「シュリー・アルナーチャラへの八連の詩」各節紹介 その1

「オンライン・ラマナ・サットサンガ」プログラムCで紹介されている、シュリー・アルナーチャラへの八連の詩SRI ARUNACHALA ASHTAKAM:シュリー・アルナーチャラ・アシュタカム)」の概要解説&各節紹介シリーズです。


「アルナーチャラへの五つの賛歌」から、既に紹介している「文字の結婚花輪」と「シュリ・アルナーチャラへの五連の詩」以外の3作品を順次各節紹介していきます。

今回は「シュリ―・アルナーチャラへの八連の詩」を3回に渡り掲載します。

この歌は五つの賛歌の中でも「十一連の頌」と同様に、誰かからの要請ではなく、ラマナご自身が自発的に書かれた詩です。


第1節

アリ ヴァル ギリ エナ アマル ダル マンマー
Ari-varu giri-yena amar-darum ammā

            アディ サイヤ ミダン チェヤ ラリ ヴァリ ダーックム
         adi-saiyam idan-cheyal ari-vari dārkkum

アリ ヴァル シル ヴァヤ ダドゥ ムダル アルナー
Ari-varu siru-vaya dadu-mudal Arunā

            チャラ ミガッ ペリ デナ アリ ヴィニ ランガ
         chala-migap peri-dena ari-vini langa

アリ ギラ ナダン ポル ラドゥ ティル ヴァンナー
Ari-gilan adan-porul adu-tiru vannā

            マライ エナ オル ヴァラー ラリ ヴラッ ペッ トルム
         malai-yena oru-varāl ari-vurap pet-trum

アリ ヴィナイ マル ルル タル ギニ リーッカ
Ari-vinai maru-luru taru-gini līrkka

            アル グル ママ ヤミ ダチャ ラマー カンデーン
         aru-gurum ama-yami dacha-lamā kandēn.


【柳田訳】
よく聴け、それは知覚のない丘として立っている。その働きは神秘的で人間の理解を超えている。物心のつかない年頃から、アルナーチャラは驚くべき高貴な何物かとして私の心の内部で輝いてきた。しかし私はそれがティルヴァンナマライと同じものであることを他の人を通じて知るようになったときにさえ、その意味を明確に理解していなかった。私の心を静めて私をそこへ引き上げ、そしてその近くに私が来たとき、私はそれを不動の状態で(立っているのを)見た。


【福間訳】
見よ! それは生命のない丘として聳え立っている。その活動は人間の理解をはるかに超えた神秘だ。それは私が無知だった少年のころから、私の心の内に驚くべき荘厳なものとして輝き続けていた。だが、アルナーチャラとティルヴァンナーマライが同じだと人から知らされたときでさえ、私はその意味をはっきりと理解していなかった。それは私を惹きつけて心を静まらせた。そしてそれに近づいたとき、それが不動の内に立ちはだかっているのを私は見たのだ。



第2節

カンダ ヴァン エヴァ ネナ カルッ ティヌル ナーダ
Kanda-van evan-ena karut-tinul nāda

            カンダ ヴァン インドリダ ニンドラドゥ カンデーン
         kanda-van indrida nindradu kandēn

カンダ ナン エンドリ ダ カルッ テラ ヴィッライ
Kanda-nan endri-da karut-tezha villai

            カンディ ラン エンドリ ダ カルッ テル マーレン
         kandi-lan endri-da karut-tezhu māren

ヴィン ディドゥ ヴィラッ キドゥ ヴィラ ルル ヴォーナール
Vin-didu vilak-kidu vira-luru vōnār

            ヴィンディ ライ パンドゥニー ヴィラッ キナイ エン ドラル
         vindi-lai pandunī vilak-kinai yen-dral

ヴィンディダー ドゥンニ ライ ヴィラッ キダ ヴェンドレー
Vindidā dunni-lai vilak-kida vendrē

            ヴィン ダラ マチャラマー ヴィラン ギダ ニンドラーイ
         vin-dalam achalamā vilan-gida nindrāi.


【柳田訳】
「見る者は誰か」。私が内部を捜し求めたとき、私は見る者の消滅とその後に生き残る何者かを見た。「私が見た」という想念が現れなかったら、どうして「私は見な かった」という想念が現れうるだろうか。(ダクシナムルティーとして現れている)あなたでさえ、いにしえの時代に沈黙のみによってそうすることができたのに、誰がこれを言葉で伝える力をもつのか。 沈黙によってあなたの (超越的な)状態を伝えるためにだけ、あなたは、天空から地上まで光り輝く丘として立っている。


【福間訳】
見る者とは誰か? 内面を探ったとき、見る者が消え去り、その後に残ったものを私は見た。だが、「私は見た」という思いは起こらなかった。それゆえ、「私は見なかった」という思いがどうして起ころうか? 太古の昔、ダクシナームールティとして現れたあなたでさえ、ただ沈黙によってのみそれを伝え得たというのに、誰がそれを言葉で伝える力を持つというのか? 大地から天空までを輝かす丘として聳え立つあなたの境地を伝えるのは、ただ沈黙しかない。



第3節

ニンナイ ヤーン ウル ヴェナ エンニエー ナンナ
Ninnai-yān uru-vena enniyē nanna

            ニラ ミサイ マライ エヌム ニライ イナイ ニーダーン
         nila-misai malai-yenum nilai-yinai nīdān

ウンヌル アル ヴェナ ヴン ニディン ヴィンノー
Unnuru aru-vena vun-nidin vinnō

            クラ ヴラ ガライ ダルム オル ヴァナイ ヨックム
         kura-vula galai-darum oru-vanai yokkum

ウンヌル ヴナ ララ ヴンニダ ムンニール
Unnuru vuna-lara vunnida munnīr

            ウル サル カライ ユル エナ ヴル ヴォーユム
         uru-saru karai-yuru ena-vuru vōyum

エンナイ ヤーン アリヴラ エンヌル ヴェーレー
Ennai-yān arivura ennuru vērē

            ディルン ダナイ アルナ ヴァーン ギリ エナ イルン ドーイ
         dirun-danai aruna-vān giri-yena irun-dōi.


【柳田訳】
私が、形をもつものと見なしてあなたに接近するとき、あなたは地上に一つの丘として立っている。もし(心をもって求道者が)形のないものとしてあなたに(不可欠な)形を捜し求めるならば、彼は、(つねに存在する)エーテルを見るために、地球を旅する人のようである。想念なしにあなたの(限りのない)本性を熟考することは、砂糖人形のように、人の(分離された)自己同一性を消失させることである。(ネクターの)海と接触するようになったとき、(また)私が私は誰かを悟るようになったとき、(あなたのではない)他の何がこの私の自己同一性なのか。ああ、高くそびえるアルナの丘として立っているあなたよ。


【福間訳】
私が形あるものと見なしてあなたに近づくとき、あなたは一つの丘としてこの大地に立つ。形なきあなたの形を探す人は、虚空を探し求めて地上を旅するようなもの。想いなしにあなたの本性に黙想することは、大海に沈む砂糖の人形のように、分離したアイデンティティを失うようなものである。私とは誰かを実現したとき、私のアイデンティティはあなた以外の何だというのか? ああ、アルナの丘として聳え立つあなたよ!





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