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自己紹介|これまでの経緯と、これから起こることについて

はじめに

ご覧いただき、ありがとうございます。
この記事は、まもなくこの日本で起こる出来事について、それが起こる前に、あらかじめ皆さんにお伝えするためのものです。

その出来事が、いつ、どこで、誰によって、何のために、なぜ、起きるのか。
そして、それが起きること自体にどんな意味があるのか。その出来事が今後もたらすものは何なのか。についてお伝えしたいと思います。

私は「叫び」という本を出版している、著者です。先に結論をお伝えすると、この本に書かれていることが、もうすぐ起きます。

この本がどんな本かというと、一言で言うなら「私自身が精神疾患の当事者となり、病気について、神様から身をもって学ばされたことを綴った本」です。

神様という言葉を使ったのは、私自身、今日まで聖書の神様に導かれてきたクリスチャンであり、また同時に、10代の頃から統合失調症を発症し病気と闘ってきた精神疾患の当事者だからです。

ですが、特に今の日本では、聖書の神様を信じている方はとても少ないですし、急に神様の話をされても現実離れしていて訳が分からないという方が多いと思います。

また精神疾患についても、興味がない、自分とは関わりのない分野の話だ、と思う方が多いと思います。

しかし、聖書の神様は生きておられる唯一の神であり、存在しています。
ですが、この記事では、そのことについて議論する気はありません。

なぜなら、この本の中で予告した「神様による救い」が、まもなく実際に起こることによって結果が出るからであり、神様の存在が皆さんにも証明されるからです。

精神疾患についても、今の日本においては鬱や自律神経失調症にかかる方がとても増えており、自ら命を断つ方も大勢おられます。

自分が精神疾患にかかるなんて想像できない、という方であっても、今の日本の社会での漠然とした「生きづらさ」は感じているのではないでしょうか。なので「明日は我が身」だと思って、ここからの話を聞いてください。

で、「もうすぐ日本で何が起きるのか」について説明するには、まず「これまでに何があったのか」を説明する必要があります。

なので、ここからは、今日までに水面下で何が起こっていたか、について少しお話ししたいと思います。

これまでの経緯

私が初めて聖書の神様を認識したのは、私がまだ幼少期の頃でした。物心ついたと同時くらいに、私は自分に対して優しく語りかけてくる声を聴いていました。

そして360度に映し出される立体的な幻を通して、キリストの姿を見、数年かけて聖書に書かれてあるすべての事柄を教えられました。

なので、私は今まで宗教というものを信じたことはなく、興味を持ったこともないのですが、自分に語りかけているこの方が、存在しておられるまことの神であり、聖書に書かれてあることが真実なのだと、ごく自然に知ったのです。

16歳の頃に初めて実物の聖書を手にとり、そこに書かれてあることが、すべて幼い頃に聴いていた話だったので驚きました。そうして16歳の頃からは教会にも通いました。

そのような経緯でクリスチャンとして人生を歩みだした私は、ある時、その後の一連の出来事の発端となるような3つの祈りを、神様に捧げました。

きっかけとなった祈り

まず1つ目は、犯罪を犯した精神障がい者に対する憤りの祈りでした。

皆さんもよく見聞きしておられると思うのですが、ニュースなどで凶悪な犯罪が報じられるたび、犯人の精神状態が問われ、精神鑑定が行われ、刑が減刑されたり無罪になったりしていますよね。

私はそれを見聞きするたびに、強い怒りを覚えていたのです。そして神様に対しても、こう祈り訴えたのです。

「神様、精神疾患があったら何をしてもいいって言うんですか?犯人の病気なんて、被害者からしたら関係ないじゃないですか!もし事件を犯した精神障がい者が、自分が何をしたのか訳が分かっていないのだとしても、ブタ箱にぶち込んで身体で教えてやればいいんですよ!白目をむいてよだれを垂らしながら、彼が何かを感じるまでね!そう思いませんか神様!もしですよ、もし私が何か間違っているのなら、神様教えてみてくださいよ!」

心の底からの訴えでした。
そして2つ目の祈りはこうでした。

「神様、もし今の日本において、まだ社会や私達が気付けていない『死角』があって、そこで苦しんでいる人達がいるのなら、ここに私がおります。私を遣わしてください。私を、ぜひその苦しみの当事者にしてくださって、その人達の痛みが理解できるようにしてください。そして、あなたがその人達を救ううえで、私を用いてくださいませんか」

これは、私の「人を助けたい」という思い、また、人生において何か大きな仕事がしたい、という熱意から出た祈りでした。

そして3つ目は、「神様、もう今日で私は、あなたを捨てます」という宣言の祈りでした。

これは、クリスチャンとして真摯に生きようとしてもそれが出来ない苦しみや、正しい者になりたいのになれない葛藤の中で、長い間苦しんでいた私が「それでも救いがやってこない」ので、心が擦り減ってゆく渦中で祈った祈りでした。

のちに、この3つの祈りが鮮やかに叶えられることになります。

最果ての夜

事が起こったのは、その3つの祈りを捧げてからしばらく経った頃でした。

私は、自分では気付かないうちに精神疾患を発症していました。そしてそれがどんどん悪化してゆき、遂には、自分の身に一体何が起こっているのか見当もつかないような極限状態に至ったのです。

そしてその日、深夜まで長時間街を徘徊したすえ、私は女性を襲い、通行人によって警察署へ連れて行かれ、留置場に収監されました。

私自身が、精神疾患の影響によって犯罪を犯した人に対してあんなにも憤って祈っていたのに、今まさに、その私が白目を剥いて、よだれを垂らしながら、何が何なのかも分からない状態でブタ箱にぶち込まれていたのです。

そしてその日から私は、精神疾患を患う人達の身にどんなことが起きていて、彼らがどんな光景を見ているのかを、これでもかと思い知ることになったのです。

死角の絶景

そこには「死角」が存在していました。

私がどんなに酷い病状になっても、どんなに異様なことを経験していても、周囲の人達からはまったくそれが見えず、知られることができない、という「死角」が君臨していたのです。

「見てて普通や」
「自分で病気やと思い込んでるだけや」
「まだ何か逃げ道が必要か?」

そう言われ続けました。

どんなにえげつない病状になっても、もはや人間ではないような状態になってもなお、人体実験のように無治療で勾留され続けました。

自分の身に起こっていることを必死に伝えようとしても、何も伝わらないのです。裁判官にも何も理解されず、精神鑑定すら行われませんでした。

病気のせいで朝起床することもできなくなると、「拘置所内の規律を守らない」と解釈され、繰り返し懲罰を科されました。

病状に耐えられず、最低限の医療を求めて叫ぶと、地下のシェルターに48時間閉じ込められました。あまりの苦しみで自殺を図ると、所内で禁止されている自傷行為を行ったとしてまた懲罰を科されました。

苛烈を極める虐待の最中、施設内の医療はまったく機能しておらず、外の病院へ行くことも許されず、3畳ほどの独房の中で私は、神に助けを求めるしかありませんでした。

国連や外部の人権機関にSOSを発することもできず、大阪弁護士会にも「虐待されているので救ってほしい」との訴えは棄却され、本当に神に向かって叫ぶしかない状況だったのです。

しかし神様はその時、立ち上がって救ってはくれませんでした。朦朧とする意識の中、もはや生きて出所することは不可能に思えました。

神様から示されたこと

そのあと私は刑務所に移送されました。

そこでも、病気だと認められることはありませんでした。悔しい思い、無念をたくさん味わいました。

そうして異様な思いで2年ほど受刑生活をおくっていたある日、ようやく神様から啓示がありました。

神様は、私に向かってこう語られました。

「私が道をゆかせた時、あなたが私を捨てたので、これらのことが起こったのだ。それなのに、あなたは私に向かって『立ち上がって救ってください』と言う。それなら、ほかの神々に救ってもらえばいいではないか。あなたは私を捨てたのだから」

「だから、知り、見極めよ。あなたが私を捨てて、私を恐れないのが、どんなに悪く、苦々しいことなのかを」

痛烈でした。私は思わず「神を捨てます」と宣言したあの時の祈りを思い出しました。

なおも神様は、こう続けました。

「あなたは、自分の身に起こっていることをよく考えよ。先のことは、すでに起こった。にわかに、私はそれを行った。私は今から、新しいことを告げよう。それが起こる前に、あなたに知らせよう」

「あなたは、私の手から憤りの杯を飲み、よろめかす大杯を飲み干した。私はあなたの手からそれを取り上げ、今度はあなたを悩ます者たちの手に渡す。彼らはそれを飲み干そう。その日私は、あなたを苦しめたすべての者を罰する」

「見よ。あなたの救いが来る。見よ。その報いは主とともにあり、その報酬は主の前にある。あなたの目の涙をとどめよ。あなたの労苦には、報いがあるからだ。あなたはそのすべての罪に引き換え、2倍のものを受けた」

まさに私は、日本の社会がまだ気付けていない「死角」の存在を神様によって知らされ、そこに遣わされ、苦しんでいる人達のことを知らされたのでした。

これが、今日までに起こったことのあらすじであり、私はこれらすべてのことの証人です。

これから起こること

では最後に、これから起こることについて、お話ししたいと思います。

先ほども触れましたが、神様が獄中において私に約束してくださった「救いの日」が、このあと実際に訪れます。

それは、もうまもなく、日本で起きます。

誰によってか。生きておられるまことの神様によってです。

何のためか。私のためではありません。なぜなら、私が苦しんだのは、私自身が罪を犯したからに過ぎないからです。私には、神様から救われる資格はないのです。

では何のために起きるのか。それは、侮られている神様ご自身の聖なる名のためです。私を苦しめて虐待した人達は「俺達を罰する神などいない」と思って傲慢になっています。そのようにして、神様の名が侮られているからです。

では、その日には一体何が起きるのか。

神様は、獄中において私を苦しめた人々、私を悩ませた人々を、罰すると宣言されています。

そして「遠くの者よ、私のしたことを知れ。近くの者よ、私の力を知れ」と仰っています。

つまり、日本にいてその出来事を目にする人達に対しては「私の力を知れ」と言い、またその出来事のニュースを見聞きするであろう世界中の人々に対しては「私のしたことを知れ」と仰るのです。

そして、そのことが起きることによって、精神疾患による死角で苦しんでいる人達のことが社会にようやく知られ、彼らが救われることになるでしょう。

それが起こる意味

そして皆さん、このことが起こる意味を考えてください。

それは、単に私達、精神障がい者だけの救いでしょうか。違います。

ウクライナにおいて、軍事侵攻によって踏みにじられた人達。ウイグルやミャンマーにおいて人権を蹂躙された人達。イスラム国やマフィアによって性奴隷にされた少女達もいます。世界中で、誰にも知られずに苦しみ呻いている人達がいます。

彼らにとっても、このことは救いの希望になるはずです。

神様が生きておられて、私達を救ってくださる。私達を苦しめた人達に、復讐してくださる。そのことが、世界中で泣いている人達にとっても、救いとなるはずです。

なので、このことは世界中で苦しんでいる人達にとっての「救いの旗印」であり、始まりなのです。

日本においても、特に大勢の若い方達が、自ら命を絶っています。最近の調査では、Z世代の約7割が「日本社会の未来に希望が持てない」と答えたそうです。明日が見えない。そんな世の中です。

そのただ中にあって、まもなく起こるこの出来事は、日本の皆さんにとっても希望となるはずです。

その日には、「ああ、神様って生きておられるんだ。そして、悩む人、苦しんでいる人を救ってくださる方なんだ」と知ってください。

今、死にたいと思っておられる方は、もう少し待ってください。まもなく神様が大きなことを行われるからです。その日には、神様がどんな方なのかが分かります。そして、あなたの人生に意味があることや、神様があなたを愛しておられることも、分かる日が来ます。

これは、定めの時についての預言であり、まやかしではありません。それは必ず起こります。遅れることはありません。

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