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芸術に親しむ

先週末、兵馬俑展を見に「大河と蕪村」ぶりに、博物館を赴いた。美術館や博物館など行くことは好きだけれど、美術に造形が深くないミーハーな私もは、ただその叡智を楽しむことしか出来なかった。

それに比べ、時代背景や作者について深く知っている人は、より深く作品を楽しむことが出来る。

何事に置いても、知ってるからこそ、深く鑑賞出来るという面は確かにある。ただ、知ってるからこそ、「常識的な」解釈を超えた面白い見方は出来なくなるということはある。

どっちが幸福でどっちが不幸なんだろう。ふと、そんなことを考えながら、よく出来た芸術品を眺めていた。


 ところで、芥川龍之介が「芸術その他」という文章に、以下のようなものがある。

 芸術が分る分らないは、言詮を絶した所にあるのだ。水の冷暖は飲んで自知する外はないと云ふ。芸術が分るのも之と違ひはない。美学の本さへ読めば批評家になれると思ふのは、旅行案内さへ読めば日本中どこへ行つても迷はないと思ふやうなものだ。それでも世間は瞞着されるかも知れぬ。が、芸術家は――いや恐らくは世間もサンタヤアナだけでは――。

要は、芸術というのは知識云々ではなく、色々と見て考えることで、積み重なっていくものではないだろうかということである。

芸術なぞ分からなくても、気になったら気軽に行ってみて色々と見た上で自分の好みを見つけていくことができたなら、これほど幸せなことはない。「良い」「悪い」でなく、「好き」「嫌い」で認識出来たならば、美術はずっと、近いものになる。


…とはいえ、知識込みで楽しみたいという人は、美術展に行って、音声ガイドを借りることをオススメしたい。最近の音声ガイドは著名な俳優や声優がガイドをしており、純粋にそれ自体を楽しむことが出来る。

ハードルが高いと美術館や博物館を敬遠する空気もなく、芸術を楽しむことがもっと軽やかに出来ればなと思う私であった……。

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