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稀少レコード
1968(昭和43)年3月31日『朝日新聞』大阪版「一枚のレコード」
シューベルト「死と乙女」
私がシューベルトを好きになったのは三十歳を過ぎてからだと思う。ところが、それから十五年ほどの間、レコードを聞いたり音楽会へ出かけたりする機会がまれになったから、よく聞いたレコードをあげるとすれば、二十歳前後のころを思い出さなければならない。まず思い出すのは、メンゲルベルク指揮のチャイコフスキー「悲愴」だが、当時はLPがなかったから、全曲が四枚にわたっていた。一枚のレコードとはいえない。
一枚のレコードをあげるとすれば、シューベルトの弦楽四重奏曲「死と乙女」である。シューベルトのイメージは、少年のころ見たウィリー・フォルスト監督の映画によって形づくられた。シューベルトにふんしたのはハンス・ヤーライとかいう貧弱な男で、天才の面影はどこにも見いだせなかった。私はがっかりしたが、今になって考えると、この俳優はなかなかうまい演技をしていたようにも思える。つまり、シューベルトはその仕事においてだけ天才的であり、存在そのものにおいてはいっこう人をひきつけない人物であったのかもしれない。
トーマス・マンによると、ゲーテやトルストイのような天才は、たとえ立派な業績をあげなくても、その存在そのものによって周囲に人が自然に集まってくるタイプであるのに対し、シラーやドストエフスキーは人間的な魅力によってではなく、その仕事によって天才を示すタイプである、ということだ。後者のタイプの天才はしばしば病気である、とマンはつけ加える。この分類に従えば、シューベルトはおそらく病気の天才である。
「死と乙女」第一楽章発端の身を引裂かれるような旋律から、私たちはたちまち、シューベルトの恐るべき独創の世界に引込まれる。彼はだれにも似ていない。第二楽章の悲哀の波に身をゆだねたことのある人は、これがすべてだ、これ以外にはありえない、と思うだろう。私のもっているのは、バルヒェット四重奏団のビクター盤である。すっかり古くなってしまった。(京大教授)
今も残る作田氏のレコードコレクションの中から、その一枚を見つけ出しました。見出しの写真がそれです。