「らしくない!」をモットーに、自分らしさ全開で突き進んだ6年間!
「キャバ嬢みたい~」と言われ続けながらも、しっかりブレずに業界を続けている今年7年目(現AP)の兒玉です。これを機に、濃~いAD時代を振り返ってみました。
私がテレビ業界にたどりつくまで
「何でこの仕事してるの?」「本当にADやってたの?」「ちゃんと仕事してるの?」…これまで何十回も聞かれました^^;
こう見えて私は「子ども」や「人に教えること」が昔から好きで、教育大学に通い、学生時代のアルバイトもずっと家庭教師。卒業と同時に保育士資格、幼稚園教諭免許、小学校教員免許を取得しました。元々は子どもに携わる仕事がしたく教員になるつもりでいましたが、就活時期になり、ふと、今しかできないことがしたい!と思い、思い切ってずっと興味のあったテレビ業界を目指すことに。がちがちの教育大学だったため、就活をする人はほとんどおらず、周りはみんな教員採用試験に向けて勉強勉強…の日々。そんな中、一人で就活を始めました。もちろん就活セミナーなどもなく、ESの添削も面接練習も一切ナシ。とにかく東京・大阪・名古屋の制作会社を受けまくり、場数を踏んで、本番を経験していく中で自身で受かる術を身につけていきました。実は局のアナウンサー試験も受け、面接を経験しました。周りはドレスや個性的な服装ばかりで、、就活の面接会場とは思えぬ異様な光景。今思えばとても貴重な経験でした(笑)
一人で東京・大阪・名古屋のホテルを転々としての就職活動。この頃、色んな人と出会える就活が楽しくて仕方がなく、どハマりしていました。
いくつか内定をもらった中で、第一志望だったシオンに入社。数多くの制作会社を受けたおかげで、今では東京・大阪・名古屋各地の制作会社に知り合いがいてとても心強いです!
私のAD時代
業界のスタートは「ニノさん」
社会人初めての先輩、“寺田さん”に出会いました。右も左も分からない私に業界のいろはを教えてくれた人です。寺田さんは自分の夢を追い、今はシオンを辞めグラフィックデザインやイラストの仕事をしていますが、たまにバラエティ番組の放送で使われるイラストを描いてくれます。
次の先輩は関西感強めの“横山さん”。横山さんも今はもうシオンにはいませんが別番組でAPをしており、今ではAPの先輩です!会社は違えど、今でもとても頼りにしています。お世話になった先輩たちと何だかんだで今でも仕事で繋がれていることが嬉しいです。またいつか一緒にお仕事したいなぁ~。今でもふたりとはよく飲んでます!気の合いすぎる先輩のもとで働けてとても幸せでした💓
そして、くりぃむ有田さんの1年間限定の婚活番組「愛され女と独身有田」
番組の立ち上げから終わりまで携われた、とても思い出深い番組です。そして様々な芸能人の恋愛テクを学びました!(笑)いろんな結婚式場のロケハン。演出・P・D・ADみーんなで一日かけまわって楽しかったー!!驚くほど方向音痴な私は(田舎から出てきたので尚更)、完璧にみんなを誘導しなければ…という責任感から、ロケハンのロケハンを前日の日曜日に一人で一日かけてやったのを今でも鮮明に覚えています。。ロケハン先のハウススタジオでサプライズで誕生日をお祝いしたり🎂私の手書きのボードが毎回収録で使われ地上波にのったり。MCの有田さんと飲みに行くなんてことも。思い返すと本当に楽しい番組でした♩いつも会議の板書を褒めていただけたのも嬉しかったです!
AD時代一番長く在籍した「踊る!さんま御殿!!」
毎週本当に豪華なゲストばかりで、そんな中、自分のキャスティング案が通ることも多々あり、貴重な経験をたくさんさせてもらいました。さんまさんとの忘年会・新年会も、ADはさんまさんの卓につかせてもらい、プライベートでもトークをまわしていただきました。さんまさんが居るとどこでも“さんま御殿”になるんだな~と圧倒されました。さんまさんに「お前、絶対パトロンおるやろ?」と2年連続言われたのもいい思い出です。笑
AD最後の番組となったTBS「マツコの知らない世界」
それまでずっと日テレで育ってきたので、局の違いも感じることができ新たな人脈も築け、これまたいい経験でした!
数年前に私がチーフADとして入った特番で初めて一緒に仕事をした後輩“依田”。
当時1年目だった依田は本当にパワフルでキラキラしていて、いつも私を初心にかえしてくれました。なかなかきつい特番でしたが、つらいはずの編集もずーっと爆笑で、涙が出るくらい笑わせてくれました。
その特番が終わり、そのまま「踊る!さんま御殿!!」→「マツコの知らない世界」と、私についてきてくれました。気づけば友達のように毎日連絡を取り合い、お互いの誕生日をディズニーでお祝いするほどの仲に。しっかり者で3つ下だということをよく忘れます(笑)そんな依田が今、チーフADとして頑張っていることがとても嬉しいです!直属の後輩が育つってこんなに嬉しいんだな~と実感!近々また同じ番組ができたらなぁ。
↓パワフルAD・依田の社員マガジンはこちら!
5年間ずっとブレずにディレクター志望だった私ですが、この頃から色々と心境の変化があり、6年目でAPへ。今は「スクール革命!」を担当しています。
運よく、AD時代に特番含め色んな番組を経験させてもらえたことが、今の自分の自信と強みになっています!
「働き方改革」がこんなに重視される少し前にADを経験したので、ほぼ世間のイメージ通りのAD時代を経てきたと思います。私自身かなり野性的なので、泥のように働くことも意外と平気で、当時はアドレナリンで何日も起きていられました。AD時代は若さもあり無敵モードだったなー。。色々あったけれど、圧倒的に楽しかった思い出が多いです!
らしくない日常
何かにつけて「〇〇らしくないね」と言われてきた私。
「教育学部らしくない」「家庭教師らしくない」「ADらしくない」「テレビマンらしくない」……
昔から型にはまるのが嫌いで、「らしくなく!」が私のモットーでした。大学生のころから今でもずっと「キャバ嬢みたい」と言われ続けます。でもこれが私の個性であり、だからといって人にできて自分にできないことは絶対にないという自信があったからこそ、このスタイルを貫いてきました。どんなに忙しくても好きな格好をする、メイクをする、髪をセットする、この見た目だからこそ、周りに何も言わせないくらい何事も人一倍頑張りました。
1年目で銀座に引っ越し、休みの日はジムにエステにお買い物…時にはとことん飲み明かし、給料のほとんどを109に費やすという、、後先何も考えず、何にも縛られない自由すぎる生活を送っていました。そんな自由奔放で変わり者の私を「面白い」とネタにしてくれる人がいるこの業界はとても居心地がよく、ありがたいなぁ、素敵だなぁ、と感じます。
私のこれからの生き方
このコロナ禍で様々なことが変化し、色々と考えさせられることが多くなりました。働き方や生活が大きく変わったのはもちろんのこと、自分の人生について考える時間が増えました。(ちょっと詩人みたいなこと書きます。)
一生を80年としたとき、人は何日間生きることになるのか。
答えは、およそ3万日。つまり人生は3万日という有限。
“3万日”を長いと感じるか短いと感じるかは人それぞれ。
私は短いと感じます。
残りの人生を意識することで人は必死になる。
「明日」などないという意識で今日という日を精一杯生きるのです。
今日もまた3万日のうちの1日が過ぎようとしている・・・
だから私は今日もやりたいことを全部やって一日を終えるのです。
何だか少し重たい感じになってしまいましたが、仕事も趣味も遊びも全部全部全部、やりたいことは何事も我慢せずその日のうちに全部やる!「やりたい!」と思ったその瞬間の自分の直感を大事にしていきたい!ということです。
定時に出社して定時で帰る、そんな生活は私はできません。
日々仕事が変動する刺激的なこの業界でこれから先もずっと私らしく楽しく頑張っていきたい。
株式会社シオン
アシスタントプロデューサー
兒玉 佳純
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