ショートショート/「般若」
「和尚様。ちょっと耳にしたのですが、般若湯(はんにゃとう)って何ですか?」
小僧さんは小首を傾げながら、和尚さんに問いかけました。
和尚さんはその問いに天井に口を向けて、わっはっはと大きく笑い、こう答えました。
「それはお酒のことじゃ」
「お酒?」
「そうじゃ。お寺では、ほれ、お酒を呑んじゃいかんと言われとるじゃろ。じゃが、まあ、どうしても呑みたいお坊さんもいるし、そういうお方は実際、呑むわけじゃ」
小僧さんは目を丸くして聞いておりました。
それって、ウソをついているってこと・・・?
和尚さんはこう続けました。
「しかし、おおっぴらに酒を呑むぞ、なんて言えないわけじゃ。お坊さんという立場上な。そこで、こいつは酒ではない、般若湯という飲み物である、ということにしたわけじゃ」
小僧さんは、ぽかーんと口を開けて聞いておりました。
「・・・。ということは、般若、って、ウソをごまかすためにつけた言葉なのでしょうか」
「まあ、そうじゃな。仏に仕える身でありながら、一方では何とかして己が欲を満たす方策を探る。情けない話じゃのう」
あるとき、小僧さんは和尚さんから寺の留守番を頼まれました。和尚さんは遠方の檀家さんをいくつか回った後、知り合いのお寺に挨拶に伺うとのことで、5日程、寺を空けるとのことでした。和尚さんは小僧さんにいくばくかのお金を渡し、言いました。
「何か必要なものがあったらこれで買いなさい。留守番は大変かもしれんが、まあ、これも修行の一つじゃ。わしがおらんでも、いつもと同じように仏様へのお勤めは忘れるでないぞ」
「はい、和尚様」
留守番中のこと。
小僧さんは台所を掃除していて、お味噌が切れかかっているのに気づきました。自分もお味噌汁はいただきたいし、和尚さんが戻ってきたら、いずれにしても買いに行かねばなりません。そこで、小僧さんは和尚さんからお預かりしたお金を持って町に向かうことにしました。そのついでにお豆腐やお野菜等も買ってくるつもりです。
寺は山の上にあって、町までの往復にはかなりの時間がかかります。小僧さんも、たまには町の空気にも触れてみたいとも思いますが、まだまだ修行中の身。留守番を頼まれている以上、往復の時間を考えると長居することはできません。
小僧さんは、町のスーパーで用事を済ますと、急いで出口に向かい、勢いよく外に飛び出しました。
ちょうどそのとき、入れ違いに店に入ろうとしていた二人連れにぶつかりそうになりました。一人の男は真っ赤なキャップを目深に被り、短パンに派手なアロハシャツ。いかにも怖そうな感じです。その横では、ホットパンツ姿でメイクの濃い若い女が男にべったり体を寄せていました。
「あ、すみません!!」
小僧さんは深く頭を下げ、恐る恐る男の顔を見上げると、あっ、と思わず声を上げそうになりました。何と、その男は和尚さんだったのです。和尚さんもまた、目を大きく見開いて小僧さんを見下ろしていました。
和尚様!危うく喉まで出かけた言葉を飲み込むと、小僧さんはその小さな頭で次に何を言うべきか必死で考えました。
和尚様は檀家さんや他のお寺を回っているはずなのでは・・・。それに自分が学んでいる仏道ではお酒も女人も禁じられているはず。でも、この二人はどう見ても怪しい関係にしか見えない。それと、和尚様はこの場面でご自分が住職であることがばれてしまうとまずいのかもしれない・・・。
頭がくらくらする中、小僧さんは何とか言葉を絞り出しました。
「こ、これはとても、おきれいな・・・」
若い女に目をやると、頭の片隅にあった言葉を拾い出し、こう続けました。
「般若さまをお連れで・・・」
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