恵まれているか
シンガポールに来てから1ヶ月くらい家がない。
初日は野宿。そこからしばらくはリトルインディアのホステル。
そして今週はチャイナタウンのホステルに引っ越した。
自分の部屋が恋しくもあるが発見もあったので共有したい。
指を弾けばどこへでも行ける時代
昨日Netflixで”Passengers”という映画をみた。
この中で興味深いセリフがあったので紹介したい。
かなり前に公開されたSFで面白いと評判だったので、ずっと見たかった。
広い宇宙船でひとりぼっちになったジムは絶望する。唯一の話し相手であるバーテンダーのアンドロイドに、いかに自分の置かれた状況が困難で悲惨なものか愚痴をこぼす。
アンドロイドは落ち込むジムを慰める。
この後ジムは宇宙船でしばらくの時間を楽しく過ごすことができた。結局改めて孤独を感じて廃人のようになってしまうのだか、アンドロイドのこのセリフは私にとって興味深かった。
『指を弾けばどこへでも行ける』という状態はまさに現代の私たちの状態に似ている。伝統的な家業や身分、性別に囚われていた人生が現代になって急に解放された。自由にどこでどのような生き方をしようが本人の願望と責任次第の時代だ。
そうなった時に大切なのが自分の今の環境に満足する力だ。
自分が恵まれていることを自覚して「足るを知る」ことが幸せへの足がかりとなる。
しかし、これは簡単ではない。人は残念なことに特定の時間に特定の場所にしかいることができないので、必然的に目の前の環境に五感を支配される。すると、あちこちに問題を見つけて、いとも容易く不満を感じるようになる。
どうすれば、日ごろの環境に感謝し自分が恵まれていると感じることができるだろうか。
奪う
私が見出した最も簡単な方法は現在の環境の中で恵まれている部分を一度奪ってみるという方法だ。
今回私はリトルインディアからチャイナタウンに移動して感動した。
ホステルがあまりにも清潔だった。掛け布団があり、シャワーからは温水が出る。シャンプーを使って頭を洗うのは1ヶ月ぶりだった。真夜中にインド人たちがうるさく騒ぐということもない。日本やタイで暮らしていては気づかなかった、清潔さや静寂がいかに貴重で有難いものか感謝することができた。
ではリトルインディアの環境は恵まれていなかったのか。
そんなことはない。
移動の合間に空港で一泊野宿した。
かたい大理石の上でスーツのまま寝る。電気が夜通しついているので寝ずらい。通行人が私を蔑んだ目で見てくる。その日は有り難さを感じるために夕食も抜いてみた。
これと比べれるといかにリトルインディアでの環境が恵まれていたかわかる。例え冷水でもシャワーがあることの有り難さ。床ではなくベッドがある有り難さ。宿があるということの有り難さは野宿して見なければ感じることができないだろう。
空港の野宿でのありがたみを感じるためには今度は屋外の治安の悪い地域で野宿することで、天井や安全のありがたみを感じることができるだろう。
このように身の周りのものを一度失って見ることで、自分の環境へのありがたみを忘れることなく常に満足して生活することができる。
あなたは今自分の生活が恵まれていると感じるだろうか。
もし不満があるなら、2−3週間公園で野宿してみてはどうだろうか。
今の生活がいかに有難いか感じることができるだろう。
感謝の心を忘れずに生きていたいと思う。