「シュリ・アルナーチャラへの五連の詩」各節紹介 その1

「オンライン・ラマナ・サットサンガ」プログラムCで詠唱されている、「シュリ・アルナーチャラへの五連の詩(アルナーチャラ・パンチャラートナ)」の概要解説&各節紹介シリーズです。


第1節

アル ニライ ヴァーナ アムダ カダレー
Arul-nirai vāna amuda kadalē

   ヴィリ カディラー ヤー ヴン ヴィルン グン アルナー
   Viri-kadirāl yāvum vizhun-gum―Aruna
 
ギリ パラマーン マーヴェー キラ ルラップー ナンドゥラーイ
Giri-paramān māvē kilar-ulappū nandrāi

   ヴィリ パリディ ヤーガ ヴィラング
   Viri-paridi yāga vilangu.


【柳田訳】
恩寵に満ちた、あなたの輝きの中に世界を飲み込むネクターの大海!
ああアルナーチャラ、至高者それ自身よ!
あなたは太陽でありたまえ、そして私のハートの蓮華を至福の中に開きたまえ!


【福間訳】
恩寵に満ちた甘露の海よ、宇宙さえも包み込むあなたの輝きよ!
ああ、至高なるアルナーチャラ!
太陽となって、わがハートの蓮華を至福の内に開かせたまえ!


【注記解説】(ガナパティ・シャーストリーによる)
 これは、ストートゥラ、 (神の礼賛)の形の中に悟りを生む至高の知識の骨子を含んだ五連の詩の最初のスタンザである。それは、表面的なあらわれよりはるかにより深い意味をもつ非常に簡潔な、スートラのようなものとして書かれている。
 アルナーチャラ ー アルナ(光)プラスアーチャラ(山)は、シヴァの光のテジョリンガム(シンボル)を意味する。個人にとってその重要性は、人が肉体という意識のとどかないところに行くと、内的な真我が清く明るく輝く、ということである。
 通常、肉体意識の喪失は、ショックとして暗黒にだけ帰結する。それに反して、同じ肉体意識の喪失が自発的に真我実現の目的のために引き起されるならば、単一の神の恩寵によって、真我のイルミネーションに帰着する。
 そのようなイルミネーションは、主への全き自己放棄をもたらすことによって、エゴを破壊する。主は永遠であり、永遠の感覚は至福(ネクター)である。
 沼地の水たまりに繁茂する蓮のつぼみが、日の出とともに咲くように、汚れた心の背後にあるハートもまた、すべての自己の中の真我であり、アルナーチャラとして外部から目に見える神の恩寵によって、輝き出す。しかしこの太陽は昇ってしまうと決して再び沈むことがなく、実現された魂のハートが花開くのは一度限りである。



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