美味しいね。が幻想だと気づいても。
食は匙加減で技術でエンタメであって、栄養学とは関係がない。
栄養があって美味しいものなんてどうでもいい代物だと思ったりする。エンタメはエンタメ、栄養は栄養だと言い切るべきなのに言い切れないイサギ悪さが鬱陶しい。
朝、適量を食べそこねたので10時にお腹が空く。子供か。ちゃっと茹でたパスタにシュレッドチーズを絡めて、かにだしを少々と粗挽きの黒こしょう。コバラに効くマジ美味メニュー。
その実態はゼロ。栄養面はカッスカス。農薬だらけの小麦をこね回して作った安売りのパスタ、腎臓弱い私には過剰なタンパク源でしか無いシュレッドチーズ、瓶詰めのかにだし、生産地もどこで挽いたかも不明な黒こしょう、栄養的には不要なものの集積。
なんだけど、塩茹でしたパスタに何を合わせていくか、脳内の想像味覚で組み合わせていくパズルは知的好奇心を刺激するアソビの極致、身体感覚に繋がる点もオツで、様々な欲を一気に満たす。
食欲はあまりに根源的なので、邪悪なアソビに潜む邪悪な欲をうやむやにしてしまう。
そのためか、食にまつわる享楽はついつい大目に見てしまう傾向があるけれど、味を判定するとか、食べる姿を鑑賞する類の映像に胸糞悪さを感じてしまうのは私だけだろうか?
余分に食べることは卑しいこと、楽しみのために食べるのははしたないこと、と声高に言うと感じの悪い人だと思われるだろう。感じの悪い人だと思われるのはとても怖いことなので勿論私みたいな無能な小心者が口にすることは出来ない。わかってる。そっち側に乗っかっていかなければ生きづらいことは、重々知っている。けれど「美味しいね」と言い合う幸せが幻想に思えて仕方なく、生きるのが辛い時がある。