足立区・オン・マイ・マインド⑥ 足立区最大の盛り場・北千住は東の吉祥寺だ!
久々の更新です。今回紹介したいのは足立区最大の商業スポットといってもいい北千住。
数年前に「千住クレイジーボーイズ」というNHKのドラマの舞台となり、最近でもあいみょんが「ハルノヒ」という曲で「♪北千住駅の~プラットホーム~」と歌ったように、この地域にはいま風が吹いています。
子どものころ、僕は自分の住んでるところ、つまり足立区の荒川をはさんで東側は本当の東京じゃなくて、川向こうの北千住こそが正真正銘の東京都だと思ってました。自分ちのまわりは木造家屋がメインなのに荒川の対岸に見える北千住の街はコンクリートでできたビルでいっぱいだったからです。
千住はもともと松尾芭蕉「奥の細道」の出発点ともなった宿場町。当然、江戸時代からにぎやかで、いまでも東京の北の玄関口、交通の要所でもあります。
JR常磐線をはじめスカイツリーラインという新名称がなかなか定着しない東武伊勢崎線。
地下鉄より低いところに街があるので電車が地上に露出してしまっている千代田線や日比谷線。
逆になにかやましいことでもあるのか都内に入るなり地下にもぐってしまうつくばエクスプレス。
ほかにも東京山の手を縄張りとする小田急や東急東横線もなにげに乗り入れていて鉄ちゃんたちの隠れた聖地となっています。
なぜ鉄道博物館、通称鉄博を埼玉県大宮へ持っていかれてしまったのでしょう。三河島の操車場跡地に誘致できなかったのでしょう。まあ正確にはあのへんは荒川区ですが。
北千住駅の西口に降りたつと目の前は広いスカイウォークです。
巨大な歩道橋みたいなスカイウォークが駅前にあれば、そこは間違いなく地元でもトップクラスの商業地です。自分が知ってる範囲では埼玉県大宮と千葉県柏にもこのスカイウォークがあり、よくストリートミュージシャンが夜中までギターをかき鳴らして絶叫しています。
関東一家の東京親分の一の舎弟・神奈川に負けじと、仁義なき戦いを続ける埼玉と千葉。両県を代表する大宮、柏の駅前で見られることでも分かるように、このスカイウォークは東京郊外の衛星都市のトレードマークともいえます。反面、地方都市の味わいを残していた景観を、画一的で無個性にしてしまうような気もしますが。
しかしわが北千住は、このスカイウォークを一歩下りれば、そこには迷路のように路地が行きかい、小さな居酒屋やスナックがひしめきあう昭和のかおりプンプンただよう一角が残っています。夜もふければネオンの下で千鳥足の酔ったサラリーマンに声をかける客引きも健在です。どんな場所へ連れていかれるのか分かったもんじゃありません。
あやしいオヤジたちがたむろする昔ながらのキャバレー街と対照的に駅の反対側、東口の方は最近大学も移転してきて若者たちの姿も増えています。駅前から続く商店街をゆくと突然巨大な大学施設があらわれ、最新のファッションをまとった学生が行きかう風景は近未来的です。
商店街の先にはドラマ『3年B組金八先生』シリーズの舞台・桜中学のロケも行われた中学校もあり、金八先生が生徒たちと歩くオープニング・シーンの荒川土手もすぐ近く。
また、反抗する若者たちの永遠のヒーロー、尾崎豊が足跡を残したのもここ北千住です。彼が最後に発見された通称・尾崎豊ハウスは悩める孤独な若者たちが集まる癒しの聖地となっていましたが、惜しくも2011年には取り壊されています。
東口のキャバレー街がかもしだす昭和レトロなムードと西口の巨大なキャンパスが描く近未来が同居するカオスな街・北千住。対照的な風景が同居するさまはまるでブレードランナー感覚(死語)です。
このように昔の風景が残っているのは、北からの鉄道路線が集中する主要駅でありながら、山手線に直結していないという理由も大きいでしょう。
新宿渋谷池袋といった巨大ターミナルが顔をそろえる山手線から二歩も三歩も退いて独自のスタンスを守る北千住。通勤通学にもやや不便な点は否めません。
しかしライバルの新宿や渋谷が時代とともに激しく姿を変えたのに比べ、皮肉なことに時の流れに置いていかれたかっこうの北千住は、いま他の街にない魅力を獲得してメディアでもさかんに取り上げられるようになったのです。
東京で住んでみたい街ナンバー1といえば長年安定政権のJR中央線・吉祥寺ですが、わが足立区・北千住もじゅうぶん東京東側の吉祥寺になれる可能性を秘めているのではないでしょうか。
同じ沿線なので浅草やスカイツリーに遊びに行ったついでに寄ってみてください。観光地化していないリアルな下町をウォッチングできるでしょう。
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