りのパフォーマンスです。エイサーは、祭りやイベント、観光など様々な場面で披露され、沖縄を代表する文化芸術の一つとして世界的にも知られています。
エイサーは、もともとは沖縄の精霊信仰や農耕祭礼などで踊られる祭りの踊りでした。エイサーは、民間信仰としても広く親しまれ、島々や村々で地域色豊かなエイサーが発展していきました。
エイサーの音楽は、三線、太鼓(大太鼓、締太鼓、パーランクー)指笛、地域によっては鐘などの楽器を使い、リズミカルで力強い演奏が特徴的です。また、声を出すことも重要な要素の一つで、囃子方と呼ばれる指導者が大声で掛け声をかけることで、踊り手の動きをリードしていきます。
エイサーの衣装は、鮮やかな色使いと装飾が特徴的で、腰紐、袴などの装飾品を身に着けた踊り手たちが、太鼓や指笛の音に合わせて踊ります。地域によって異なる踊り方や演出があるため、見ている人を飽きさせず、楽しいパフォーマンスを繰り広げられているのを実感します。
現在では、エイサーは沖縄県内だけでなく、全国や世界各地でも披露されるようになり、海外でも人気が高まっています。また、沖縄の伝統文化の一つとして、地元の人からも愛されており、各地でエイサーの祭りやイベントが開催されています。
エイサーは、沖縄の歴史や文化、人々の生活や信仰などが表現された、独自の芸能です。
エイサーの時期は七月〜九月にかけて、あちらこちらのイベントなどでもみれます。エイサー目当てで旅行に来る方はリサーチしてくる事をお勧めします。
基本的には、旧暦の七月13日から15日、
13日はウンケー(先祖を迎える)、14日はナカビー、15日はウークイ(先祖を送る)と言います。
エイサーがあちらこちらで見れる期間が、この三日間です。
ドライブしてたら、絶対と言っても過言ではないぐらいの確率でエイサーの演舞が見られます。ローカルのエイサー団体は近くのスーパーやコンビニ、居酒屋など依頼があれば、そこで演舞してくれる様になってます。(そうでない所もありますが)エイサー団体は各市町村に10団体以上あったりするので、この旧暦の三日間を狙えばかなりの確率で見ることができます。
ぜひ沖縄のお盆、旧暦の7月13日から15日の三日間のエイサー激アツシーズンに沖縄旅行に来てみて下さい。何らかの形で中止や延期にならなければ、沖縄の文化に触れて最高の思い出になると思います。
そして沖縄には、琉球王国時代や戦国時代から残る城跡が多数存在しています。
沖縄の城跡とは
沖縄には、琉球王国時代や戦国時代から残る城跡が多数存在しています。 沖縄にある代表的な城趾を紹介します。
首里城は、沖縄県那覇市にある琉球王国の王城で、かつては琉球王国の政治・文化の中心地でした。世界遺産にも登録されている首里城は、石垣や城門、朱塗り首里城は、沖縄戦で大きな被害を受け、戦後に修復されました。現在では、歴史的・文化的価値が高く多くの観光客来る、訪問名所となっています。
記憶に新しいと思いますが、2019年10月31日、首里城で大規模な火災が発生しました。火災は、午前2時頃に首里城の南殿から発生し、徐々に拡大していきました。
首里城は、木造建築が多く過去にも火災に見舞われたことがありました。しかし、今回の火災は規模が大きく、南殿や北殿、鐘楼など、多くの建築物が全焼してしまいました。当初、火元や火災の原因については不明でしたが、後に火災原因は短絡が原因であったことが報道されています。
首里城は、琉球王国時代に建てられた城であり、沖縄戦でも激しい戦闘が繰り広げられた歴史的な建造物でした。そのため、首里城の火災は、沖縄県民にとって大きな悲しみであり、文化財を守ることの重要性が改めて認識されました。しかし、沖縄県や那覇市は、復旧・再建に向けた取り組みを進めており、2020年には、南殿周辺の復旧工事が始まりました。
私はこの家事の時テレビで見ていて、早く消えて下さいと祈ってました。
本当です。復旧・再建に向けた取り組みをしていただいた方や、現場で復興作業している方々本当に有難う御座います。そして多く方々の寄付や応援で復興していける思います。
中城城跡は、沖縄県中頭郡中城村にある中山王国の城跡です。また、城内には、石垣や御殿、護国神社などの建築物が残されており、中山王国の栄華を偲ばせる貴重な遺跡となっています。
今帰仁城跡は、沖縄県国頭郡今帰仁村にある、中山王国の城跡であり、世界遺産にも登録されています。城壁が残る南の区画、石垣や門などが残る北の区画に分かれており、南の区画には「西の丸」「東の丸」と呼ばれる、かつての城内の中心部があります。 今帰仁城跡は、美しい景色を望むことができることでも有名で、沖縄観光の人気スポットの一つです。
他にも色々な城趾があり、色々なストーリーがあります。
私は沖縄の歴史に興味があり気になったことは調べる様にしてたので、ある程度の知識はあります。*あくまで私が調べた結果です
近いうち、色々な城跡のストーリーなどを更新していきますので、
そちらもどうぞ。
最後は沖縄の美食についてです。
沖縄の食について
沖縄の食文化には、独自の特色があり多くの沖縄県民から愛されています。海に囲まれた自然豊かな環境が育んだ沖縄の食は、健康にも良いのです。そんな代表的な沖縄食の魅力を紹介します。私なりにいくつか紹介したいと思います。
まずは、ゴーヤチャンプルー 。沖縄で代表的な家庭料理で、苦味の強いゴーヤ(ニガウリ)を炒めて、卵や豆腐、豚肉などと合わせた炒め物です。沖縄料理には野菜が多く、野菜の調理法も豊富で、体に優しい料理が多いことが特徴です。
おやつには、サーターアンダギー 沖縄のかわいい形の揚げ菓子で、小麦粉、砂糖、卵、油で作られています。昔よく、おば〜が作ってくれたのを思い出します。
そして、ちんすこう。 琉球王朝時代から伝わる沖縄のお菓子で、小麦粉、砂糖、ラードで作られています。表面にはクリーム色のラードがかかっており、中には小豆やさつまいもなどが入っています。材質によって、甘さや風味が変わります。
そして私が一番好きな沖縄そば。 沖縄の麺料理で、太くて平たい麺が特徴です。鶏ガラや豚骨、カツオをベースにしたスープと、豚肉、ネギ、かまぼこなどがトッピングされています。麺は歯ごたえがあり、スープはあっさりしています。
そしてタコライス。 アメリカ文化の影響を受けた沖縄料理で、タコスの中にご飯とタコスミートを詰め、サラダ、チーズ、トマトなどをトッピングしたものです。めっちゃ人気があります。
最後に
沖縄は自然豊かなリゾート地としてだけでなく、独自の文化や歴史そして食文化など、多彩な魅力を持っています。 今回紹介したのはその一部ですが、実際に足を運べば、まだまだ知らない魅力がたくさんあることでしょう。
海では、サンゴ礁や熱帯魚が群れをなし美しいビーチでのマリンアクティビティが楽しめます。また、宮古島などでは、マングローブの自然を楽しむことができます。また沖縄の経済の中心地である那覇市には、首里城や識名園など、歴史的な建造物や庭園があります。 それぞれに独特の雰囲気があるため、沖縄県民の私でも訪れるたびに新しい発見があります。
この記事を通して皆さんの沖縄旅行の役に立てたら幸いです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。 沖縄の魅力は、言葉で表現するのが難しいほどたくさんあります。 ぜひ、自分の目で見て肌で感じていただきたいと思います。これからも沖縄の魅力を発信していきたいと思いますので、是非応援よろしくお願いします。